▼龍城神社▼ - 2020.12.07 Mon






岡崎城の天守跡地に鎮座する東照宮の一つで、
かつては岡崎東照宮とも呼ばれていました。
社伝によりますと、1452年または1455年頃に三河国守護代・西郷稠頼が岡崎城を築城した際、
柳の五ッ衣に紅の袴をつけた乙女の姿をした龍神が現れ、
「われはこれ歳久しく此の処に住む龍神なり、
汝われを鎮守の神と崇め祀らば永く此の城を守護し繁栄不易たらしめん」と、
城の井戸から水を噴出させて天に去っていたという伝説があり、
そのことから岡崎城は当初、龍ヶ城と名づけられ井戸の名を龍の井と称したそうです。










1543年の徳川家康が誕生した際にも金色の龍が現れたという伝説があり、
1624年には徳川家康を祭神として東照宮を岡崎城天守に祀るようになり、
1766年(明和3年)には岡崎藩主本多忠粛により東照宮は岡崎城三の丸に遷座し、
本丸には本多忠勝を祭神(映世大明神)とする映世神社が創建されました。
その後、明治9年に東照宮を岡崎城本丸に遷座し、
映世神社と合祀して現在の龍城神社という名に改称され、
昭和23年に火事にて焼失してしまいますが昭和39年に現在の形の社殿が再建されました。

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▼矢作神社の例祭と御朱印▼ - 2020.11.05 Thu

先月のことですが、
愛知県岡崎市にある矢作神社へお参りに行ってきました٩( 'ω' )و
以前の矢作神社の記事はこちら→●
矢作神社は小さな神社ですが歴史は古く日本武尊により素戔嗚尊がお祀りされ、
特に厄除け・疫病退散にご利益のある神社といわれています。




この日10月2日は毎年、矢作神社の例祭が斎行される日で、
1日は前夜祭で午後6時から、2日は本祭で午後2時から祭典が盛大に行われますが、
今年はコロナ禍による感染症予防対策により山車の曳き回しや余興などの神賑行事は全て中止となり、
感染防止に配慮しながらの祭典のみの斎行となっていました。




拝殿内に奉納されている初代の防護巡洋艦と二代目・矢矧の模型や艦影です。
今年、全世界で感染拡大している新型コロナウイルスで思い出された、
「忘れられていた100年前のスペイン風邪のパンデミックの再来」というテーマの報道特番で、
防護巡洋艦・矢矧とともにこちらの矢作神社もご紹介されました。
その理由は、スペイン風邪が全世界的に流行していた1918年(大正7年)11月に、
南洋での任務を終えシンガポールから帰国の途に就いた矢矧艦内での集団感染が発生し、
副艦長を含めた乗組員469名のうち1割以上に当たる48名もの犠牲を出した大惨事を受け、
艦名ゆかりの当社分霊を「艦内神社」として祀ったという経緯からです。
それに際して写真額の奉納(1920年(大正9年)5月27日)、分霊の艦上安置(1920年9月7日)、
乗組員により製作された1/100模型の奉納(1921年10月末)と乗組員全員の参拝も実施されました。
ちなみに矢作神社の分霊を矢矧艦内に安置し、
それを艦内神社としたのはこの時が海軍内で最初のことであり、
のちに艦内神社という伝統が海軍全体に広まった先駆けといわれています。

こちらは当宮司さんのご好意により見せていただいた、
二代目阿賀野型軽巡洋艦・矢矧進水時に作られたと言う杯の複製です。
萩と矢のデザインが洒落ていますね♪




例祭時には普段開けられていない拝殿の蔀戸などが全て開けられ、
軍艦矢矧ゆかりの奉納品や三十六歌仙額や、
有形民族文化財の絵馬群などもご覧いただけるようになっています。

短いご紹介ですが矢作神社の2020年の例祭でした。
今年は祭典のみの斎行となりましたが、
来年は盛大な例祭が斎行できるようになっていますと良いですね(o´ω`o)

あと、こちらの神社の御朱印は艦影がデザインされた大変珍しいものとなっており、
神社の御朱印として船の絵が描かれたのは全国的にもこちらと、
熊本県球磨郡の市房山神宮下宮・里宮神社の二社だけなのだそうです。
ただし矢作神社は宮司さんが常駐しておられず、
御朱印や御朱印帳をお受けになるには祭りの日にあわせてお参りするか、
事前の電話連絡が必要となりますのでご注意くださいませ。
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▼上野天神宮(菅原神社)-松尾神社・鐘楼など▼ - 2020.05.13 Wed





