◎あちこち神社◎
topimage

2016-12

▼大洞赤城神社▼ - 2016.12.05 Mon

赤城神社01-01

ナナモリ(楽2手2)s群馬県前橋市富士見町赤城山にある赤城神社(あかぎじんじゃ)です。

正式名称は赤城神社ですが三夜沢町と二之宮町にある赤城神社と区別するために、
大洞赤城神社(だいどうあかぎじんじゃ)とも呼ばれ、
関東地方を中心として全国に約300社ある赤城神社の本宮とされる一社で、
延喜式神名帳の「上野国勢多郡 赤城神社」と記載される名神大社の論社とされています。


赤城神社の鎮座する赤城山は榛名山、妙義山と並び、上毛三山の一つに数えられ、
また、日本百名山、日本百景の一つにも選ばれており、
山頂にあるカルデラ湖「大沼(おおぬま、おの)」の周囲には円頂を持つ1,800m級の峰々が取り囲み、
その外側は富士山に続き日本で二番目の長さである高原台地をなしています。


赤城神社01-03

赤城神社01-02赤城神社01-04赤城神社01-05赤城神社01-06



ナナモリ(普b-01)s大洞赤城神社は赤城山の山頂にある大沼の東岸に浮かぶ小鳥ケ島に鎮座しています。

この小鳥ケ島には「小鳥ケ島遺跡」として南北朝時代の経塚遺跡があり、
応安5年(1372年)銘の法華経埋納を示す多宝塔下の地中からは、
銅経筒の残欠と蓬莱鴛鴦文鏡や唐花双雀文鏡など十面の和鏡が出土し、
宝塔・経筒残欠とともに群馬県の文化財に指定され神社と立歴史博物館に保管されています。


その神社本殿のある小鳥ケ島へは朱色の長い啄木鳥橋を渡って行きます。


赤城神社01-09

赤城神社01-07赤城神社01-08赤城神社01-10赤城神社01-13



ナナモリ(笑)s御祭神は赤城大明神・大国主命(大穴牟遅神)・磐筒男神・磐筒女神・経津主神・豊城入彦命

創建は不詳ですが社伝では豊城入彦命が上毛野を支配することになった際に、
山と沼の霊を神庫山(ほくらやま・現在の地蔵岳)中腹に奉斎したのが始まりとされ、
允恭天皇・用明天皇の時代に社殿を創設したと伝えられています。


その後、806年に大沼の南の畔(現在の大洞赤城神社旧社地)に遷座し、
神仏習合期に修験者が各地の霊山に登り修行の場として栄え、
江戸時代には厩橋(前橋)城主として入封した酒井重忠が鬼門に当たる大洞赤城神社を篤く信仰し、
元来の山岳信仰と東照大権現(徳川家康)の合祀により、将軍家をはじめ諸国の大名の信仰をも集め、
「赤城詣」として関東一円より多くの参拝者で賑わったそうです。

しかし明治に入りますと廃仏毀釈により大洞赤城神社別当・寿延寺と切り離され、
300年以上にわたる赤城山の厳しい気候によって荒廃した社殿の改築が企図されるも実現せず、
明治20年から43年の間に、小沼の豊受神社、小鳥ヶ島の厳島神社、黒檜山頂の高於神社を始めとして、
赤城山内数社が合祀され1970年(昭和45年)に厳島神社があった跡地に現在の社殿が再建されました。




赤城神社01-12赤城神社01-11赤城神社01-14赤城神社01-15



ナナモリ(普b)s
信仰の成立や創建はいずれも明らかではなく、
赤城山という名自体も「万葉集」では「久路保(くろほ)の嶺ろ」と記されており、
赤城南麓を流れる粕川の水源としての信仰と黒檜山などへの雷神信仰、
および赤城山そのものへの山岳信仰が集まって成立したと考えられています。


