▼天河大弁財天社の天石▼ - 2013.01.18 Fri


この地は『四石三水八ツの社』と言われる、
『四つの天から降った石、三つの湧き出る清水、八つの社』に囲まれし処とされ、
このことはここが神域であるということをあらわしています。
その内三つの石を神社の境内にてお祀りしているのが『天石』です。

一つ目の『天石』は拝殿に続く石段の右手にあります。



二つ目は、その石段の途中左手にある五社殿の前にあります。

三つ目は拝殿の前を通り、裏参道の階段を下りたところにある、
行者堂の左にひっそりとあります。
境内にある『天石』の案内板より。
「大峯弥山を源流とする清流は天の川にそそがれ坪内(壷中天)で蛇行し、
その形は龍をしのばせる。
鎮守の森、琵琶山の磐座に辨財天が鎮まり、古より多くの歴史を有す。」
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▼天河大弁財天社・後編▼ - 2013.01.15 Tue





ほかではあまり見ない本殿前に能舞台が設けられた様式は、
古くから悪霊を鎮めたり、祖霊を祀るために田楽が催されていた、
能の発祥の頃より関係の深い天河大弁財天社独特です。
現在でも芸能の神として深く信仰されており、
能楽者はもちろん芸能人やアーティストの参拝者が多いそうです。





能面三十一面、能装束三十点外に小道具、能楽謡本関係文書多数は、
いづれも安土桃山文化の逸品として世に知られ、
アメリカメトロポリタン美術館で催された「日本桃山美術展」へも数点が出品されました。
そのなかでも能楽の創始者世阿弥も使上したと思われる、「阿古父尉」を始め、
江戸初期面打ちの山崎兵衛が打った「猩々面」、
長谷寺所蔵のものと一対になっているといわれる「三番隻」・「黒色尉」
などが有名です。









天川は深山幽谷の地であったことが修行者たちの「行場」を開くきっかけとなり、
役小角により金峰山・大峰山が開山されて以来、山岳修験道の根本道場として栄えます。
そのためか天河大弁財天社には、
「しかるべき時、しかるべき状態」でないと参拝できない、
という神秘的な話もあります。


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▼天河大弁財天社▼ - 2013.01.10 Thu





「天川開山ハ役行者 -マエ立チノ天女ハ高野 大清層都コレヲ作ラシメ給フ」
と室町期の僧・英俊による多聞院日記に書かれており、
飛鳥時代に役行者の大峯開山に際し、
蔵王権現に先立って勧請され弥山の鎮守として祀られたのが創始となります。









元来の祭神名は弁財天で、神仏分離により市杵島姫命と称するようになりました。
弁財天信仰として「厳島、竹生島と並ぶ日本三大弁財天のひとつ」と言われています。
他に、熊野坐大神、吉野坐大神、
南朝四代天皇の御霊(後醍醐天皇、後村上天皇、長慶天皇、後亀山天皇)、
神代天之御中主神より百柱の神が配祀されています。









五十鈴は天河大弁財天社に古来より伝わる独自の神器で、
天照大御神が天岩屋戸にこもられたとき天宇受売命が、
ちまきの矛(神代鈴をつけた矛)につけた神代鈴と同様のものであると伝えられています。
この五十鈴の特徴的な三つの球形の鈴は、
「いくむすび」「たるむすび」「たまめむすび」
という三つの魂の状態(みむすびの精神)をあらわしているそうです。








・後編につづきます。
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