◎あちこち神社◎
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2019-05

▼石神神社(伊勢)▼ - 2019.04.28 Sun

石神神社(伊勢)01


ナナモリ(楽2手2)s三重県伊勢市矢持町菖蒲にある石神神社です。

竜ヶ峠登山道の本道の舗装道より逸れ、
覆盆子橋を渡らず手前の道を菖蒲川沿いに少し上流に登った場所に鎮座しています。




石神神社(伊勢)03

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ナナモリ(楽)s御祭神は大岩を御神体する石神様

古くから地域の守護神としてお祀りされ、
この鎮座地は元来「石神」という地名で呼ばれていました。



境内を東西へと通る道路は現在はかなり荒れておりますが、
明治中期まで矢持と南勢町と横輪地区の住民にとって唯一の宇治・内宮へと至る生活道としてあり、
ここを通る人は必ず石神様にお参りしていたと伝えられています。

また日清・日露・太平洋戦争の出征の折には、
菖蒲(勝負)の石神様として武運長久を祈願しお見送りされていたそうです。


石神神社(伊勢)07


石神神社(伊勢)09石神神社(伊勢)10石神神社(伊勢)11


ナナモリ(笑)s
地元の言い伝えでは、
元来、石神様の社はこの大岩の下にお祀りされていましたが、
太平洋戦争末期の秋台風により流され一時行方不明となっていたそうです。



しかし、そうとは知らず御神体を拾った人が別の場所でお祀りしていたところ、
祭ってあった矢持の里に返してくれという夢を度々見たため、
沼木神社(伊勢市上野町)の宮司さんに連絡があり、
昭和52年に現在の場所へと帰り今度は流されぬようにと大岩の上に社が置かれたそうです。


石神神社(伊勢)12





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▼由良神社-宝珠院如意寺▼ - 2019.01.22 Tue

由良神社02-01

由良といえば森鴎外の「山椒太夫」の舞台として全国的に知られ、
由良・石浦近辺は伝承に因む地が多く残っており、
ここ由良神社にも山椒太夫の伝説に縁のあるお寺が隣接しています。



由良神社02-04

由良神社02-05由良神社02-06由良神社02-07由良神社02-08


ナナモリ(普b-01)s由良神社拝殿の左手の小道を抜けますと、
真言宗東寺派 由良山 宝珠院・如意寺の境内に出ます。

如意寺はもとは由良神社(旧 熊野三所権現)の別当寺で、
地蔵堂には京都府指定文化財でもある地蔵菩薩坐像が安置されており、
この像は鎌倉時代の仏師・快慶の若い頃の作とのことです。


また、この地蔵菩薩坐像は「身代り地蔵」とも呼ばれ、
山椒太夫の物語の中で太夫に捕らわれていた安寿厨子王の姉弟が、
そのもとから逃げようとして見つかり罰として焼印を当てられますが、
一夜明けると姉弟の傷は癒え、この像に焼け跡があったという伝説があります。

森鴎外の小説の中ではこのことは夢の中の出来事となっていますが、
この像には実際に右肩に焼き印を押されたような跡があるそうです。


由良神社02-09

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ナナモリ(楽)sこの石塔は「山椒太夫首塚」です。

山椒太夫のもとから逃れ、父の冤罪を晴らし、
旧領とここ丹後の国司となった厨子王丸は、
恨らみ重なる山椒太夫を引捕え青竹の鋸で首引きの極刑に処します。


その太夫臨終の折、当寺住職の諭しに依り浄菩提心を発し、
「我れ今より後緒人の奇禍に遭う者あるを見ればそれを救うの誓願を立てん。
生来所造の諸悪の罪障この発願に依りて消滅せしめ給え」と唱えて息絶えたといいます。

後世に人々が太夫及びその一族の霊を憐れんで供養のために首塚として建てたのがこの宝篋印塔で、
南北朝時代乃至室町時代頃に作られ約六百年を経過しています。


由良神社02-14

由良神社から来たため裏から入ってきた形になりましたが、
こちらがお寺の正門です。

門の先に見える山が由良山です。

由良神社02-15

こちらのお寺のほかにもこの由良の地には山椒大夫に纏わる伝説の地が数多く点在し、
「首挽松の碑」や安寿が潮を汲んだ「汐汲浜」などがあり、
それらの山椒大夫の物語の伝説の地を巡ってみるのも良いかもしれません。


