◎あちこち神社◎
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2017-06

▼志賀理和氣神社-「南面の桜」▼ - 2013.09.09 Mon

志賀理和気神社-南面の桜01

志賀理和気神社-南面の桜02志賀理和気神社-南面の桜03

ナナモリ(普b-01)s志賀理和氣神社にある『南面の桜』です。

志賀理和氣神社の参道は、
エゾヒガンザクラの古桜並木が有名で町の天然記念物となっています。

そのなかで境内入口の鳥居近くにある柵に囲まれた一本の桜は、
南面の桜』または『縁結びの桜』と呼ばれています。

南面の桜』について次のような伝説が伝えられています。

■南北朝時代のこと、戦の続く都から逃れ中納言藤原頼之という公家が、この社前に居住しておりました。

桜が好きな頼之は住家や神社、村の所々に桜を植えたので、
里人は頼之を桜町中納言とあがめて、いつしかその辺を桜町というようになりました。

ある年、川向こうの大巻館の殿様が娘の桃香姫と共に参拝がてら花見に訪れ、
中納言の頼之も加わって、賑やかな花見の宴が開かれ、
舞い踊る美しい桃香姫の優しい歌声に、頼之は心を惹かれ、
桃香姫もまた頼之のりりしい気高さに惹かれ、二人は相思相愛の仲となります。

しかしその幸せは長く続かず、都の戦が終わり頼之は帰らねばならなくなり、
「来年の桜の花が咲く頃に迎えに来るから、その時まで待ってほしい」
と桃香姫に約束し二人で一本の桜を植え別れました。

やがて待っていた春となり桜が咲き、
夏も過ぎ冬となって1年たっても迎えも便りもなく、
また、春となり桜の花の咲く頃となり神社の桜並木に来た時、
二人で植えた桜だけが都の方向、南面に向かって咲いているのを見つけます。

それを見た桃香姫は1日も早く迎えが来ますよう、
社に祈願を重ね、桃香姫は胸の内を桜にたとえ。

『南面の桜の花は咲きにけり
          都の麻呂にかくと告げばや』

という和歌を作り、都の頼之へ送りました。

都の藤原頼之の元に届いた和歌の便りに、
ひたむきな心に胸を打たれ、
不音を深く詫び、程なく迎えにきて二人は結ばれたということです。


それからというもの、この桜は『南面の桜』と呼ばれるようになり、
縁結びの桜として知られるようになりました。


またこの『南面の桜』は樹齢700年をこえる古木でもあり、
その命の長さは岩手県下一とされています。



志賀理和気神社-南面の桜04




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▼志賀理和氣神社-赤石▼ - 2013.09.04 Wed

志賀理和気神社-赤石03

志賀理和気神社-赤石01

ナナモリ(楽)s志賀理和氣神社(赤石神社)にある霊石『赤石』です。

室町時代の領主・斯波孫三郎詮直公が北上川で見つけた赤い石で、
川底の赤石の上に立つ波が紫色に輝くのを見て、
「けふよりは紫波と名つけんこの川の石にうつ波紫に似て」の一首を詠じ、
以来、斯波、志波、志和など様々に表記されてきた地名が紫波と改められたとされています。

長く本殿後方に御神体として祀られていましたが、
昭和59年に神社創立1180周年を機に現在の場所に移されました。

志賀理和気神社-赤石02

ナナモリ(楽2)sこの『赤石』は乾いている状態では紫に、水に濡れると赤くなります。

この日はちょうど雨の後で、
『赤石』というその名の通りに赤い石となっていました。

またこちらの志賀理和氣神社(赤石神社)では、
お守りとして赤石の欠片の入ったお守りを授与させていただくことができます。


志賀理和気神社-赤石04





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▼志賀理和氣神社(赤石神社)▼ - 2013.09.03 Tue

志賀理和気神社01志賀理和気神社02志賀理和気神社03志賀理和気神社04


ナナモリ(楽2手2)s岩手県紫波郡紫波町にある志賀理和氣神社です。

花巻から盛岡へと向かう中間地点の紫波町にあり、
北上川の西岸に鎮座しています。

延喜式神名帳に記されている神社としては、
日本最北に位置する神社となっています。


志賀理和気神社05志賀理和気神社06志賀理和気神社07志賀理和気神社08

ナナモリ(普b-01)s御祭神は經津主命武甕槌命

延暦二十三年(804)に坂上田村麻呂
東北開拓の守護神である香取・鹿島の二神を当地の鎮守として、
斯波加里の郷鳰が磯野(現在地)に勧請合祀したと伝えられています。

志賀理和氣神社の読み方には、
「しがりわけ」「しがりわき」「しかりわけ」など、
いろいろと読み方があります。

また境内に霊石である『赤石』があることから、
赤石さん」・「赤石神社」とも通称されています。


志賀理和気神社13志賀理和気神社14志賀理和気神社15志賀理和気神社16


ナナモリ(普)sこの地は延暦年間の坂上田村麻呂よる東北征討の地でもあります。

志賀理和氣神社の創始となる延暦年間は、
朝廷の力の及ばぬ東北の地で幾度となく、
朝廷遠征軍とこの地の蝦夷軍との間で戦いが行われていました。

そしてこの志賀理和氣神社が創始された年は東北討伐の山場を迎え、
坂上田村麻呂と東北の指導者・阿弖流為(アテルイ)との戦いに決着が着いた頃です。

降伏した阿弖流為が処刑されたのち、
ここに志波城が築かれ盛岡市より南の地域が、
大和朝廷に統治されることとなります。


志賀理和気神社09志賀理和気神社10志賀理和気神社11志賀理和気神社12

志賀理和気神社17志賀理和気神社18志賀理和気神社19志賀理和気神社20



ナナモリ(楽2)s志賀理和氣神社の境内は広く『赤石』『南面の桜』などがあります。

この紫波の地の名の由来となった霊石『赤石』はとくに有名で、
地元では赤石神社と呼ばれることが多く、
参道前のバス停の名も「赤石神社前」となっているほどです。

春になると当神社参道には
エゾヒガンザクラの並木が綺麗な花を咲かしますが、
その中で一本だけ作に囲まれている大きな古木があります。

それは『南面の桜』といわれる木で、
古の恋の伝説があり「縁結びの桜」とも呼ばれています。


このように延喜式神名帳にある延喜式内社で、
日本最北に位置するこの神社が鎮座する地は、
数々の伝説が残されている歴史ある場所でもあります。


『御社はとまれかくまれ志賀理和氣 我が十郡の国のみさき』
 (南部藩主・南部利視公)


志賀理和気神社21志賀理和気神社22志賀理和気神社23志賀理和気神社24


志賀理和気神社25志賀理和気神社26志賀理和気神社27





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