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2020-04

▼石上神宮-大イチョウと鏡池のワタカ▼ - 2020.01.23 Thu

石上神宮・大イチョウと山之辺の道01

ナナモリ(普b-01)s石上神宮神社以外の名所などをご紹介です。 

石上神宮の御神木のなかでも有名なのが、
本殿向かって右手奥の布留社のある方向にある、
秋頃になると黄金色になる大イチョウです。


石上神宮・大イチョウと山之辺の道02

この大イチョウは高さ約30m、幹周り3.26m、樹令は約300年と言われ、
天理市内の各所から見ることができるそうで、
2kmほど離れた天理駅のJRのプラットホームからも見えるほどです。


石上神宮・大イチョウと山之辺の道03

石上神宮は『万葉集』に「石上布留の神杉…」と詠われるほど、
古くには数多くの神杉が繁茂している神社で、
現在もその子孫の神杉が数本あります。

本殿近くにあるこの「東側神杉」は樹齢は350年を越え、
幹囲り3.4m、高さ約30mにもなる大きさの杉となっています。


石上神宮・大イチョウと山之辺の道04

石上神宮・大イチョウと山之辺の道05こちらは参道途中にある「鏡池」です。
この鏡池は江戸時代の書物でも古くから「石上池」と呼ばれていた、
とことが記されている古い池で、
奈良県の天然記念物に指定されている「ワタカ」という魚が生息しています。



ナナモリ(楽2手2)s
ワタカは我が国特産の鯉科の淡水産硬骨魚で、
別名を「馬魚(ばぎょ)」と言い、
体は細長くてひらたく、頭は小さく眼は大きく、体色は背部が緑青色である他は銀白色の魚です。



この「馬魚」という別名には伝説があり、
南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に御潜幸になる途中、
石上神宮の神宮寺であった内山永久寺の萱御所に入御された際に、
天皇のあとを追って来た赤松円心らの軍勢も当神宮の辺に到着し軍馬がしきりに嘶き、
それに天皇の御乗馬が応じて嘶こうとしたため、
円心等にさとられるのを憂いた従者が御乗馬の首を斬って本堂前の池に投じたところ、
本堂池に草を食べる魚が住みつくようになり、人々はこれは御乗馬の首が魚になったのだと考え、
「馬魚」と呼ぶようになったと伝えられています。


石上神宮・大イチョウと山之辺の道07

石上神宮・大イチョウと山之辺の道08石上神宮・大イチョウと山之辺の道09


ナナモリ(喜)s
またここ石上神宮では境内に居るニワトリも有名です。
現在約30羽が参道をはじめ境内の各所にいるそうで、
長鳴鶏(ながなきどり)の一種の東天紅(とうてんこう:高知県産・天然記念物)、
烏骨鶏(うこっけい:天然記念物)、採卵用種のレグホン・ミノルカなどが棲んでいます。




石上神宮・大イチョウと山之辺の道10

石上神宮・大イチョウと山之辺の道11石上神宮・大イチョウと山之辺の道12

境内を横切るように「山之辺の道」が通っています。

こちらは大神神社・桜井市方面へ向かう道で、
この山之辺の道をずっと歩いていきますと着きます。

現在この山の辺の道はウォーキングルートとして整備されており、
週末や休日以外にも多くの方が散歩を楽しんでいます。

石上神宮・大イチョウと山之辺の道13



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▼石上神宮-布留社や摂社など▼ - 2020.01.17 Fri

石上神宮・摂社末社など01

石上神宮・摂社末社など02石上神宮・摂社末社など03石上神宮・摂社末社など04


ナナモリ(笑)s石上神宮本殿中庭の楼門より出て南、
目の前の少し高い場所にある摂社末社へと向かいます。

石段を登った先には摂社3社と末社1社があり、
左手のさらに高くなった場所に4社が鎮座し、
右手に大きな変わった形の摂社拝殿あります。


ちなみにかつて斎宮があったとされる場所は、
4社ある場所の真裏辺りだと伝えられています。

石上神宮・摂社末社など05

石上神宮・摂社末社など06石上神宮・摂社末社など07石上神宮・摂社末社など08石上神宮・摂社末社など10


ナナモリ(喜2)s石上神宮摂社の出雲建雄神社です。
御祭神は出雲建雄神
江戸時代中期に成立した縁起では天武天皇の頃、当社の神主・ 布留邑智(ふるのおち)が、
ある夜、 布留川の上に八重雲が立ちわき、 その雲の中で神剣が光り輝いている、 という夢を見、
「吾は尾張氏の女(宮簀媛)が祭る神である。この地に天降って皇孫を保じ諸民を守ろう」と託宣があり、
ここに社を建て草薙剣の荒魂を御祀りしたのが始まりと伝えられています。


右隣の小さな社は末社・猿田彦神社で猿田彦神と住吉大神、高靇神。住吉大神を御祀りし、
江戸時代には、祭王御前・山上幸神・道祖神社などと呼ばれ、
現在地よりさらに東の山中にお祀りされていましたが 明治10年に現在地に遷されました。
元々は当社神宮寺である内山永久寺の鎮守社である住吉神社で祀られていたものと伝えられています。


