▼函館八幡宮▼ - 2012.11.13 Tue





函館山の南東麓に東面して鎮座し、社地は函館市街を俯瞰する位置にあり、
遠くには海が見え、とても見晴らしのよい場所です。
市電・谷地頭線の谷地頭駅から神社まで続く参道には大きな鳥居があります。





また相殿には住吉大神と金刀比羅大神を配祀しております。
社伝では文安2年(1445年)亀田郡の領主であった河野政通が函館・元町に城を築く際、
城の鎮守として東南の隅に八幡神を勧請したのが始まりと伝えられています。
永正9年(1512)に河野氏は蝦夷の戦で城を追われ、
一族は八幡神を奉じてともに亀田郡赤川村(現・函館市赤川町)に逃れます。
その後、慶安2年(1649年)になり河野氏一族の巫女・伊知女(伊知子)が霊告を受け元の地へと戻りました。
明治になると北海道開拓使の崇敬社となり、
北海道の開拓に関わる神社として道民からの多大な崇敬を集めるようになりました。





その様式は滋賀の日吉大社の本殿とほぼ等しく、
社殿の形式は聖帝八棟造りといい聖帝造(日吉造)に、
八棟造(権現造とも言い本殿と拝殿とを中殿で連結)を併せた形となっています。





函館山中腹の函館八幡宮近くには『碧血碑』という石碑があります。
この石碑はされた戊辰戦争における旧幕府軍の戦死者を記念する慰霊碑で、
土方歳三や中島三郎助などをはじめとする約800人の戦死者を弔っています。
『碧血碑』の『碧血』とは荘子の、
「萇弘は蜀に死す。其の血を蔵すること三年にして. 化して碧と為る」という故事から来ており、
忠義を貫いて死んだ者の血は地中で三年経てば碧玉となるという伝説にちなみます。
この碑は伊豆産の石を使い、東京霊岸島で造り、海路運搬されたものだそうです。



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