◎あちこち神社◎
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2017-04

石清水八幡宮の名物『走井餅』とかケーブルカーとか猫とか - 2015.05.06 Wed

石清水八幡宮の猫と走井餅01

さて、いろいろ神社を御紹介した石清水八幡宮ですが、
山頂には本殿の他に同じぐらいの敷地の公園などがあります。

というわけでそちらの方へも行ってみました(o´ω`o)ノ



石清水八幡宮の猫と走井餅04

石清水八幡宮の猫と走井餅02石清水八幡宮の猫と走井餅03

山頂公園の中心にはシンボルタワーとして「涌峯塔」があり、
それを中心にしてボーイスカウト像やエジソン記念碑、
尺八郡山流流祖顕彰碑などがあります。

エジソン記念碑というのがちょっと不思議ですが、
実はエジソンが炭素白熱電球のフィラメントにここの竹が最適と知り、
電球発明の翌年から十数年もの間ここの竹を使って炭素電球を作っていたそうで、
1929年に電球発明50周年に世界各国で催された「電灯黄金祭」に日本も参加し、
記念事業の一つとしてここに記念碑が作られたそうです。

ボーイスカウト像についてはわかりません(*´Д`)(笑

石清水八幡宮の猫と走井餅05

石清水八幡宮の猫と走井餅06石清水八幡宮の猫と走井餅07

公園からさらに裏参道を進みまして、
本殿のちょうど裏側まで来ますと男山ケーブルの「男山山頂駅」て゜す。

生きているケーブルカーを久しぶりに見ましたっ!
いつも山の中のケーブルカーの廃線ばかり見ていたので感動ですヽ(*´ヮ`)ノ (笑



石清水八幡宮の猫と走井餅08

男山山頂駅の駅前に展望台へと続く階段があるのでそちらへも~


石清水八幡宮の猫と走井餅10

展望台右手の眺めはこんなかんじ~

京阪本線の赤い鉄橋の先に桂川と宇治川に挟まれた京都競馬場があり、
そのずっと先には伏見稲荷大社の稲荷山が見えます。

木の枝に隠れて見えにくくなってますが、左の大きな山は比叡山です。

石清水八幡宮の猫と走井餅09

展望台左手の北方面はこんなかんじ~

足元の大きな道路は御幸橋で、
そのずーーっと先には仁和寺とか嵐山があります。

左端の大きな山・愛宕山は去年登った山です(-_☆)v


石清水八幡宮の猫と走井餅12

いろいろ歩き回ったのでちょっと休憩(*´艸`*)

石清水八幡宮の一の鳥居にある茶屋で買ってきた名物『走井餅』と、
なぜか滋賀に旅行に行った父からお土産にもらった「サラダパン」です(笑



石清水八幡宮の猫と走井餅13

走井餅は江戸時代中期の明和元年(1764年)に大津で湧水「走井」を用いて餡餅を作ったことに始まり、
このお餅の刀の荒身を模した独特の形は、
平安時代の刀鍛冶・三條小鍛冶宗近が走井で名剣を鍛えたという故事にちなみ、
剣難を逃れ、開運出世の縁起を担いだものと伝えられています。

ちなみに大津の本家は廃業され、
石清水の走井餅が直系唯一の走井餅となったそうです。

やわらかな薄皮のお餅にこし餡が包まれていまして、
口あたりが良く甘すぎないので美味しいです(o´ω`o)
歩き疲れた時にちょっといただくのに良い感じですね♪


石清水八幡宮の猫と走井餅14

さて…
琵琶湖の大津で噂の「サラダパン」です(笑

サラダパンと言っても本当にサラダが挟まれているわけではなく、
マーガリンとマヨネーズを合わせたようなソースに、
なんと漬物のタクアンが刻まれて入ってるのですΣ(・ω・ノ)ノ

写真で「でろん」と飛び出ているのがタクアンです(笑

話を聞いただけでは想像がつかない味ですが、
実際いただいてみますとタクアンの塩味とマヨネーズが良く合い、
不思議とコッペパンとマッチしていて美味しいです♪

タクアンのポリポリという歯ごたえも良い感じです☆



石清水八幡宮の猫と走井餅16

走井餅とサラダパンで一息ついたところで境内をぶらぶら歩いていますと…

第一猫発見(☆'▽'☆)

石清水八幡宮の猫と走井餅17

寛いでいるところを後ろからこっそり近づいて、
アップで撮影(o´ω`o)かわいい♪

人に慣れているかんじで若くて毛並みも綺麗ですね。


石清水八幡宮の猫と走井餅18

石段を歩いていると…気配を感じる…
そこでちょっと石垣を見上げてみますと…

石垣の上に第二猫発見っ!
保護色で判りづらい(笑


石清水八幡宮の猫と走井餅19

ちょっと大きめの猫ですね~

遠い目でなに見てはりますのん?(*´Д`)