御祭神は大山咋命
京都の松尾大社を総本社とする神社で御祭神は「神々の酒奉行」といわれています。
酒造りの盛んな地域でよく御祀りされている神社でここ伊賀では、
伊勢志摩サミットの乾杯酒となった「半蔵」やドラマになった「るみ子の酒」などが有名です。
ちなみに俳聖・松尾芭蕉とも縁の深い神社でもあり、
芭蕉がその処女作である「貝おほひ」の自序の末尾に、
「神楽の発句を巻軸にをきぬるハ、歌にやハらぐ神心といへば、
小歌にも予がこころざすところの誠をてらし見給ふらん事をあふぎて、
当所あまミつおゝん神の御やしろの手向ぐさとなしぬ」
寛文拾二年正月廿五日伊賀上野松尾氏宗房、釣月軒にしてミづから序す。
とありここでの「あまミつおおん神の御やしろ」は当社のことです。






こちらも境内社である美加多神社と高原稲荷神社です。
美加多神社の御祭神は比地山神・八重事代主神・火之迦具土神・木花咲夜比売神
高原稲荷神社には宇迦之御魂大神を御祀りしています。




こちらは本殿左手にある神社では珍しい「鐘楼」です。
神仏習合時代の名残を残す江戸時代前期(1600年代後期)に建てられた鐘楼で、
同じく江戸時代中期に建てられた入り口にある楼門と共に、
平成5年(1993)3月8日に県の指定文化財に指定されています。
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▼上野天神宮(菅原神社)-本殿▼ - 2020.05.07 Thu






天正9年(1581年)の「天正伊賀の乱」の後、
天正13年(1585年)伊賀の領主となった筒井定次が菅原神社を祀ったのが創始とされ、
慶長13年(1608年)に藤堂高虎による城下町整備の際に城郭鎮守として再建されました。










他に上野村に祀られていた九社神社を相殿としてお祀りし、
元来は旧上野町六千戸の産土神として、
農耕神祇(のうこうじんぎ)に発祥する神々を祀る神社でもあり、
通称・お天神さんとして地元の方々に崇敬されている惣社です。






この御祭りでは鬼の面を着け奴振りを伴った鬼行列が有名で、
京都の祇園祭の山鉾に似た楼車(だんじり)の巡行され、
祇園祭で奏でられるものが元になったといわれているお囃子が、
楼車の上で奏される類例の少ない貴重な行事です。
この御祭りは2016年12月1日に全国33ヶ所の「山・鉾・屋台行事」の一つとして、
ユネスコ無形文化遺産に登録されました。

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▼石上神宮-大イチョウと鏡池のワタカ▼ - 2020.01.23 Thu


石上神宮の御神木のなかでも有名なのが、
本殿向かって右手奥の布留社のある方向にある、
秋頃になると黄金色になる大イチョウです。

この大イチョウは高さ約30m、幹周り3.26m、樹令は約300年と言われ、
天理市内の各所から見ることができるそうで、
2kmほど離れた天理駅のJRのプラットホームからも見えるほどです。

石上神宮は『万葉集』に「石上布留の神杉…」と詠われるほど、
古くには数多くの神杉が繁茂している神社で、
現在もその子孫の神杉が数本あります。
本殿近くにあるこの「東側神杉」は樹齢は350年を越え、
幹囲り3.4m、高さ約30mにもなる大きさの杉となっています。


この鏡池は江戸時代の書物でも古くから「石上池」と呼ばれていた、
とことが記されている古い池で、
奈良県の天然記念物に指定されている「ワタカ」という魚が生息しています。

ワタカは我が国特産の鯉科の淡水産硬骨魚で、
別名を「馬魚(ばぎょ)」と言い、
体は細長くてひらたく、頭は小さく眼は大きく、体色は背部が緑青色である他は銀白色の魚です。
この「馬魚」という別名には伝説があり、
南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に御潜幸になる途中、
石上神宮の神宮寺であった内山永久寺の萱御所に入御された際に、
天皇のあとを追って来た赤松円心らの軍勢も当神宮の辺に到着し軍馬がしきりに嘶き、
それに天皇の御乗馬が応じて嘶こうとしたため、
円心等にさとられるのを憂いた従者が御乗馬の首を斬って本堂前の池に投じたところ、
本堂池に草を食べる魚が住みつくようになり、人々はこれは御乗馬の首が魚になったのだと考え、
「馬魚」と呼ぶようになったと伝えられています。




またここ石上神宮では境内に居るニワトリも有名です。
現在約30羽が参道をはじめ境内の各所にいるそうで、
長鳴鶏(ながなきどり)の一種の東天紅(とうてんこう:高知県産・天然記念物)、
烏骨鶏(うこっけい:天然記念物)、採卵用種のレグホン・ミノルカなどが棲んでいます。



境内を横切るように「山之辺の道」が通っています。
こちらは大神神社・桜井市方面へ向かう道で、
この山之辺の道をずっと歩いていきますと着きます。
現在この山の辺の道はウォーキングルートとして整備されており、
週末や休日以外にも多くの方が散歩を楽しんでいます。

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