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2019-07

▼鏡神社(滋賀)▼ - 2019.06.09 Sun

鏡神社01

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ナナモリ(楽2手2)s滋賀県蒲生郡竜王町にある鏡神社(かがみじんじゃ)です。

創祀年代は不詳とされますが垂仁天皇3年に新羅国より帰化した天日槍(アメノヒボコ)が、
神宝の日鏡を山上に納めて鏡山と称し、その山裾にて従者に陶器を造らせたと伝えられており、
その天日槍を当地の祖神として崇めたのが起源であるされています。




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鏡神社11

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ナナモリ(普b-01)s御祭神は天日槍尊(あめのひぼこのみこと)

天日槍は多くの技術集団を供に近江の国へ入り技術を広め、
神宝の日鏡をこの地に納めたことから「鏡」の地名が生まれ、
書紀にも「近江鏡の谷の陶人は、すなわち天日槍の従人なり」と記されています。


また、当地 「鏡路・鏡山」は万葉の歌枕として150余首詠まれ、
額田王や鏡王女にも所縁の地であり、
「こけら葺き」という建築様式の社殿は国の重要文化財に指定されています。


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ナナモリ(楽)s
大正6年11月に大正天皇が当神社境内宮山に行幸され、
陸軍の大演習をこの宮山から親拝されたことから、
当時の知事がそのことを記念し宮山を御幸山と命名したそうです。



登山道を登っていきますと頂上は広場となっており、
琵琶湖や近江の町並みなどの景色が見渡せるようになっています。


鏡神社23


ナナモリ(驚)s
承安4年(1174年)には牛若丸こと源氏の遮那王は京都の鞍馬から奥州へ旅路の途中、
この鏡の宿に泊まり、境内宮山の岩清水を盥に汲み、
自ら烏帽子を着けて元服したと伝えられており、
謡曲「烏帽子折」の題材にもなっています。


そのことから12月の午日には源義経の偉業を偲ぶ行事として、
子供たちがとまらい、上がらい』『ま上がつて、とまらい』と囃して回る、
牛若丸が奥州に下る途中、ここで泊って元服をした故事を伝える「とがらい祭り」が行われます。


鏡神社25




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▼有子山稲荷神社(出石城稲荷)▼ - 2019.05.29 Wed

出石城稲荷神社-01

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ナナモリ(喜)s兵庫県豊岡市出石町にある有子山稲荷神社(ありこやまいなりじんじゃ)です。

城の麓から37基の鳥居がある157段の石段を登り、
出石城の本丸のさらに一段高い場所に鎮座する、
1604年の築城時から現在地にある城の鎮守の稲荷社です。


江戸時代から城郭内にある神社でしたが、
身分を問わず参詣の為の登城が許可されていたそうで、
現在もここから出石の町並みを一望できる為多くの人が訪れます。


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ナナモリ(楽2手2)s御祭神は稲荷神

有子山稲荷神社の例大祭として三月にある「出石初午大祭」が有名で、
江戸時代より始まり400年余りの伝統があるこの大祭では、
出石城藩主が年に一度、初午の日に限り城の大手門を開放し
城内の稲荷神社に町民の参詣を認めたことが始まりとされています。


祭りの日には但馬のみならず丹後や丹波からも参詣する人がいたそうで、
但馬・丹後・丹波の「三丹」一の大祭で但馬三大祭りのひとつとされ、
「出石の初午が過ぎるともう雪は降らない」といわれる但馬に春を告げる祭りとなっています。


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▼石神神社(伊勢)▼ - 2019.04.28 Sun

石神神社(伊勢)01


ナナモリ(楽2手2)s三重県伊勢市矢持町菖蒲にある石神神社です。

竜ヶ峠登山道の本道の舗装道より逸れ、
覆盆子橋を渡らず手前の道を菖蒲川沿いに少し上流に登った場所に鎮座しています。




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ナナモリ(楽)s御祭神は大岩を御神体する石神様

古くから地域の守護神としてお祀りされ、
この鎮座地は元来「石神」という地名で呼ばれていました。



境内を東西へと通る道路は現在はかなり荒れておりますが、
明治中期まで矢持と南勢町と横輪地区の住民にとって唯一の宇治・内宮へと至る生活道としてあり、
ここを通る人は必ず石神様にお参りしていたと伝えられています。

また日清・日露・太平洋戦争の出征の折には、
菖蒲(勝負)の石神様として武運長久を祈願しお見送りされていたそうです。


石神神社(伊勢)07


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ナナモリ(笑)s
地元の言い伝えでは、
元来、石神様の社はこの大岩の下にお祀りされていましたが、
太平洋戦争末期の秋台風により流され一時行方不明となっていたそうです。