石上神宮・摂社末社など11

石上神宮・摂社末社など12石上神宮・摂社末社など13石上神宮・摂社末社など14


ナナモリ(楽3)sこちらは摂社・天神社と七座社

御祭神は天神社は高皇産霊神、神皇産霊神、
七座社には生産霊神、足産霊神、魂留産霊神、大宮能売神、
御膳都神、辞代主神、大直日神が御祀りされています。


江戸時代には天神社は天神御祖神殿・八王子殿など、七座社は長庄神殿などの名で呼ばれ、
石上神宮の鎮魂祭と深い関係のある上古から御鎮座になっていると伝えられている神社です。


石上神宮・摂社末社など16

石上神宮・摂社末社など15石上神宮・摂社末社など17


ナナモリ(驚)sこちらの大きな建物は国宝の出雲建雄神社拝殿です。

元は神宮寺・内山永久寺の鎮守の住吉社の拝殿で、
お寺が神仏分離令により明治9年に廃絶したあとも住吉社として残っていましたが、
本殿も明治23年に放火によって焼失し、拝殿だけが荒廃したまま残されていましたので、
出雲建雄神社の拝殿として移築されました。

そのため鳥羽天皇の永久年間に創建された内山永久寺の建物の遺構として国宝に指定されています。
また中央に通路(馬通)があることから「割拝殿」とも呼ばれています。


石上神宮・摂社末社など18

ここから更に山の辺の道を奈良市方面へ進み奥へと向かいます。


石上神宮・摂社末社など19


ナナモリ(普b-01)sそして見えてくるのが禁足地(きんそくち)布留社です。

当神宮にはかつては本殿は無く拝殿後方のこの禁足地を「布留高庭」「御本地」と称し、
その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されていました。
現在は神職以外は入れませんが、
今も布留社と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれ昔の佇まいを残しているそうです。




石上神宮・摂社末社など20






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▼石上神宮-本殿▼ - 2020.01.12 Sun

石上神宮・本殿03

石上神宮・本殿01石上神宮・本殿02石上神宮・本殿04石上神宮・本殿05



ナナモリ(楽2手2)s奈良天理市布留町にある石上神宮(いそのかみじんぐう)です。

日本最古の神社の一つとされる非常に歴史の古い神社で、
古くは「古事記」「日本書紀」にも記され、
当時「神宮」と記されていたのはここと伊勢神宮のみでした。


古代の山辺郡石上郷に属する布留山の北西麓の高台に鎮座し、
北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地帯として知られています。



石上神宮・本殿06石上神宮・本殿07石上神宮・本殿08石上神宮・本殿09


石上神宮・本殿11


石上神宮・本殿10石上神宮・本殿12石上神宮・本殿13石上神宮・本殿14



ナナモリ(楽2)s御祭神は布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)

布都御魂大神は布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊で、
他に配神として天羽々斬剣に宿る神霊・布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)、
十種神宝に宿る神霊・布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)も祀られています。


社伝によりますと葦原中国平定を行った武甕槌・経津主二神に使われた布都御魂剣が、
神武東征で熊野において神武天皇が危機に陥った時、
夢に天照大神、高木神、建御雷神が現れ天皇の元に渡り、
その後、宮中で祀られていた剣を勅命により物部氏の伊香色雄命が現在地に遷し、
崇神天皇7年に「石上大神」として祀ったのが当社の創建とされています。

かつて当社には本殿は存在せず、
2つの神宝が埋斎されていると伝えられている拝殿の奥の聖地(禁足地)を、
「布留高庭」「御本地」と称し祀るのが本来の姿でありましたが、
1874年(明治7年)の発掘で出土した剣(布都御魂剣)や、
1878年(明治11年)の禁足地再発掘で出土した剣(天羽々斬剣)を、
奉斎するために現在の本殿が建造されました。


石上神宮・本殿15

石上神宮・本殿16石上神宮・本殿17石上神宮・本殿18石上神宮・本殿19



ナナモリ(笑)s当社には国宝「七支刀(しちしとう・ななつさやのたち)」が納められているとこも有名です。

この剣は古墳時代の西暦369年頃の作といわれており、
鉄製の剣の全面は鉄銹(てつさび)により覆われ、
両刃の剣の左右に3つずつの鉤を突出させたような特異な形状をしています。


かつては「六叉鉾(ろくさのほこ)」 と称されていましたが、
現在では刀身に記された銘文の解明により「七支刀」と称されるようになっています。




石上神宮・本殿20石上神宮・本殿21石上神宮・本殿22石上神宮・本殿23

石上神宮・本殿24









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▼夜都伎神社▼ - 2019.12.20 Fri

夜都伎神社01

夜都伎神社02夜都伎神社03夜都伎神社04夜都伎神社05




ナナモリ(普b-01)s奈良県天理市乙木にある夜都岐神社(やつぎじんじゃ)です。

奈良にある古道「山之辺の道」沿いにあり、
乙木町の北方の集落から少し北に離れた宮山(別名、たいこ山)の裾野、
古墳を削平して神社を造営したと言われ境内自体が前方後円墳となっている、
式内小社「大和国山辺郡 夜都伎神社」の論社であります。