また「赤城(アカギ)」という名の由来としまして、
男体山の神と赤城山の神がそれぞれ大蛇と大ムカデになって戦場ヶ原にて戦い、
男体山の神が勝利をおさめ、このとき負けた赤城山の神が流した血で赤く染まったことから、
「赤き」が転じ「赤城」となったという言い伝えがあります。

この後、男体山の神が追いかけてきますが、
老神温泉で傷を癒した赤城山の神が追い返したそうです。


赤城神社01-16赤城神社01-17赤城神社01-18赤城神社01-19



ナナモリ(楽3)s赤城山は大日本帝国海軍の砲艦や航空母艦「赤城」の名の由来としても有名です。

山名は一等巡洋艦(重巡洋艦)、巡洋戦艦に命名されるのが慣例ですが、
航空母艦でありながらに山に由来する艦名がつけられた理由は、
当時は航空母艦の命名に関する明確な規定が無かったためなのだそうです。


その事から赤城神社も軍艦・赤城との関係は深く海軍関係者も参拝に訪れ、
旧鎮座地には赤城神社跡とともに「大日本帝国軍軍艦赤城」と刻まれた石碑も残されています。


赤城神社01-20






○いつもポチッと投票ありがとうございます(o´ω`o)励みになります♪○

blogram投票ボタンにほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ





スポンサーサイト

今日より初雪の候、12月です。 - 2016.12.01 Thu

道端175

いよいよ今年も最後の月、
寒さが一入身にしみる師走となりました。

今年はなんだかふわっと日々が過ぎ、
いつのまにかもう十二月になっていた、
そんな感じがします(*´Д`)(笑

師走は行事などかいろいろあり賑やかな月ですし、
日々に追われていつの間にか年末だったとならぬよう、
新年に向けて準備不足の無いよう気合い入れて行かねばなりませんね(`・ω・´)
特にいつもギリギリになる年賀状と大掃除(笑

さて、まだ初冬とはいえすでに例年より寒さ厳しくなっている所もあるようで、
なにかと忙しく慌ただしく感じる師走ですが、
体調には十分お気を付けになって御身体をおいとい下さいませ。


それでは今月もバァーンと気合い入れて参りましょうヾ(@^▽^@)ノよろしくお願いしまっす♪




○いつもポチッと投票ありがとうございます(o´ω`o)励みになります♪○

blogram投票ボタンにほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ





▼七里の渡し・熱田▼ - 2016.11.28 Mon

七里の渡し01

七里の渡し02熱田神宮から南へ徒歩で15分ほど行った所にあります、
七里の渡し渡船場跡・宮の渡し公園』です。

この公園は堀川と新堀川の合流点にあり、
東海道・宮の宿から桑名へ渡る「七里の渡し」の渡船場跡を整備し作られました。


ここにはかつて江戸時代に東海道41番目の宿「宮(熱田)」があり、
約 7里(約27.5Km)先の桑名へと渡るための宮側の渡し場あった場所で、
七里の渡し」と称された東海道で唯一の海上路がありました。

渡海者が多い時には桑名や佐屋、そのほか近隣の村などからも船を借りたそうです。



七里の渡し03

七里の渡し04七里の渡し05七里の渡し06七里の渡し07


ナナモリ(楽2)sここにある「熱田湊常夜灯」は父の遺命を受けた犬山城主・成瀬正房が、
寛永二年、熱田須賀浦太子堂(聖徳寺)の隣地に建立し、
後に風害で破損したため承応三年に現在の位置に移されたものが、
寛政三年に付近の民家の出火で消失し、同年、成瀬正典によって再建されます、
そして長い年月により荒廃していたものを昭和三十年に復元したものです。


また「七里の渡し」からの船の移動ではしばしば海難事故にあう事もあったようで、
この海路を避ける行程として佐屋街道の宮宿から万場宿、佐屋を通り、
佐屋から桑名へ船で渡るという迂回路もありました。


