▼伊勢神宮ー風日祈宮▼ - 2020.07.06 Mon






内宮神楽殿授与所の向い側の参道を進み、
五十鈴川支流である島路川に架かる風日祈宮橋を渡りますと、
右手に鎮座しています。
古くにはこの島路川が五十鈴川本流とされ、
そのことからこの橋を五十鈴川橋とも呼んだそうで、
この橋の南端の擬宝珠には、
「太神宮風宮 五十鈴川御橋明応七年戊午本願観阿弥 敬白」
と刻まれています。






風日祈宮の由緒は定かではありませんが、
804年(延暦23年)の『皇太神宮儀式帳』に「風神社」とあり、
当初はは現在の末社に相当する格であり、
現在の摂社以下の扱いでありました。
末社相当でありましたが御祭神が農耕に重要な風雨をもたらす神であったことから、
神嘗祭では懸税(かけちから、稲穂)が供えられるなど重視された社ではありました。





当時、朝廷より二条為氏大納言が勅使として神宮に派遣され、
日本に押し寄せた元軍に対し風神社と風社で祈祷を行なったそうで、
後に日本が勝利し元軍が退却した事を神風による勝利とし、
1293年(正応6年)に風神社と風社は別宮に昇格され、風日祈宮と風宮となりました。

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▼伊勢神宮ー内宮▼ - 2020.06.24 Wed


正式名称は地名を冠しない「神宮」でありますが、
他の神宮と区別するために伊勢神宮と通称されており、
伊勢神宮には皇大神宮と豊受大神宮の二つの正宮があり、
一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と称されています。
古くから親しみを込められて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも呼ばれる、
神社本庁の本宗(ほんそう)、全国の神社の総親神社であります。






20年ごとに定期的に行われる遷宮「神宮式年遷宮」が有名で、
内宮・外宮の正宮の正殿を始めとする別宮以下の諸神社125社の正殿を造替して神座を遷し、
宝殿、外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎といった全社殿を造替する他、
714種1576点の御装束神宝を新しく作り変える盛大な行事となっています。
五十鈴川に架かる宇治橋は御遷宮に先駆けて新しく作り変えられ、
宇治橋の外と内に立つ大鳥居も新しく建てられますが、
内側の鳥居は内宮の旧正殿の棟持柱が、
外側の鳥居には外宮の棟持柱が再利用され用いられます。
ちなみにさらに20年経ちますと内側の鳥居は鈴鹿峠の「関の追分」、
外側の鳥居は桑名の「七里の渡し」の鳥居となります。






合流してなる五十鈴川は「御裳濯川」とも呼ばれ、
伊勢を御鎮座地と定めた倭姫命が御裳の裾を濯いだことから、
そう名付けられたと伝えられています。
五十鈴川の御手洗場に敷き詰められている石畳は、
元禄5年(1692)徳川綱吉の生母、桂昌院が寄進したものといわれ、
ここでは昔ながらに手水舎と同じように五十鈴川の澄んだ流れでお清めができます。














天孫降臨の際、天照大御神が邇邇芸命に授けた三種の神器の一つ八咫鏡に、
「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。(日本書紀)」として、
天照大御神自身の神霊を込めたとされ代々の天皇の側に置かれ祀られていました。
しかし崇神天皇5年に疫病が流行り、多くの人民が死に絶えた為、
疫病を鎮めるべく宮中に祀られていた天照大御神と倭大国魂神を皇居の外に移し祀るようになり、
その後、御鎮座地を求めて各地を移動し垂仁天皇25年に現在の伊勢神宮内宮に、
倭姫命によって御鎮座することになりました。
これらの歴史的経緯から伊勢神宮は歴史的に皇室・朝廷の権威との結びつきが強く、
現代でも内閣総理大臣及び農林水産大臣が年始に参拝することが慣例となっています。

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▼おはらい町・楓神社▼ - 2020.06.17 Wed
▼赤崎神社▼ - 2013.10.11 Fri






伊勢神宮を構成する125社のうち三重県鳥羽市に鎮座する唯一の神社で、
鳥羽市にある伊勢神宮に関係する施設としては、
赤崎神社のほかに国崎町に神宮御料鰒調製所があります。





荒崎姫命は国生神の御子で赤崎大神とも呼ばれ、
伊勢湾で漁れる外宮に奉納する御贄(みにえ)採取の守護神です。
国生神は伊勢地方に多く祀られている神で、
一説には素盞鳴尊の別称とも呼ばれています。





昔、この地方に流行病が発生した際に、
この宮域内の杉の小枝を門戸に吊るした家々が、
難を逃れたという言い伝えから6月22日を例祭日とし、
毎年例祭日には宮域内の杉の小枝を授かり、
家の玄関や門に吊り下げる風習が今も続いています。





「ゆかた祭り」は正確には赤崎祭りといい、
夏の到来を告げる鳥羽を代表する祭りとして、
鳥羽周辺や鳥羽沖の離島などから多くの人が訪れるそうです。
特に神輿とか神楽舞台などはありませんが、
その「ゆかた祭り」名の通り浴衣姿が行き交い、
街中の通りにはたくさんの露店が並ぶ、
昔ながらの情緒のあるお祭りとなっています。





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▼天岩戸-恵利原の水穴▼ - 2013.07.30 Tue






伊勢志摩国立公園内の逢坂山の中腹にあり、
神路ダムの脇にある鳥居から細い道を進み、
途中、茶屋跡を過ぎれば天の岩戸の駐車場に着きます。
駐車場からは岩戸から流れてくる小川の横を奥へと歩いて進みます。
現在の広く歩きやすいこの参道は大正時代に真珠王の御木本幸吉さんが、
一人でも多くの方が訪れていただけるようにと改修されたものだそうです。









伊勢志摩国立公園内の逢坂山の中腹にある洞窟から湧き出るこの水は、
全国名水百選にも選ばれ、志摩用水の源水として大切に環境維持をされています。
『恵利原の水穴』から湧き出る水は禊滝になっており、
多くの修行者の方々が修行に来られるそうです。









風穴への案内板から山道をしばらく進むと、
山の岩肌にポッカリと風穴が現れます。
この風穴からは絶えず風が吹き出しているそうで、
近くに寄ると冷やりとした風と不思議な音が聞こえてきます。



天の岩戸と言われる場所は全国に何箇所かあり、
ここもその一つです。
この天の岩戸『恵利原の水穴』から湧き出る水は、
神路川となり伊勢神宮の背後の山に流れことから、
昔は「裏の五十鈴川」とも呼ばれていたそうです。
天照大御神が隠れ住まわれたという伝説の場所の名に相応しく、
荘厳で清らかな感じのする場所です。

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