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2020-05

▼氷川女体神社(氷川女體神社)▼ - 2011.08.20 Sat

氷川女体神社01氷川女体神社02氷川女体神社03氷川女体神社04



ナナモリ(楽2手2)s埼玉県さいたま市緑区にある氷川女体神社(氷川女體神社)です。

2000年ほど前の第10代崇神天皇の時代に出雲の神を御室( 現在は三室)の地に勧請したのが始まりと伝えられています。
大宮氷川神社とともに武蔵国一の宮と云われ、江戸期には寺社奉行直轄神社として諸国大社19社の1つに数えられてきた由緒ある神社です。




氷川女体神社05氷川女体神社06氷川女体神社07氷川女体神社08



ナナモリ(楽2)s御祭神は奇稲田姫命大己貴命三穂津姫命

大宮の氷川神社を「男体社」、当社を「女体社」と称されています。
女体の名の通り奇稲田姫命(大宮氷川神社の祭神である須佐之男命の妻)を主祭神としています。




氷川女体神社09氷川女体神社10氷川女体神社11氷川女体神社12



ナナモリ(普b-01)sまた、一説には女体社男体社(大宮氷川神社)、見沼区中川にある中山神社の三社を合わせて、武蔵国一宮と称されていたとも伝えられています。

実際に三社は一直線場に配置されており、氷川女体神社の拝殿には、武蔵国一宮の扁額が掲げられています。




氷川女体神社13氷川女体神社14氷川女体神社15氷川女体神社16



ナナモリ(楽3)s中世以来、武士の崇敬を集めており鎌倉北条氏、小田原北条氏などに縁のある書物や宝物が多く所蔵され、徳川将軍家からも社領50石を寄進されていました。

一般公開はしていませんが、所蔵する文化財が多いことで知られ「埼玉の正倉院」とも呼ばれているそうです。




氷川女体神社17氷川女体神社18氷川女体神社19氷川女体神社20



ナナモリ(楽)s境内前の御幸道のつき当たりには「磐船祭祭祀遺跡」があります。
元々、氷川女体神社で最も重要な祭祀は見沼で行われていた御船祭でした。

享保12年に見沼が干拓され、見沼での御船祭が行えなくなります。
そこで、見沼の一部であった場所に柄鏡形の土壇場を設け、周囲に池をめぐらし祭祀場を設け、そこで御船祭の代わりとなる「磐船祭」を行うようになります。


その祭りも明治初期以降行われなくなりましたが、当時の遺跡が今も良い状態で残されています。




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▼宗像神社(大宮氷川神社・摂社)▼ - 2011.08.17 Wed

宗像神社(氷川神社境内社)01宗像神社(氷川神社境内社)02宗像神社(氷川神社境内社)03宗像神社(氷川神社境内社)04


ナナモリ(楽3)s大宮氷川神社の境内にある摂社・宗像神社です。

見沼の名残である神池の中島に建っています。
かつて大きな見沼の畔にあった氷川神社にはその名残の池が多くあり、現在も本社の奥の森に蛇池と呼ばれる泉から湧き出す水が池を満たしているそうです。



宗像神社(氷川神社境内社)05宗像神社(氷川神社境内社)06宗像神社(氷川神社境内社)07宗像神社(氷川神社境内社)08



ナナモリ(楽)s宗像神社の御祭神宗像三女神
多起理比売命(タキリヒメ)・市寸島比売命(イチキシマヒメ)・田寸津比売命(タギツヒメ)の三女神を奉っています。

宗像三女神は誓約において、天照御大神須佐之男命の十拳剣を譲り受けて天照御大神の息から生まれたとされており、須佐之男命の物実(ものざね)から化生したので須佐之男命の子と伝えられています。



宗像神社(氷川神社境内社)09宗像神社(氷川神社境内社)10宗像神社(氷川神社境内社)11宗像神社(氷川神社境内社)12




ナナモリ(笑)sまた、宗像三女神弁才天と同一視されることも多く、古くから弁才天を祭っていた社では明治の神仏分離以降、宗像三女神または市杵嶋姫神を祭っているところが多いようです。

そういえば見沼周辺には「見沼七弁天」というのがあるそうです。


現在、宗像系神社の数は全国5位となっています。


宗像神社(氷川神社境内社)13宗像神社(氷川神社境内社)14

▼氷川神社(大宮・総本社)▼ - 2011.08.14 Sun

氷川神社(大宮・総本社)01氷川神社(大宮・総本社)02氷川神社(大宮・総本社)03氷川神社(大宮・総本社)04



ナナモリ(楽2手2)s埼玉県さいたま市大宮区にある氷川神社です。

関東を中心に各地にある氷川神社の総本社でもあります。

大宮という地名は氷川神社を「大いなる宮居」・「大宮」と称えたことに由来し、他の氷川神社と区別するために「大宮氷川神社」とも呼ばれます。


氷川神社(大宮・総本社)05氷川神社(大宮・総本社)06氷川神社(大宮・総本社)07氷川神社(大宮・総本社)08



ナナモリ(楽3)s御祭神須佐之男命奇稲田姫命大己貴命

同じ須佐之男信仰でも「祇園信仰」とは異なり、自然神である氷川神(ひかわのかみ)と須佐之男命が習合した独特の「氷川信仰」というのがあります。




氷川神社(大宮・総本社)09氷川神社(大宮・総本社)10氷川神社(大宮・総本社)11氷川神社(大宮・総本社)12



ナナモリ(普b-01)s氷川信仰とは、農業用水として役割が大きい半面氾濫を起こす荒川の本支流域が多く分布するこの地域に、ヤマト族や出雲族の信仰に自然信仰が融合したと考えられているものです。

