▼鬼神社▼ - 2012.08.17 Fri





板柳駅から西へ約5Kmの地点、
鬼沢という集落の中に鎮座しています。
参道入口の大鳥居などには東北で多く見られる、
俵型の注連縄があり興味深くあります。





社伝によると延暦年間に坂上田村麻呂が
岩木山山頂奥宮に鎮まる高照比賣命の霊験により
岩木山麓に当社を勧請し、その後、現在地に移転した。
というのが一応の公式な由来となっています。





実際この地域では2月の節分の際に、
鬼沢の住人は節分の日に豆をまかないそうです。
そして端午の節句にヨモギや菖蒲を屋根に乗せません、
ことを習慣にしている家庭が非常にこの地域には多いようです。
このことから少なくとも、この神社の氏子さん達は高照比賣命ではなく
神様として祀られる鬼に豊作を祈願していると考えられます。





『むかし、弥十郎という村人が、岩木山中の赤倉で鬼と親しくなり、よく相撲を取って遊んでいました。
ですが鬼は自分のことを『誰にも言わないように』と弥十郎と約束を交わします。
ある時、弥十郎は水田を拓きますが、すぐ水がかれてしまうので困っていました。
その話を聞いた鬼は赤倉沢上流のカレイ沢から堰きを作って水を引きます。
村人はこれを喜び、この堰を鬼神堰とかさかさ堰とよび、鬼に感謝した。
ところが、弥十郎の妻が約束を破り、鬼を一目見ようとしたために、
鬼は堰を作るときに使った鍬とミノ笠を置いて去り、2度と姿を見せなくなりました。
弥十郎が残された鍬とミノ笠を持ち帰り、神社を建立して「鬼神社」と名づけ、
村人も感謝を込め村の名前も「鬼沢」としました。』





拝殿には扁額が飾られています。
この扁額には『鬼神宮』と書かれていますが、
この鬼という字には上部の「ノ」がありません。
これは、ツノのない優しい鬼だと言うことを表しているそうです。





鬼の正体は坂上田村麻呂に追われ岩木山麓に隠れ住んだ津軽の豪族であるとか、
卓越した製鉄技術や潅漑技術を持っていることなどから、
大陸から漂着した渡来人ではないかという説もあるそうですが、
真実は遠い彼方です。
また噂では拝殿裏の本殿下には広い地下室があり、
そこには永遠に錆びない巨大な剣が保管されているともいわれています。






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