▼箸墓古墳▼ - 2013.02.15 Fri

〈神御前神社方面から見た箸墓古墳〉

纒向遺跡の箸中に所在する箸中古墳群の盟主的古墳であり、
出現期古墳の中でも最古級と考えられている3世紀半ばすぎの大型の前方後円墳です。
最古級の前方後円墳によくみられるように
前方部が途中から撥型(ばちがた)に大きく開く墳形となっています。
規模は墳長およそ278メートル、後円部は径約150メートル、
高さ約30メートルで前方部は前面幅約130メートルで高さ約16メートル。
本来はもう一回り大きかったものと考えられています。

また『魏志倭人伝』に卑弥呼の墓について、
「大作冢、徑百餘歩、葬者奴婢百餘人。」
(大いに冢を作る、径は百余歩、旬葬する者は奴婢百余人。)と書かれており、
この古墳の後円部の直径が卑弥呼の円墳の直径「徑百餘歩」にほぼ一致すること
前方部が後世に付け加えられた可能性があることなどから、
箸墓古墳が卑弥呼の墓ではないかとする説もあるそうです。
現在は宮内庁により第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓として管理され、
「陵墓参考地」としての指定を受けており研究者や国民の墳丘への自由な立ち入りは禁止されています。

〈桧原神社方面山中から見た箸墓古墳〉
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▼神御前神社▼ - 2013.02.14 Thu





大神神社の北西、茅原の集落の中にあり、
三輪山を背景に鎮座しています。
『日本書紀』にある崇神天皇が百官を率いて八百万神々を招いて占いをした場所、
「神浅茅原(あむあさじがはら)」はこの地だと言われます。





御祭神である倭迹迹日百襲姫命は第7代・孝霊天皇の皇女で、
大物主大神の神託を受けられる巫女として第10代・崇神天皇の祭り事を助けます。
『日本書紀』では三輪大神(大物主大神)の神妃と伝えられ、
三輪神婚説話では箸墓古墳に鎮まる女神として広く知られ、
また邪馬台国、大和説では女王・卑弥呼として語られています。
陵墓である箸墓古墳(はしはかこふん)はこの神社の西方にあり、
社殿と正対した場所にあります。


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