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2017-08

▼猿田彦神社(伊勢)-佐瑠女神社・御神田▼ - 2015.01.13 Tue

猿田彦神社(伊勢)-佐瑠女神社・御神田01

猿田彦神社(伊勢)-佐瑠女神社・御神田02猿田彦神社(伊勢)-佐瑠女神社・御神田03猿田彦神社(伊勢)-佐瑠女神社・御神田04猿田彦神社(伊勢)-佐瑠女神社・御神田05

ナナモリ(喜2)s猿田彦神社の境内社・佐瑠女神社(さるめじんじゃ)です。

猿田彦神社の本殿に向かい合うように建っており、
佐瑠女神社の御本殿は朱色の漆に塗りあげられた、
色鮮やかな八角形をした芸能の神様らしい御本殿となっています。


猿田彦神社(伊勢)-佐瑠女神社・御神田06猿田彦神社(伊勢)-佐瑠女神社・御神田07猿田彦神社(伊勢)-佐瑠女神社・御神田08猿田彦神社(伊勢)-佐瑠女神社・御神田09


ナナモリ(普b-01)s御祭神は天宇受売命(あめのうずめのみこと)

天照大御神が天岩窟に籠られたときに八百万の神様の前で神楽をされた逸話から、
俳優(わざおぎ)、神楽、技芸、鎮魂の祖神と仰がれています。
また天孫降臨の際に天津神と国津神との間を取り持った神様であることから、
良縁・縁結びの神様としても有名です。


天宇受売命は天孫降臨の御一行を迎えられた猿田彦大神と最初に対面し、
高千穂の峯に至る道を開く御啓行(みちひらき)後、
詔により猿田彦大神と共に五十鈴の川上の地に来られとき、
その功により『猿女君』という称号を授けられ、
その一族は代々朝廷に仕える巫女の一族となりました。

一説には古事記の編纂者の一人である稗田阿礼は、
天宇受売命を始祖とする猿女君と同族の者だったとも言われています。


猿田彦神社(伊勢)-佐瑠女神社・御神田17

猿田彦神社(伊勢)-佐瑠女神社・御神田10猿田彦神社(伊勢)-佐瑠女神社・御神田11猿田彦神社(伊勢)-佐瑠女神社・御神田12猿田彦神社(伊勢)-佐瑠女神社・御神田13



ナナモリ(楽)s猿田彦神社の『御神田』です。


猿田彦神社本殿の裏手にあり、
毎年5月5日には豊作を祈って早苗を植えるお祭り「御神田祭」が行われます。



桃山時代の衣装をつけた植方が、のどかな田楽に合わせて早苗を植え、
田植えの後は豊作豊漁を占う団扇角力神事や拝殿前の豊年踊で賑わう、
初夏の訪れを告げる伊勢の風物詩となっています。

その祭りの際には神饌として飛魚を献上するというちょっと変わった風習があります。

猿田彦神社(伊勢)-佐瑠女神社・御神田15猿田彦神社(伊勢)-佐瑠女神社・御神田16猿田彦神社(伊勢)-佐瑠女神社・御神田18

猿田彦神社(伊勢)-佐瑠女神社・御神田14







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▼猿田彦神社(伊勢)▼ - 2015.01.11 Sun

猿田彦神社(伊勢)01

猿田彦神社(伊勢)02猿田彦神社(伊勢)03猿田彦神社(伊勢)04猿田彦神社(伊勢)05



ナナモリ(楽2手2)s三重県伊勢市にある猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)です。

伊勢神宮外宮から内宮へ向かう御木本道路と、
近鉄五十鈴川駅から内宮へと向かう道路が交わる交差点に鎮座しています。


旧社格は無格社(社格がないという意味ではなく「無格社」という社格)で、
第二次大戦後は別表神社となりました。


猿田彦神社(伊勢)06猿田彦神社(伊勢)07猿田彦神社(伊勢)08猿田彦神社(伊勢)09



猿田彦神社(伊勢)10猿田彦神社(伊勢)11猿田彦神社(伊勢)13猿田彦神社(伊勢)15



ナナモリ(普b-01)s御祭神は猿田彦大神と大田命

猿田彦大神は天孫降臨の際に高千穂に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を御案内した後、
妻である天宇受賣命(あめのうずめのみこと)と一緒にこの地に戻り、
本拠地の「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地より、
ここを始め全国の開拓にあたられました。


本殿は「さだひこ造り」と呼ばれる特殊な妻入造で、
欄干や鳥居には八角形の柱が使用されています。

猿田彦神社(伊勢)14

猿田彦神社(伊勢)17猿田彦神社(伊勢)18猿田彦神社(伊勢)19猿田彦神社(伊勢)20

ナナモリ(楽3)s相殿の御祭神・大田命はその猿田彦大神の子孫にあたる人物です。

神宮第一の古典『皇大神宮儀式帳』や『倭姫命世記』によりますと、
倭姫命が神宮鎮祀の場所を求めてこの地に巡幸された折に、
大田命は天照大御神を祀る地として倭姫命に五十鈴川川上の地を献上し神宮が創建され、
大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し神宮に玉串大内人として代々奉職しました。


その宇治土公の一族は邸宅内の屋敷神として祖神の猿田彦大神を祀っており、
明治時代に入り神官の世襲が廃止されることになった際には、
屋敷神を改めて神社としここに猿田彦神社が創建され、
現在も猿田彦大神の子孫である宇治土公家が代々宮司を務めてられています。

猿田彦神社(伊勢)21猿田彦神社(伊勢)22猿田彦神社(伊勢)23猿田彦神社(伊勢)24

猿田彦神社(伊勢)25猿田彦神社(伊勢)26猿田彦神社(伊勢)27猿田彦神社(伊勢)28



ナナモリ(楽2)s全国約2千社の猿田彦大神を祀る神社の総本社「地祗猿田彦大本宮」は、
内務省神社局調査では鈴鹿市の椿大神社ということになっていますが、
倭姫命世記』によりますと宇治土公家こそ猿田彦大神の直系の子孫とされており、
猿田彦神社が伊勢神宮内宮の近くにあることや、
猿田彦大神を祀る各地の神社で椿大神社とつながりのある神社は少数しか存在しないことから、
猿田彦神社が猿田彦神を祀る神社の総本社と考えられる方も多く論争となっているようです。


猿田彦神社(伊勢)29猿田彦神社(伊勢)30猿田彦神社(伊勢)31猿田彦神社(伊勢)32



ナナモリ(笑)s拝殿の正面にある八角の石柱は『方位石』です。

これは御神殿跡を示す方位石で、
昭和11年の御造営で現在の拝殿の形となるまでまで、
永く御神座がこの場所にあり最も神聖な場所とされています。


ここ猿田彦神社は本殿の堅魚木や欄干に釣灯篭、大鳥居や手水舎の柱など、
八角形をしたものが他にも多くあります。


猿田彦神社(伊勢)34猿田彦神社(伊勢)35猿田彦神社(伊勢)36



猿田彦神社の絵馬に描かれるている二人の巫女の舞は「みちびきの舞」という舞で、
明治天皇の皇女・北白川房子様御参拝の時にお歌に作曲、振付をした猿田彦神社独自の舞いです。


「さだひこの 御名いと高し
     天くだり
       神代の昔 しぬびまつれば」


猿田彦神社(伊勢)16




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