今日より長雨の砌、六月です。 - 2023.06.01 Thu

各地で梅雨入りという話題が聞こえるようになり、
水の張られた田んぼに若苗が整然と並び、
紫陽花が咲く六月となりました。
暑い日晴れの日が続いた数週間前とは打って変わり、
雨や曇りの日が多い日々が多くなり、
梅雨の時期らしい空模様となりましたね。
今年は例年より少し早い梅雨入りとのことですので、
梅雨の終わりも少し早まれば良いな~と思っております(*´~`*)
蒸し暑い日や梅雨冷えの日など気温差の激しい日がございますので、
皆さま、お風邪など召されませぬようご自愛くださいませ。
それでは今月もどうぞよろしくお願いいたしまっす♪୧(๑•̀ㅁ•́๑)૭✧
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熊野古道「八鬼山越え」その2―道標14から31の九木峠まで - 2023.05.21 Sun





前回の続き「八鬼山越え」の第2回
道標14「石畳道」の案内板からの続きですヽ(*´▽`*)ノ
石畳が綺麗に残っていた区域を過ぎても所々に石畳跡などがあり、
途中の道標16と17の間には車の林道と交差していて、
ここまで歩いた感じで無理そうと感じた時のエスケープポイントのようになっていました。




この八鬼山の石畳は苔むしたものが多かった感じがします(๑╹ᆺ╹)!
途中、巡礼者供養塔もいくつかありました。





そしてっ!!この道標20からがこの八鬼山越えで一番の難所とされている「七曲がり」です。
ここから急勾配をいくつも曲がりくねりながら登っていきます୧(๑•̀ㅁ•́๑)૭✧
「七曲り」は約300mほど続き、終点は道標の23番です。
何度も折り返し登っていくのはちょっと大変ですが、
道自体の高配はさほどきつくはありませんでしたので、
自分のペースでゆっくり登っていけばバテねことはない感じです。

という感じで「七曲り」区間終了ヽ(*´▽`*)ノ
ここからは暫く尾根道のようなほぼ平坦な道となっていました。
この八鬼山の道は平坦道→坂道→平坦…と交互になるよう道づくりがなされたようで、
平坦道で疲れを整えつつ次の坂道へという道づくりの工夫と苦心が随所に感じられます。





しばらく歩いていき道標27に着きますと「八鬼山桜茶屋一里塚」になります。
一里塚か織田信長や豊臣秀吉が三十六町を一里として塚を築かせたといわれ、
ここ尾鷲地方では片方の塚の上に「松」、もう片方には「山桜」を植えて目印としたそうです。





大きな岩が目立つ道になってしばらく登って行きますと、
次の名所の「蓮華石と烏帽子石」が道端に見えてきます。
この大きな石はその見た目から、
手前の平たい石が「蓮華石」で後方の縦長の石を「烏帽子石」と呼ばれており、
その様子は江戸時代後期の巡礼者の日誌にも記されています。
この「蓮華石と烏帽子石」以外にも大きな石があちこちに見える道を登り切りますと…

この八鬼山越えルートの前半終了地点とも言える道標31の「九木峠」に到着です₍₍(ง˘ω˘)ว⁾⁾
ここ九木峠は標高522m地点で直進の熊野古道より外れ、
左手の道を降りていきますと、
戦国時代の有名な九鬼水軍発祥の地・尾鷲市九鬼町へと繋がっています。

全行程のだいたい半分の地点である九木峠まで来ましたところで~
次回に続きます( 'ω' و( و"♪
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熊野古道「八鬼山越え」―登山口から道標14まで - 2023.05.13 Sat

それでは熊野古道『八鬼山越え』を歩いていきます୧(๑•̀ㅁ•́๑)૭✧
八鬼山登山口へは熊野古道センターから尾鷲市市街地へ戻る住宅街の中の道を10分ほど歩いていき、
こちらの道路標識のある場所を左手の山の方へ入っていきます。

この分岐点には民謡「尾鷲節」の歌碑が置かれていますのでこちらを目印にしても良いかも。
こちらの歌碑に刻まれている民謡は江戸時代後期に作られた八鬼山を隔てた三木里と矢浜村の男女の悲恋を唄ったもので、
昭和に入りその民話の登場人物などを調査した地元の方が、
この辺りで昔から八鬼山の登り口がわからず難儀していたことから自費で目印となるこの歌碑を建立したそうです。

登り口へ向かって矢ノ川沿いを歩いていきます。
途中、駐車場や綺麗に管理されたおトイレなどがありましたので、
お車の方はこちらに駐車して登るといい感じっぽいですね~
ただし、最寄りの駅やバス停からは結構な距離がありますので、
登った後に車まで戻ってくるのがちょっと大変かもしれません。





右手に木製のロッジ風のおトイレが見えましたら、
その左手が八鬼山の登山口です。
気が付かないとちょっと見逃してしまいそうな感じ~かな?