現在、ここから見える海側の景色はビルや住宅街などとなっていますが、
かつてはこの「七里の渡し」の目の前すべて、堀川のむこう側は伊勢湾を望む海でした。



七里の渡し09

七里の渡し10七里の渡し08

公園内で一際大きいこの建造物は「時の鐘」というもので、
延宝四年に尾張藩主、徳川光友の命によって、宮の渡しから北に約500m離れた蔵福寺に建立し、
長い間、熱田の住民や東海道の旅人に時刻を知らせる役目を務めました。
江戸時代のものは戦災により焼失してしまいますが、
当時も使用されていた鐘だけは今も蔵福寺に保管されています。

昭和五十八年に、宮の渡し公園内に復元がされた現在も鐘は付けられ、
住民の方々に時刻を知らせる役目を務めているそうです。



七里の渡し12

七里の渡し11公園内にある歌川広重の『東海道五十三次・宮』の壁画です。

江戸時代の「七里の渡し」の様子が描かれ、
桑名から来る船の様子や熱田鳥居と書かれた赤い鳥居、
手前の孤島のような所には「寝覚の里」と名所が紹介されています



この宮宿には船番所も設けられ行き交う船の管理をしていたようで、
天保年間に利用された渡し船は75艘、小渡し船42艘で、
40~50人乗りの乗合船から3~5人乗りの小船まであったそうです。


現在は戦災や伊勢湾台風などで宿は廃れ、
その面影を残すのは脇本陣格の旅籠だったといわれる丹羽家住宅など、
二軒ほどの建物にその面影を残すだけとなっています。



七里の渡し13




○いつもポチッと投票ありがとうございます(o´ω`o)励みになります♪○

blogram投票ボタンにほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ





*むかご御飯的ななにか* - 2016.11.24 Thu

むかご御飯01

零余子(むかご)の季節がきましたっ(*゚∀゚)=3 

むかご」というのは山芋や自然薯などに出来る小指の先ほどの球芽のことで、
細長いハート形の葉っぱの山芋のツルが「むかご」の目印。
山などに行きますと結構いろんな所にあったります(-_☆)

山芋や自然薯の芋を掘り出すのは大変ですが、
これなら簡単で、しかもちゃんと山芋の味や風味があります♪

ちなみにこれは家の裏の塀にツルが伸びていたのを採りました(笑


このまま素揚げにしてお塩をかけてたり、甘辛く炊いていただくのも美味しいですが、
今回は「むかご御飯」にしてみました☆


むかご御飯(三合分)」

むかご お米に対して1/3ほど
白米 三合
酒 大さじ1
塩 小さじ2/3


むかご御飯02


まずは「むかご」の下処理から。

むかごをすり鉢に入れ、
すり鉢に軽くこすりつけるようにしてゴロゴロ転がし、
表面の皮をすこし削っておきます。
これは土臭さをとるためなので、全部の皮を剥かなくても良いです。

むがこは採ってきたものを洗ってそのまま使っても良いのですが、
この下処理をすることで土臭さがなくなり食べやすくなります。

むかご御飯03むかご御飯04


下処理をしたむかごを良く洗い、
軽く二・三分ほどお湯で指でつぶせるぐらいまで茹でます。

茹であがったむかごは浮いて来ますので、
それぐらいが目安です。


むかご御飯05

茹であがったむかごはザルにあけて水気を切っておきます。

このまま醤油やお塩でいただいても十分美味しかったりします(*´Д`)ちょっと味見しました(笑

むかご御飯06


炊飯器に洗ったお米といつもの分量の水をいれてから、
酒とお塩と茹でたむかごを入れて通常通りの設定でお米を炊きます。

炊きあがったら底の方から引っ繰り返すようにして混ぜて完成でっすヾ(@^▽^@)ノ


むかご御飯07

「むかご御飯」完成ー♪

こういう感じの豆ご飯とか赤飯とか大好きです(*´艸`*)


むかご御飯08

むかごはホクホクとした食感でほのかに甘みがあり、
こんなに小さくてもしっかり山芋の風味がして美味しいです。

ここに山芋のとろろをかけますと山芋の親子丼?になります(笑

「むかご」は今の時期しかいただけないものですし、
道の駅や産直市などでよく売り出していますから、
見かけられましたらお試ししてみてくださいませ(o´ω`o)オススメです。




