▼賀茂御祖神社(下鴨神社)▼ - 2013.03.19 Tue





古来、京都は鴨川を中心に町づくりがなされ、
その鴨川の下流にお祀りされている神社というところから
『下鴨神社(しもがもじんじゃ)』『下鴨さん』と親しくよばれています。
また賀茂御祖神社はユネスコの世界文化遺産に、
「古都京都の文化財」の1つとして登録されています。





賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は、古代に京都をひらかれた神さまで、
山城の国一宮・京都の守護神として祀られています。
玉依姫命(たまよりひめのみこと)は賀茂建角身命の子であり
賀茂別雷命(上賀茂神社の祭神)の母神さまでもあります。
二神がお祀りされている西殿と東殿はともに国宝として指定されています。





糺の森は賀茂川と高野川の合流地点に発達した原生林で、
この一帯が山城国と呼ばれていた頃の植物相をほぼ留めており、
森林の全域が1983年(昭和58年)に国の史跡として指定を受け、
2万4千平方メートルの面積の森が保護されています。
かつて京都に平安京が置かれていた時代には、
約495万平方メートルの広さがありましたが、
応仁の乱の兵火により総面積の7割を焼失してしまいました





その七不思議は、
・連理の賢木(れんりのさかき)
「縁結びの神を祀る相生社の脇に密集して立つ3本の賢木で、
そのうち2本が上のほうでひとつに繋がっていています。
また、今ある木が枯れても、必ず糺の森のどこかで跡継ぎが育っているといわれています」
・なんでも柊
「比良木社の近くに植えられた木の葉は、
すべて柊の葉のようになってしまうといわれており、
柊は鬼が嫌う木とされ、災いを祓ってくれると信仰されています」
・赤椿
「下鴨神社の神主は位が高く勅使やお使いの人の方が位が低かったこともあり、
神主の装束が目立たないようにするために赤い椿をあちこちに植えたといわれています」
・泉川の浮石(烏縄手)
「烏縄手の入口近くにある紅葉橋のたもとには雨乞いを祈願する「こがらし社」があり、
願いがかなって雨が降るときには、紅葉橋の下を流れる泉川の小石が飛び跳ねたともいわれています。」
・御手洗池(みたらしのいけ)
「普段は水の量も少なく流れもほとんどないのですが、御手洗祭が近づくと水が湧き出すそうです。」
・御手洗川の泡
「御手洗池の底から水が湧き出すとき、玉のような泡が浮き上がってくるといわれています。
またそのことに関連して、
鎌倉時代に後醍醐天皇が御手洗池の水をすくったところ、
最初にひとつ、少し間があってから4つの泡が浮き上がった故事にちなみ、
下鴨神社名物のみたらし団子が作られたといわれています」
・奈良殿神地(船ヶ島)
「奈良小川と泉川の三角州である船ヶ島には『奈良殿神地』があり、
ここで願掛けをして奈良小川の流れをかき回し、小石が跳ねたら願いが叶うといわれています」
以上が『賀茂御祖神社の七不思議』です。





代表的なのが五つあり、
・葵祭の祭事に先立ち糺の森を祓い清めるための神事『流鏑馬神事』
・葵祭の前儀として行われ糺の森にて東游の舞が奉納される『御蔭祭』
・石清水祭、春日祭と共に三勅祭の一つであり、賀茂御祖神社と賀茂別雷神社の例祭『葵祭』
・御手洗池の湧水に足を浸して健康を祈願する行事(足付け神事)の『御手洗祭』
・御手洗池に斎竹(いみだけ)と斎矢(いみや)を立て、氏子らが50本の斎矢を一斉に争奪する『矢取神事』
この五つの祭りは毎年盛大に執り行われています。
中でも『葵祭』は特に有名で、
日本の祭のなかでは数少ない王朝風俗の伝統が残され、
葵の花を飾った平安装束の斎王代の雅な行列が壮麗です。
『憂き世をば今ぞ別るるとどまらむ名をば糺の神にまかせて』
(紫式部・源氏物語-「須磨」)




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