▼水天宮(東京)▼ - 2012.10.30 Tue





福岡県・久留米市にある久留米水天宮の分社で、
久留米藩歴代藩主の有馬家により崇敬されていました。
文政元年に9代藩主有馬頼徳が江戸・三田の久留米藩江戸上屋敷に、
分霊を勧請したのが江戸の水天宮の創始です。





御祭神である安徳天皇は、わずか八歳で壇ノ浦の海へと入水されましたが、
その若さでの犠牲は、万民を救うという尊い御神慮であると称えられ大きな信仰を集めました。
安徳天皇を慈しみ育まれた建礼門院、ともに海中に沈まれた二位の尼もまた尊崇され、
水天宮に祀られております。





藩邸内にあったため一般人の参拝が難しかったが、
久留米藩江戸上屋敷へ塀越しにお賽銭を投げ入れる人が後を絶たず、
そこで毎月五の日には参拝を願う江戸庶民のため門戸を開放することになりました。
それが「どうでありまの水天宮」とうたわれ、有馬家と「情け深い」ことを掛けて、
「情けありまの水天宮」との洒落た言い習わしが広まり、
「恐れ入谷の鬼子母神」と共に江戸の二大流行語となります。





しかし一方で、官女の按察使局に守られて筑後に落ち延びたとの言い伝えが久留米にあります。
この地には平氏の旧臣・藤原種継が豪族として筑後におり、
筑後鷺野ヶ原(久留米)の千寿院で余生を送ったといわれています。
藤原種継の娘・玉江姫と恋仲になった安徳天皇は、
千寿院の井桁の傍らに咲く美しい椿の花を玉江姫に例えて
『椿は八千代を子と寿ぎ,井桁は深き契を宿すとかや』
と想いを秘め歌を送ったといわれ、水天宮ではその伝承に因んで椿の花を神紋としています。




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