▼末廣神社(日本橋)▼ - 2012.06.25 Mon





江戸幕府が開かれる直前の慶長元年(1596)には、
すでにこの場所にはお稲荷様の祠が鎮座されていたそうです。
延宝3年(1675)に社殿を修復した際、
本殿から中啓(末廣扇)が出たことで末廣神社と称されるようになりました。





この場所は江戸時代に幕府の許可を得て、
庄司甚右衛門らが沼地であった近辺を開拓し遊女町を開いた場所で、
「葭」の字を、縁起の良い「吉」に替えて「吉原」としました。
これが吉原の起こりになります。
当社はその氏神として信仰を集めました。
後に明暦の大火で遊女町が移転し新吉原に対して元吉原と呼ばれるようになります。





日本橋七福神として末廣神社には、
“勇気授福の神”毘沙門天がお祀りされています。
ビルの間に隠れるようにしてある小さな神社ですが、
よく手入れされた樹木や敷き詰められた石畳と玉砂利が清々しい神社です。



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