ここからは熊野古道に設置されている道標を目標にしながら歩いていきます。
八鬼山越えの道標は全部で63、今までで一番の長丁場です(`・ω・´)気合入れていきましょうっ!!




全行程の道標の多さからもわかるように八鬼山は熊野古道伊勢路で一番の標高と長さがあり、
熊野詣が盛んだった江戸時代の頃は狼や山賊も出没していたそうで、
昔からこの八鬼山越えは“西国第一の難所”と言われています。
現在は道も整備され狼はもちろん山賊などもいませんけれど、
それでもほぼ海岸線から一気に627mの山頂へと登っていく道はなかなかの健脚コースとなっています。




石畳の残る山道をしばらく歩いていき7番目の道標を過ぎた辺りで案内板が見えてきます。
案内板の向かい側にある墓石はかつて伊勢路を歩いていく「西国三十三か所巡礼」にて、
ここ八鬼山越えの途中に病にかかったり怪我をして不幸にも行き倒れた人の為に、
地元の村人が丁重に弔い供養したもので「行き倒れ巡礼供養碑」と呼ばれています。
ここにある墓石は江戸時代後期の幕末、
安政大地震の5か月後に茨城県筑波村より巡礼に来て行き倒れた方の供養碑で、
現在も八鬼山には長崎県や群馬県など合わせて四基の行き倒れ巡礼供養碑が残されています。





行き倒れ巡礼供養碑から約300m、8分ほど歩きますと、
八鬼山で施工当時の面影が一番の残る「石畳道」になります。






この「石畳道」の案内板のある所から登り50mの区間は、
八鬼山の石畳の中で最も保存状態のよい区間となっており、
また敷石も大きく立派な雰囲気があります(๑╹ᆺ╹)!
あと案内板から18mほど登った石畳の途中に踏むと音の鳴る「ゴットン石」という石が一つあるそうです。
わたしは気が付きませんでした(笑





ゴットン石のある石畳道を過ぎ14番目の道標に差し掛かりますと、
「籠立場」と呼ばれる小さな広場に到着します。
ここは紀州藩主や巡検使がこの街道を通るときに乗っている籠を止めて休憩した場所で、
記録によりますと八鬼山を越えた藩主のお殿様は、
享保7年に六代藩主・徳川宗直、宝暦11年に七代・徳川宗将、寛政1年に八代・徳川重倫と記録されており、
その規模は多い時で百人以上となっていたそうです。

今回はここまで、次回に続きます(✿╹◡╹)ノ
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熊野古道「八鬼山越え」―八鬼山へ長距離路線バスで - 2023.05.07 Sun

久しぶりに熊野古道へ行ってきました୧(๑•̀ㅁ•́๑)૭✧
たぶん前回の馬越峠から4年ぶりぐらいかな?
というわけで馬越峠の次の熊野古道のコース『八鬼山』へと向かいます。
いつもは電車で最寄りの駅まで行き、そこからハイキングを開始するのですが、
今回はここ三重県の松阪駅でバス『熊野古道ライン・熊野市行き』に乗り換えて向かいます。

この三重交通の熊野市行きのバスはかなり長距離を移動する路線バスで、
その運行距離はなんと本州で2番目の長さのとなっていますっ!!(๑╹ᆺ╹)!
というわけで本州で2番目に長いと聞いて好奇心で乗ってみました(笑
路線バスですので高速バスのように料金前払いとか指定席とかはなく普通のバスのように乗車しますが、
長距離を移動するバスらしくややゆったり目の席とドリンクホルダーなどが付いています。

なんと車内にはFreeWi-Fiなんてものもあったりします( 'ω' و( و"♪

路線バスですが途中に道の駅で小休憩があったり~

すごく景色の良いバスセンターで休憩があったりしつつ(笑

今回の目的地、尾鷲市にある『熊野古道センター』へ到着しましたヽ(*´▽`*)ノ
バスはここからまだ先の熊野市まで行きますが
今回の熊野古道『八鬼山』はこちらが最寄りの施設なのでわたしはここで降りました。
ここまでの途中、バスからは素晴らしい景色が見えておりましたが、
景色に見とれてしまい写真を撮るタイミングを逃してしまいました(笑

熊野古道センターからは尾鷲市の町並みと港の良い景色が一望できます♪

写真の右手にある台形の山が前回の馬越峠のある天狗倉山で、
その手前の鉄塔がいくつか見えている場所が、
数年前に解体されたかつて火力発電所があった場所です。

こちらは前回の馬越峠から撮った写真で、
海の近くに高く大きな火力発電所の煙突があるのが良くわかります。

というわけで~次回から熊野古道『八鬼山』を歩いていきますっ!!₍₍(ง˘ω˘)ว⁾⁾
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