石清水八幡宮の猫と走井餅20

これはまた先ほどの石垣の猫とは別の猫で、
石階段の脇で通行人を監視していた第三の猫です(笑

先ほどの猫と似ていますから親子か姉妹でしょうか。


石清水八幡宮の猫と走井餅21

もう帰るのん~?
じゃうちも帰るわ~(*´ω`*)

というかんじの石清水八幡宮巡りでした(笑




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▼石清水八幡宮―若宮社・若宮殿社・水若宮社・気比社▼ - 2015.05.03 Sun

石清水八幡宮-若宮社・若宮殿社01


石清水八幡宮-若宮社・若宮殿社02石清水八幡宮-若宮社・若宮殿社03石清水八幡宮-若宮社・若宮殿社04石清水八幡宮-若宮社・若宮殿社05


ナナモリ(楽2)s石清水八幡宮本殿の裏手築垣内、北東に鎮座する若宮社若宮殿社です。

左のやや大きめの社殿が摂社の若宮社で、右の一回り小さい社が若宮殿社です。

摂社の中で最も大きな社殿を持ち、社殿そのものも古く、
本殿や総門と同時期の建築であり重要文化財に指定されています。

どちらも本殿鎮座の頃からある神社で、
本殿改修時には仮本殿とされるほどの重要な摂社であります。

石清水八幡宮-若宮社・若宮殿社06


石清水八幡宮-若宮社・若宮殿社07石清水八幡宮-若宮社・若宮殿社08石清水八幡宮-若宮社・若宮殿社09石清水八幡宮-若宮社・若宮殿社10

ナナモリ(楽)s御祭神は若宮社は仁徳天皇、若宮殿社には応神天皇の皇女2柱

この二社の御祭神は本殿に祀られる応神天皇の御子で、
若宮社は祈願成就、学業成就の御神徳があり男性の守護神とされ、
若宮殿社は祈願成就、心身健康の御神徳で女性の守護神とされています。


また本殿にて「清め衣」の名前、年齢、願い事を書いた黄色の清衣をはおり、
厄除開運祈祷をうけた人はこちらの神社で、
男は若宮社に、女は若宮殿社に納めるようになっています。

納めた「清め布」は神苑祭場にて毎月19日に諸願成就を祈念した後、焼却されます。

石清水八幡宮-若宮社・若宮殿社13

石清水八幡宮-若宮社・若宮殿社14石清水八幡宮-若宮社・若宮殿社15石清水八幡宮-若宮社・若宮殿社16石清水八幡宮-若宮社・若宮殿社17

ナナモリ(普b-01)s若宮社の右手に鎮座する摂社・水若宮社と末社・気比社です。

水若宮社の御祭神も応神天皇の御子の宇治稚郎子命(ウジノワキイラツコ)で、
応神天皇の命により一旦は皇太子となるが、
応神の死後皇位は兄である仁徳継ぐのが正統として皇位につかず、
互いに3年間譲り合った末、宇治にあった離宮で自ら命を断ったという人物です。

宇治神社宇治上神社の主祭神である菟道稚郎子と同一の御祭神です。

水若宮社も江戸時代前期のもので重要文化財に指定されています。

石清水八幡宮-若宮社・若宮殿社18





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▼石清水八幡宮―東総門・北総門・西総門▼ - 2015.04.27 Mon

石清水八幡宮-東総門・北総門・西総門01

ナナモリ(楽3)s石清水八幡宮本殿の周囲には塀が張り巡らせられ3つの総門が配置されています。

本殿を中心にして築地塀(つきじべい)巡らせられており、
三つの門はすべて江戸時代前期に作られたもので三方に配置され、
それぞれ「東総門西総門北総門」と呼ばれ重要文化財に指定されています。


かつては各総門は鳥居だったそうですが、
江戸時代前期の江戸幕府三代将軍・家光の頃に、
社殿が再建されると同時に作られたといわれています。

石清水八幡宮-東総門・北総門・西総門03

石清水八幡宮-東総門・北総門・西総門02石清水八幡宮-東総門・北総門・西総門04

こちらは「東総門」です。
本殿向かって右手の回廊に入りますと最初に見えてくる門です。


石清水八幡宮-東総門・北総門・西総門05

本殿の真裏、北側の回廊です。
先ほどの東楼門へと向かう回廊は本殿に対して斜めに伸び、
この北の回廊は真っ直ぐ伸びて東側の回廊とは直角に交わらないようになっています。