由良神社02-16

この道の奥へ行きますと由良神社の境内に出ます。


由良神社02-17

鳥居の先にうっすらと見えるのが日本海です。




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▼由良神社▼ - 2019.01.17 Thu

由良神社01-01

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ナナモリ(楽2)s京都府宮津市由良にある由良神社です。

京都府の北部を流れる由良川の河口近くに鎮座し、
近くには丹後街道が通り西に行くと天橋立に、
東に向かうと舞鶴へと続きます。


また神社の目の前には日本海が広がり、
夏には海水客で賑わう丹後由良海水浴場があります。


由良神社01-07

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ナナモリ(普b)s御祭神は伊弉諾命、櫛御気命、誉田別命神

明治になるまで熊野十二社大権現、あるいは熊野三所権現と称し、
かつては西御社と東御社が並立し西を上社として熊野三所を、
東を下社として九所を祀っていたそうです。
明治20年に京都の花の御所に鎮座していた花御所八幡を合祀し由良神社と改称されました。


ちなみに百人一首に修められた曾根好泉の和歌、
「由良の門を 渡る舟人 梶を絶へ 
                      行方も知らぬ 恋の道かな」
に出てくる「由良の門」はこの地のことで、
「門(と)」は海峡や水流の寄せ引く口の意味し、
河口で川と海が出会う潮の流れが激しい場所のことです。



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ナナモリ(普b-01)s殿背後に廻りますと、双耳峰の山容を目の前に見せる「由良ヶ岳」の姿を望めます。

由良ヶ岳は舞鶴市と宮津市に跨(またが)る標高640mの山で、
裾野を広げた山容から丹後富士とも呼ばれ、
江戸時代には虚空蔵ヶ岳とも呼ばれた修験道の聖山であり、
丹後天橋立大江山国定公園にも含まれて居ます。


また由良神社は旧日本海軍の軽巡洋艦「由良」の艦内神社の勧請元にもなっています。



由良神社01-18






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▼水無神社-御神木▼ - 2018.12.21 Fri

水無神社-木01


ナナモリ(楽2手2)s水無神社の鳥居横に立つ県指定天然記念物の大杉です。

樹高45m、枝張り幅20m、目通り6.45mもある大杉で、
その樹齢およそ800年と推定されるこの老杉は、
ずっとこの場所で神樹としてこの地の歴史と人を見守り続けています。




水無神社-木02






水無神社-木03


ナナモリ(驚)sこちらは拗の木と呼ばれる御神樹です。

元は絵馬殿の傍らにあったもので、
自然の作用により捻じ曲がった珍しいヒノキです。
ちなみに飛騨伝統の駄菓子「こくせん」はこのネジの木に似せて作ったもので、
お正月の参拝者のお土産になっています。


この木には2つ伝説があり第一には、
その昔、この大樹が社家や民家が日陰になるので、
伐って普請に使おうと相談しあったところ、
一夜の内に幹はもとより、梢まで捻じ曲がってしまい、
里人は神の祟りと恐れ謝ったという伝説が伝えられています。




水無神社-木04

第二の伝説では、
江戸時代中頃に、この地域で宮川が氾濫し高山の中橋が流され、
家屋や土蔵が多く流されるという甚大な被害が発生したため、
当時の代官・大原彦四郎は神社の大ヒノキを橋材として差し出すように命じました。

そこで困った神社側は一計を案じてこのネジの木を指し示し、
神意で一夜の内にねじれてしまったと説明したところ、
ほかの境内の木も切ることが取りやめになったと伝えられています。


水無神社-本殿16


ナナモリ(普b-01)sこちらは神門と拝殿の間にある「銀杏の木」です。

この銀杏は樹齢およそ800年と推定され、
落雷で折損した上部にイチイ・ナラ・ケヤキ・クルミなど、
やどり木が繁茂し見事な枝振りを見せ枝下から乳房状の下垂根が垂れている為、
古くより子の無い者は子が授かり、乳の出ない母は乳が授かるといわれています。