○いつもポチッと投票ありがとうございます(o´ω`o)励みになります♪○

blogram投票ボタンにほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ







東海地方最大の前方後円墳 『断夫山古墳』 - 2016.11.20 Sun

断夫山古墳01


ナナモリ(普b-01)s熱田神宮公園内にある古墳断夫山古墳(だんぷさんこふん)」です。

熱田神宮から北西へ約500m行った所にある熱田神宮公園、
そこに野球場などと一緒に公園内にある古墳で、
東海地方では最大の前方後円墳で国の史跡にも指定されています。



断夫山古墳02

古くから熱田大宮司家が宮簀媛命墓として奉仕してきた古墳で、
明治9年(1876)に熱田神宮所属地化し昭和62年(1987)に国の史跡に指定されています。

この古墳は熱田台地南西縁の標高約10メートルの地に位置する大型前方後円墳で、
かつて、海岸線が熱田台地西側近くまで伸びていた頃には伊勢湾を広く望んだ立地でした。

江戸末期から明治初期に刊行された『尾張名所図会』には「鷲峯山」として紹介され、
かつて断夫山は常日頃の立ち入りは禁止されていましたが、
3月3日のみ立ち入りが許され墳頂から熱田の浜を見渡せた様子が描かれています。

断夫山古墳06

断夫山古墳03断夫山古墳04断夫山古墳08断夫山古墳05



  
ナナモリ(楽2手2)s断夫山古墳は前方部が発達した古墳時代後期の特徴を示し、
3段築成の墳丘をもち古墳南東隅がやや削られていますが、
全長約150m・高さは一番高い所で約16mもある大きな前方後円墳となっており、
尾張地方で最大規模の古墳であることから、
古代豪族の尾張氏の首長墓になると考えられています。


しかし被葬者は明らかでなく熱田神宮では古くから「陀武夫御墓」と称し、
日本武尊妃の宮簀媛命(みやずひめのみこと)の墓とし熱田神宮神域として保護され、
現在も毎年5月8日に白鳥古墳と断夫山古墳において御陵墓祭を行なっています。


ただし、史書上での日本武尊伝説の想定年代は4世紀頃となり、
断夫山古墳の築造時期とは大きく隔たりがあります。


断夫山古墳09

古墳の周濠から前方後円墳の形がよく判ります。

前方後円墳なので手前の円形部分が後ろで、
奥の方墳部分が前方になります。

古墳の規模は、築造当時6世紀前半の大阪府高槻市の大王墓の今城塚古墳(190m)には及ばないものの、
福岡県の八女市岩戸山古墳(135m)を上回り、全国で屈指の規模となっています。

また、この円墳と方墳の繋がるくびれの部分からは多量の須恵器が出土しましたが、
その多くが行方不明となっており現在確認できるものの大半は全形の不明な小片で、
行方不明となった須恵器のうちには貴重な子持高坏(こもちたかつき)もあったといわれています。

断夫山古墳10


おまけの古墳の猫ちゃんです(*゚∀゚)=3すごく警戒されてます(笑





○いつもポチッと投票ありがとうございます(o´ω`o)励みになります♪○

blogram投票ボタンにほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ






NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

プロフィール

七森

Author:七森
あちこち出かけた先で撮影した
神社の写真です。

あと日常の写真も少々~♪

なぜかちょっぴりお菓子のレシピも(*´Д`)

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

神社・お寺巡り ブログランキングへ blogram投票ボタン

カウンター

カテゴリー

☆PR☆

ソーシャルミュージックサイト OKMusic 音楽に参加しよう! ワクワクを世界に届けよう♪ サイフもココロもハッピーに!ちょびリッチ

○義援金・募金のお願い○

募金のご協力お願いします。

クリックで救える命がある。

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

(・∀・)人(・∀・)

この人とブロともになる

ブロとも募集中でっす♪

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

スポンサードリンク

RSSリンクの表示