これは鬼門(北東)方向の鬼門封じのためで、
鬼門に対して斜めになるように設計されています。

石清水八幡宮-東総門・北総門・西総門07

石清水八幡宮-東総門・北総門・西総門06石清水八幡宮-東総門・北総門・西総門08

本殿の真裏にある「北総門」です。

こちらも東と同じく「四脚門」となっています。
四脚門とは重要文化財として残る門の建築様式の中では最も多いものであり、
正門に配されることの多い格式の高い門とされています。

石清水八幡宮-東総門・北総門・西総門11


石清水八幡宮-東総門・北総門・西総門10石清水八幡宮-東総門・北総門・西総門12


ナナモリ(笑)s最後に「西総門」です。

西の総門は他の二門とは違った形の門となっており、
棟門(むねもん)」と呼ばれる寺院の塔頭などで用いられた門になっています。
門の格としては四脚門よりはひとつ下の門になります。


各門の上にある鬼瓦もそれぞれの門で別の顔の鬼瓦が乗っており、
それを見比べてみるのも面白いですね。



石清水八幡宮-東総門・北総門・西総門09







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▼石清水八幡・本殿▼ - 2015.04.20 Mon

石清水八幡宮・本殿01

石清水八幡宮・本殿02石清水八幡宮・本殿03石清水八幡宮・本殿04石清水八幡宮・本殿05


ナナモリ(楽)s男山山頂にある石清水八幡宮の本殿です。

平安時代前期の貞観元年(859)に奈良大安寺の僧である行教が宇佐八幡の神託をうけ、
八幡宮総本社である宇佐神宮(大分県)から勧請し、
京都盆地南西の男山(鳩ヶ峰、標高143メートル)山上に鎮座しています。


二十二社(上七社)の一社で、伊勢神宮とともに二所宗廟の一社。
旧称では「男山八幡宮」と呼ばれていました。


石清水八幡宮・本殿09

石清水八幡宮・本殿06石清水八幡宮・本殿07石清水八幡宮・本殿08石清水八幡宮・本殿10



ナナモリ(普b-01)s宇佐神宮・筥崎宮(鶴岡八幡宮)とともに「日本三大八幡宮」の一社にも数えられています。

他にも門戸の東光寺 (兵庫)、 高野山の麓「天野明神」 (和歌山)とともに「日本三大厄神」でもあり、
大日本帝国海軍の扶桑型戦艦の2番艦「山城」の艦内神社として有名です。



また宮中で行われる一年最初の儀式『四方拝(しほうはい』で遥拝される一社で、
伊勢神宮、天神地祇、神武天皇陵・先帝三代(明治天皇の伏見桃山陵、
大正天皇の多摩陵、昭和天皇の武蔵野陵)の各山陵、
武蔵国一宮(氷川神社)・山城国一宮(賀茂別雷神社と賀茂御祖神社)
熱田神宮・常陸国一宮(鹿島神宮)・下総国一宮(香取神宮)
これらの神社とともに天皇陛下に拝されます。




石清水八幡宮・本殿13

石清水八幡宮・本殿11石清水八幡宮・本殿12石清水八幡宮・本殿14石清水八幡宮・本殿15

ナナモリ(楽2手2)s御祭神は八幡三所大神と総称される3柱

中御前・誉田別命 (ほんだわけのみこと)
西御前・比咩大神 (ひめおおかみ)
東御前・息長帯姫命 (おきながたらしひめのみこと)
の3柱を御祭神としてお祀りしています。

誉田別命は第15代応神天皇の本名で、
比咩大神とは宗像三女神を指し、
息長帯姫命とは神功皇后の本名であります。

この神社のある男山は京都の裏鬼門(南西)にあたり、
鬼門(北東)の延暦寺とともに京都を守護する寺社の代表として重要視され、
天皇・上皇・法皇の御行幸啓は250余を数えます。


石清水八幡宮・本殿16石清水八幡宮・本殿17石清水八幡宮・本殿18石清水八幡宮・本殿19

石清水八幡宮・本殿20石清水八幡宮・本殿21石清水八幡宮・本殿22石清水八幡宮・本殿24

ナナモリ(喜2)sまた武家からは源氏が武神として篤く信仰しました。

源氏の勢力の広がりとともに八幡信仰は全国へと広がって行き、
源頼義による壺井八幡宮頼義・頼朝による鶴岡八幡宮など、
当社から各地に八幡宮が勧請されました。


その後も源氏諸氏族である足利氏・徳川氏・今川氏・武田氏など、
氏神として、また武神・弓矢の神・必勝の神として篤く信仰され、
往時は多くの堂宇が所在し山麓も壮大であり、
その様子は山麓社殿を八幡宮と勘違いするほどだったそうです。

明治維新の神仏分離において仏教色は排除されますが、
仏式で行われていた放生会は「石清水祭」と名を変え、
現在も大祭として葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられています。