水無神社-木05


ナナモリ(普b)s島崎正樹宮司の歌碑です。

島崎正樹は明治の文豪藤村の父であり、
水無神社宮司として赴任し、
在任中には高山中教院の教導職教導職として多くの若者を指導したそうです。



島崎藤村の著書「夜明け前」の主人公青山半蔵のモデルとなった人で、
宮村の晩秋を詠める短歌「きのうけふ しぐれの雨と もみぢ葉と あらそひふれる 山もとの里」一首を碑としています。



水無神社-木06




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▼水無神社-摂末社▼ - 2018.12.16 Sun

水無神社-摂末社01

ナナモリ(楽2手2)s水無神社の絵馬殿です。

棟札には慶長12年(1607年)に高山城主・金森長近により造営されたとあり、
飛騨の百姓一揆「大原騒動」と因縁のある絵馬殿です。



安永7年(1778年)の百姓一揆「大原騒動」の際に、
水無神社神主の山下和泉、森伊勢の両名が農民に加担したとして処刑され、
神主が不在となったため信州より神主の梶原伊豆守家熊が招かれました。

梶原伊豆守家熊は従来の両部神道を改め唯一神道とし、
拝殿以外の仏像・仏具と社殿を破却、移転、改築を進めます。
やがて明治時代となり高山県知事の宮原積は社殿の造営をおこないましたが、
従来の入母屋造りに代え神明造りに統一した際に不釣合いとなったので拝殿は取り壊されました。

しかし、氏子達はこれを惜しみ建材を保管して、明治12年(1878年)に拝殿再興を願い出て浄財を募り、
元の位置に絵馬殿として復元され、その後、昭和29年にかつての社家跡に移築され現在に至っています。



水無神社-摂末社02


絵馬殿には稲喰神馬の黒駒・白駒が画かれた絵馬が飾られています。


水無神社-摂末社03


ナナモリ(普b-01)sこちらは神馬舎です。

稲喰(いなはみ)の馬という木造の神馬2頭が神馬舎に安置され、
作者は不詳となっていますが、
古来より名匠「左甚五郎」の作と言い伝えられています。



水無神社には古くから「稲喰神馬(いなはみしんめ)」という神馬の伝説が語り継がれ、
黒駒という神馬像は江戸時代の初期の頃、
毎夜、番場の神田を食い荒らした馬を追っていくと納屋の中に消えた為、
これは黒駒の仕業と考え両目を抜き取ったところ、
以来耕作地を荒らすことが止んだと伝えられています。

もう一方の白駒という神馬像は「祈晴の神馬」と呼ばれ、
元は黒駒でしたが明治15年に大池宮司が体は白く尾と髪が黒い川原毛と呼ぶ彩色に塗り換え、
明治36年に行われた大祭では飛騨一円の博労衆が醵金して再び黒馬に塗りかえ、
その後に大正天皇の御大典の記念として現在の白月毛に化粧され、
台輪も金具付きの立派なものになったといわれます。

毎年例祭前の祈晴祭には神前に黒駒と共に引き揃えて祈晴祭を執行するという古例があるそうです。


水無神社-摂末社05


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ナナモリ(普b)sこちらは末社の白川神社です。

御祭神は菊理姫命
合掌造りの里として知られる白川村の長瀬と福島、
それぞれの集落にあった氏神白山神社を遷座し、
合祀して白川神社として水無神社境内に創建されました。

世界遺産として有名な白川郷(荻町)は現在も合掌造りの里としてありますが、
同村の長瀬と福島は昭和32年の御母衣電源開発でダム湖底に沈むことになり、
それぞれの集落にあった氏子も解散されましたが、
氏神白山神社を飛騨国一宮の地に御遷座、両神社を合祀し白川神社として創建されました。


水無神社-摂末社09

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ナナモリ(普b-01)sこちらは本殿右手奥にある飛騨国一宮稲荷社です。

享保年間に徳川吉宗の命令で高山の代官だった長谷川忠崇が著した、
飛州志の飛州軍覧記・飛州千光寺記・飛州三沢記の内、
飛州三沢記に「一宮水明神往古より七宮なり」とあり、
稲荷社はその一宮に数えられています。

一時期本社に合祀となり社は無い状態になっていましたが、
昭和24年4月2日境内稲荷坂に新たに社殿を造営して遷宮され、
更に平成6年11月5日に新社殿が改築造営されました。



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水無神社-摂末社17





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