氷川神(ひかわのかみ)は「延喜式神名帳」に記載される神で、正四位上まで昇ったとされます。
起源は、出雲国の簸川(ひかわ、現:斐伊川)に由来する出雲族の産土神とも見沼の水神とも謂われる、自然神です。



氷川神社(大宮・総本社)13氷川神社(大宮・総本社)14氷川神社(大宮・総本社)15氷川神社(大宮・総本社)16



ナナモリ(普)s創建は社伝によると今から凡そ2000年ほど前、第五代・孝昭天皇の御代三年四月未の日の御創立と伝えられています。

景行天皇の時代には、日本武尊が東征のおり当地に足をとめて祈願され、成務天皇の時代には出雲の兄多毛比命(えたもひのみこと)が武蔵国造となり、当社を崇敬します。

この一帯は出雲族が開拓した地であり、武蔵国造は出雲国造と同族とされ、社名の「氷川」も出雲の「簸川」(現在の斐伊川)に由来するという説があります。

その後、平安時代後期に関東地方を実質的に支配していた武士に幅広く信仰され、荒川流域に数多くの分社が建てられ、武蔵国中に広がりました。


氷川神社(大宮・総本社)17氷川神社(大宮・総本社)18氷川神社(大宮・総本社)19氷川神社(大宮・総本社)20


ナナモリ(困)s現在の氷川神社の位置は、かつて見沼原と呼ばれる見沼の畔でありました。

氷川神社の神池は見沼の名残で、もともと氷川神社は見沼の水神を祀ったことから始まったと考えられています。

また大宮の氷川神社・中川の中氷川神社(現・中山神社)・三室の氷川女体神社の三社が男体社・女体社・簸王子社として一体の氷川神社を形成していたという説もあります。



氷川神社(大宮・総本社)21氷川神社(大宮・総本社)22氷川神社(大宮・総本社)23氷川神社(大宮・総本社)24


ナナモリ(笑)s氷川神社の御神紋は八雲紋
御祭神須佐之男命の有名な八雲の歌に由来するものです。

また当社の神輿は三之鳥居を出ないのが決まりで、須佐之男命天照大御神への服従をしめすものといわれています。




▼氷川神社 (新宿区)▼ - 2011.08.12 Fri

氷川神社(下落合)01氷川神社(下落合)02氷川神社(下落合)03氷川神社(下落合)04


ナナモリ(笑)s東京都新宿区下落合にある氷川神社です。
江戸時代には下落合村の鎮守であり、下落合氷川神社とも呼ばれています。

由緒は定かではありませんが、第5代天皇・孝昭天皇の時代(紀元前5世紀)の創建ともそれ以前とも伝えられています。



氷川神社(下落合)05氷川神社(下落合)06氷川神社(下落合)07氷川神社(下落合)08



ナナモリ(楽3)s御祭神は素盞嗚命、奇稲田姫命、大己貴命。

素盞嗚命と奇稲田姫命は夫婦神。
大己貴命は大国主の若い頃の名で「日本書紀」では素盞嗚命の子「日本書紀」では素盞嗚命6世の孫とも記されています。

また境内には三峯社、天祖社、稲荷社、諏訪社、浅間社などが合祀されています。



氷川神社(下落合)09氷川神社(下落合)10氷川神社(下落合)11氷川神社(下落合)12



ナナモリ(楽)s江戸時代には豊島区高田にある氷川神社の御祭神が素盞嗚命一座であるため「男体の宮」と称され、下落合の氷川神社が妻にあたる奇稲田姫命一座であったので「女体の宮」と称されました。

二つあわせて「夫婦の宮」と言われ夫婦一対神として信仰されていました。




氷川神社(下落合)13氷川神社(下落合)14氷川神社(下落合)15氷川神社(下落合)16



ナナモリ(驚)s
境内には見事な獅子山があり「慶應元年(1865)六月吉日/石工 兜木文蔵 作」と書かれています。

獅子山の下には子獅子が居ますが、珍しく雄獅子のほうを見上げています。



氷川神社(下落合)17氷川神社(下落合)18氷川神社(下落合)19


▼氷川神社(高尾)▼ - 2011.08.09 Tue

氷川神社(高尾)01氷川神社(高尾)02氷川神社(高尾)03氷川神社(高尾)04




ナナモリ(楽3)s京王線の終点「高尾山口」の北斜面にある氷川神社です。

記録によると応永年間に片倉城主・毛利備中守師親が武蔵一ノ宮の氷川神社を勧進したと伝えられています。
その後、寛文2年に再建され高尾の総鎮守となります。





氷川神社(高尾)05氷川神社(高尾)06氷川神社(高尾)07氷川神社(高尾)08



ナナモリ(哀)s現在の社殿は昭和27年に建築。

昭和40年の台風により境内にあった樹齢300年の大木や
そのほかの御神木のほとんどが根こそぎ倒されてしまいました。




氷川神社(高尾)09氷川神社(高尾)10氷川神社(高尾)11氷川神社(高尾)12



ナナモリ(楽)s御祭神素盞嗚尊
縁結びと五穀豊穣の神様です。

八月の例祭では五穀豊穣・悪魔退散を祈願して神輿と獅子舞が奉納されます。

もともとこの神事は狭間の氏子により奉納されていましたが、明治4年の行政区域変更で現在の狭間(はざま)町の御嶽神社に移りました。
そこで狭間より原集落の氏子が継承し、翌年の明治5年に氷川神社が原地区の鎮守になり新たに若者が舞い始めたのが始まりと記録には残っています。


氷川神社(高尾)13氷川神社(高尾)14


ナナモリ(楽2)s
人通りの多い高尾山へと向かう道とは逆方向にあるため、訪れる人は少なく静かで落ち着いた神社です。






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