石清水八幡宮・本殿23石清水八幡宮・本殿25

石清水八幡宮・本殿26





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▼石清水八幡宮・豊蔵坊跡から三の鳥居▼ - 2015.04.13 Mon

大扉稲荷社から一つ石18

男山中腹付近にある『旧跡かげきよ』より、
石清水八幡宮の本宮へと続く石階段を登っていきます。

大扉稲荷社から一つ石19

大扉稲荷社から一つ石16大扉稲荷社から一つ石17大扉稲荷社から一つ石20大扉稲荷社から一つ石22

ナナモリ(普b)s『旧跡かげきよ』より少し階段を上った右手にある石垣は『豊蔵坊跡』です。

石清水八幡宮は神仏習合の山で男山山麓には48もの宿坊があり、
男山四十八坊」と呼ばれて遠くから来た参拝者も宿泊施設にもなっていました。

ここはその中でも有力な宿坊であった「豊蔵坊(ほうぞうぼう」の跡地です。

豊蔵坊は徳川家康が三河の国にいるときからの祈願所で、
現在は京都の等持院霊光殿に移されましたが、
徳川家康が自身の本厄である42歳にあたり制作された、
等身大肖像「帯劔衣冠繧繝縁茵上座像」が安置されていたと伝えています。


大扉稲荷社から一つ石21

ナナモリ(普b-01)s石清水八幡宮表参道に唯一現存し営業している茶屋「鳩茶屋」です。

豊蔵坊跡のよりすこし登った三の鳥居山上馬場にのすぐ近く、
旧愛染堂(盛輪院)跡の前に鳩茶屋はあります。



鳩茶屋は文久年間(1861~1864年)末頃に八幡宮の湯茶接待の管理を依頼され茶屋を開業し、
鳩茶屋の「鳩」は石清水八幡宮のお使いが鳩ということで、
当時の宮司さんか禰宜さんから鳩の名を頂いて鳩茶屋となったそうです。

現在は年末年始など特別な日にしか営業していないのですが、
賑わっていた当時は男山の麓を流れる桂川や淀川の川魚料理が有名で、
大正時代の観光案内では「石清水には湯豆腐が名物の茶屋がある」と記されていたそうです。



大扉稲荷社から一つ石24

大扉稲荷社から一つ石23大扉稲荷社から一つ石25大扉稲荷社から一つ石30大扉稲荷社から一つ石31

ナナモリ(楽)s石清水八幡宮の表参道を登り切った場所にある三の鳥居です。

三の鳥居が初めて建てられたのは応永7年(1400年)の南北朝が統一されてまもない頃で、
完成当時は鳥居は大木で作られ、朱に塗られ金で飾られた非常に美しい鳥居でした。
しかし木造大鳥居の架け替えには多大な費用がかかるため、
正保2年(1645年)正月に石造りに改められました。


その後、安永3年(1774年)6月23日の台風で倒れてしまったため、
同年8月に仮の鳥居として木造の鳥居が作られ、
翌年の5月28日に再建されて長い間そのままでありましたが、
昭和36年の第2室戸台風のときに上半分が折れて崩れてしまっため、
再建された現在の鳥居は上半分と下半分とを継ぎ足したもとなっています。



大扉稲荷社から一つ石28

大扉稲荷社から一つ石26大扉稲荷社から一つ石27大扉稲荷社から一つ石32大扉稲荷社から一つ石33



ナナモリ(楽2)s三の鳥居をぐぐったすぐにある『一ッ石』です。

三ノ鳥居から本殿へと続く馬場先と呼ばれる参道にあり、
この石が走馬(そうめ)・競馬(くらべうま)の際の出発点や
お百度参り、お千度参りの起点になっていたことから、
一ッ石」「亀石」「勝負石」「お百度石」などと多くの通称で呼ばれています。

江戸時代に本殿参拝を終えた参詣者が、
この「一つ石」の前で再び本殿に向き直って拝礼するという習わしがありました。


大扉稲荷社から一つ石36

大扉稲荷社から一つ石34大扉稲荷社から一つ石35大扉稲荷社から一つ石29








ナナモリ(喜2)s三の鳥居から本殿へ続く石畳にある石灯籠は『男山四十八坊の石灯籠 』です。

廃仏毀釈前まであった「男山四十八坊」の石灯篭で、
石灯籠にはそれぞれの宿坊の名前が「宿坊○○坊」と刻まれ、
当時の宿坊を思い偲ぶことができます。


宿坊の大きさによって献納されている石灯籠の数に違いがあり、
さきほどの大きな宿坊である豊蔵坊は22基、
松花堂ゆかりの瀧本坊は最も多く45基もの石灯籠が確認できます。












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