しかし、そうとは知らず御神体を拾った人が別の場所でお祀りしていたところ、
祭ってあった矢持の里に返してくれという夢を度々見たため、
沼木神社(伊勢市上野町)の宮司さんに連絡があり、
昭和52年に現在の場所へと帰り今度は流されぬようにと大岩の上に社が置かれたそうです。


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▼由良神社-宝珠院如意寺▼ - 2019.01.22 Tue

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由良といえば森鴎外の「山椒太夫」の舞台として全国的に知られ、
由良・石浦近辺は伝承に因む地が多く残っており、
ここ由良神社にも山椒太夫の伝説に縁のあるお寺が隣接しています。



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ナナモリ(普b-01)s由良神社拝殿の左手の小道を抜けますと、
真言宗東寺派 由良山 宝珠院・如意寺の境内に出ます。

如意寺はもとは由良神社(旧 熊野三所権現)の別当寺で、
地蔵堂には京都府指定文化財でもある地蔵菩薩坐像が安置されており、
この像は鎌倉時代の仏師・快慶の若い頃の作とのことです。


また、この地蔵菩薩坐像は「身代り地蔵」とも呼ばれ、
山椒太夫の物語の中で太夫に捕らわれていた安寿厨子王の姉弟が、
そのもとから逃げようとして見つかり罰として焼印を当てられますが、
一夜明けると姉弟の傷は癒え、この像に焼け跡があったという伝説があります。

森鴎外の小説の中ではこのことは夢の中の出来事となっていますが、
この像には実際に右肩に焼き印を押されたような跡があるそうです。


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ナナモリ(楽)sこの石塔は「山椒太夫首塚」です。

山椒太夫のもとから逃れ、父の冤罪を晴らし、
旧領とここ丹後の国司となった厨子王丸は、
恨らみ重なる山椒太夫を引捕え青竹の鋸で首引きの極刑に処します。


その太夫臨終の折、当寺住職の諭しに依り浄菩提心を発し、
「我れ今より後緒人の奇禍に遭う者あるを見ればそれを救うの誓願を立てん。
生来所造の諸悪の罪障この発願に依りて消滅せしめ給え」と唱えて息絶えたといいます。

後世に人々が太夫及びその一族の霊を憐れんで供養のために首塚として建てたのがこの宝篋印塔で、
南北朝時代乃至室町時代頃に作られ約六百年を経過しています。


由良神社02-14

由良神社から来たため裏から入ってきた形になりましたが、
こちらがお寺の正門です。

門の先に見える山が由良山です。

由良神社02-15

こちらのお寺のほかにもこの由良の地には山椒大夫に纏わる伝説の地が数多く点在し、
「首挽松の碑」や安寿が潮を汲んだ「汐汲浜」などがあり、
それらの山椒大夫の物語の伝説の地を巡ってみるのも良いかもしれません。


由良神社02-16

この道の奥へ行きますと由良神社の境内に出ます。


由良神社02-17

鳥居の先にうっすらと見えるのが日本海です。




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▼由良神社▼ - 2019.01.17 Thu

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ナナモリ(楽2)s京都府宮津市由良にある由良神社です。

京都府の北部を流れる由良川の河口近くに鎮座し、
近くには丹後街道が通り西に行くと天橋立に、
東に向かうと舞鶴へと続きます。


また神社の目の前には日本海が広がり、
夏には海水客で賑わう丹後由良海水浴場があります。


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ナナモリ(普b)s御祭神は伊弉諾命、櫛御気命、誉田別命神

明治になるまで熊野十二社大権現、あるいは熊野三所権現と称し、
かつては西御社と東御社が並立し西を上社として熊野三所を、
東を下社として九所を祀っていたそうです。
明治20年に京都の花の御所に鎮座していた花御所八幡を合祀し由良神社と改称されました。


ちなみに百人一首に修められた曾根好泉の和歌、
「由良の門を 渡る舟人 梶を絶へ 
                      行方も知らぬ 恋の道かな」
に出てくる「由良の門」はこの地のことで、
「門(と)」は海峡や水流の寄せ引く口の意味し、
河口で川と海が出会う潮の流れが激しい場所のことです。



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ナナモリ(普b-01)s殿背後に廻りますと、双耳峰の山容を目の前に見せる「由良ヶ岳」の姿を望めます。

由良ヶ岳は舞鶴市と宮津市に跨(またが)る標高640mの山で、
裾野を広げた山容から丹後富士とも呼ばれ、
江戸時代には虚空蔵ヶ岳とも呼ばれた修験道の聖山であり、
丹後天橋立大江山国定公園にも含まれて居ます。


また由良神社は旧日本海軍の軽巡洋艦「由良」の艦内神社の勧請元にもなっています。



由良神社01-18






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