夜都伎神社08

夜都伎神社06夜都伎神社07夜都伎神社09



ナナモリ(楽2手2)s御祭神は武甕槌命・姫大神・経津主命・天児屋根命

鎮座地の乙木村は古くは興福寺大乗院及び春日大社領の乙木荘であり、
乙木には元は夜都伎神社と春日神社の2社がありましたが、
夜都伎神社の社地を現在の十二神社の社地と交換し、
乙木は春日神社1社のみとして社名を夜都伎神社に改めたものと伝えられています。

そのことから春日の四神を祀るため別名・春日神社とも呼ばれています。



夜都伎神社10夜都伎神社11夜都伎神社12夜都伎神社13


夜都伎神社17

夜都伎神社14夜都伎神社15夜都伎神社16夜都伎神社18



ナナモリ(笑)s
春日大社との関係は深く、
江戸時代末期まで「蓮の御供」という神饌を献上し、
春日大社からは古くなった社殿・鳥居を60年毎に夜都岐神社に下賜し、
社殿として使用させるという伝統があり、
現在の本殿は明治39年に春日大社から移された建物であります。


明治39年に改築された本殿は春日造桧皮葺、高欄、浜床、向拝付彩色7色の造りとなっており、
拝殿は珍しい茅葺屋根になっています。



夜都伎神社19夜都伎神社20夜都伎神社21

夜都伎神社22





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▼大和神社-御旅所・御旅所坐神社▼ - 2019.12.07 Sat

大和神社御旅所01

大和神社御旅所02大和神社御旅所03大和神社御旅所04


ナナモリ(普b-01)s奈良天理市中山町にある御旅所坐神社です。

この神社天理市新泉町星山に鎮座する大和神社の北西にある境外末社で、
大和神社の例祭「ちゃんちゃん祭り」では本社と摂社である増御子神社の両神輿が大和神社を出発し、
旧大和郷に該当する9町の氏子を中心とした約100人の時代装束を着た人達により、
2kmほどの道のりを歩いてここまで運ばれ祭礼がおこなわれます。


渡御祭・通称「ちゃんちゃん祭り」は、
「祭り始めは ちゃんちゃん祭り、祭り納めはおん祭り」と里謡に歌われる大和の代表的な祭りで、
氏子の頭屋・雅児を先頭に夫々の町内人供奉し行列順に各執物を捧持し、
ちゃんちゃん鐘を合図に成願寺・岸田を経てこの大塚山の御旅所まで約2kmを往復渡御し、
この御旅所では翁舞・龍の口舞の田楽舞が奉納されるそうです。



大和神社御旅所06

大和神社御旅所05大和神社御旅所07大和神社御旅所12



ナナモリ(楽2手2)s御旅所坐神社の御祭神は伊怒姫命(いぬひめのみこと)八十矛戈大神(やちほこのおおかみ)

大和神社御旅所は明治の初めまでは中山大塚古墳の小高地にあったそうで
その南麓である現社地に観音堂と庫裡があったようですが神仏分離で廃され、
その跡に社殿を遷したのが当社となっています。


日本書紀の巻第五・崇神天皇に、
「これより先、天照大神と倭大国魂の二神を皇居内に祀った。
しかし神の勢を畏れ、共に住むには不安があった。
そこで天照大神は豊鍬入姫命に託して大和の笠縫邑に祭り、堅固な石の神籬をつくった。
また日本大国魂神を淳名城入姫命に託して祭らせた・・・・」
とあるように伊勢神宮の天照大神と共に皇居内で祀るには神威が強く畏れ多いとして、
皇居外に鎮座地を探し祀ったのが大和神社の倭大国魂で、
当社の御祭神はその母神であります。



大和神社御旅所08

大和神社御旅所09大和神社御旅所10大和神社御旅所11大和神社御旅所16





ナナモリ(驚)sこちらは共に鎮座する歯定神社です。

御祭神は大己貴神(おおなむちのかみ)・少彦名神(すくなひこなのかみ)
農業・特に葉物野菜の種蒔きに際して、当社に豊作を祈願したともいう説もあり、
古くは、“葉状神社”とも呼ばれていました。


また医療の神、少彦名神を祀ることから“歯の神”とも言われ、
拝殿前に、注連縄(しめなわ)をまいた歯の形をした石が3個据えられています。


大和神社御旅所15

この神社の境内は中山大塚古墳の一部でもあり、
神社のあるこの場所が古墳の南麓部分となっています。


大和神社御旅所13

この公園の奥の部分からが古墳です。

中山大塚古墳は大和古墳群のひとつであり、
古墳時代初頭に築かれた前方後円墳で、
全長130メートル・後円部径67メートル・後円部の高さ15メートルの大きさがあります。

出土遺物では銅鏡や鉄器などが発見されたそうです。

大和神社御旅所17





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Author:七森
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