▼氷川女体神社(氷川女體神社)▼ - 2011.08.20 Sat





2000年ほど前の第10代崇神天皇の時代に出雲の神を御室( 現在は三室)の地に勧請したのが始まりと伝えられています。
大宮氷川神社とともに武蔵国一の宮と云われ、江戸期には寺社奉行直轄神社として諸国大社19社の1つに数えられてきた由緒ある神社です。





大宮の氷川神社を「男体社」、当社を「女体社」と称されています。
女体の名の通り奇稲田姫命(大宮氷川神社の祭神である須佐之男命の妻)を主祭神としています。





実際に三社は一直線場に配置されており、氷川女体神社の拝殿には、武蔵国一宮の扁額が掲げられています。





一般公開はしていませんが、所蔵する文化財が多いことで知られ「埼玉の正倉院」とも呼ばれているそうです。





元々、氷川女体神社で最も重要な祭祀は見沼で行われていた御船祭でした。
享保12年に見沼が干拓され、見沼での御船祭が行えなくなります。
そこで、見沼の一部であった場所に柄鏡形の土壇場を設け、周囲に池をめぐらし祭祀場を設け、そこで御船祭の代わりとなる「磐船祭」を行うようになります。
その祭りも明治初期以降行われなくなりましたが、当時の遺跡が今も良い状態で残されています。

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