▼氷川神社(大宮・総本社)▼ - 2011.08.14 Sun





関東を中心に各地にある氷川神社の総本社でもあります。
大宮という地名は氷川神社を「大いなる宮居」・「大宮」と称えたことに由来し、他の氷川神社と区別するために「大宮氷川神社」とも呼ばれます。





同じ須佐之男信仰でも「祇園信仰」とは異なり、自然神である氷川神(ひかわのかみ)と須佐之男命が習合した独特の「氷川信仰」というのがあります。





氷川神(ひかわのかみ)は「延喜式神名帳」に記載される神で、正四位上まで昇ったとされます。
起源は、出雲国の簸川(ひかわ、現:斐伊川)に由来する出雲族の産土神とも見沼の水神とも謂われる、自然神です。





景行天皇の時代には、日本武尊が東征のおり当地に足をとめて祈願され、成務天皇の時代には出雲の兄多毛比命(えたもひのみこと)が武蔵国造となり、当社を崇敬します。
この一帯は出雲族が開拓した地であり、武蔵国造は出雲国造と同族とされ、社名の「氷川」も出雲の「簸川」(現在の斐伊川)に由来するという説があります。
その後、平安時代後期に関東地方を実質的に支配していた武士に幅広く信仰され、荒川流域に数多くの分社が建てられ、武蔵国中に広がりました。





氷川神社の神池は見沼の名残で、もともと氷川神社は見沼の水神を祀ったことから始まったと考えられています。
また大宮の氷川神社・中川の中氷川神社(現・中山神社)・三室の氷川女体神社の三社が男体社・女体社・簸王子社として一体の氷川神社を形成していたという説もあります。





御祭神・須佐之男命の有名な八雲の歌に由来するものです。
また当社の神輿は三之鳥居を出ないのが決まりで、須佐之男命の天照大御神への服従をしめすものといわれています。
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