石浦神社の七夕と奥能登・塩サイダー - 2015.07.19 Sun

先日、金沢の石浦神社へとお参りした時、
ちょうど七夕の期間で少し珍しい行事をされていたのでご紹介します(o´ω`o)ノ
七夕が終わる7月8日までの間、
石浦神社の社殿前には山王鳥居の形に竹が組まれ、
その両端に短冊を留める笹が設置されています。

そこで願い事を書く短冊なのですが、
ここではちょっと変わった短冊で、
植物の葉の裏に割りばしで書く様になっています。

この「タラの葉」に割りばしで傷を付けるように願い事を書き、
それを社殿前にある笹に留めます。
この葉の樹液は空気に触れると黒くなるため、
書いた文字が浮かび上がってくるようなかんじになります(´ー`)
この「タラの葉」というのはたぶん多羅葉木のことで、
日吉大社の伝承によりますと願い事や心の思い等をこの葉に書き、
神前に供えて神様に祈願したという葉書の始まりとなったという木の葉だと思います。
その関係から山王鳥居の形に竹が組まれているのでしょうか?(ノ∀`*)謎ですね~

この笹は7月8日まで設置され、
7月8日には七夕お焚き上げ祭があるそうです。
こういう七夕神事が残っているのは良いですね(人*´∀`*)

ちょっと歩き疲れたので奥能登の地サイダー『しおサイダー』で、
水分と塩分と糖分補給です(*゚∀゚)=3回復~♪
味は炭酸の入ったスポーツドリンクという感じでしょうか…
サイダーにちょっと塩味が感じられなかなか美味しかったです☆
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▼石浦神社▼ - 2015.07.17 Fri






『延喜式神名帳』加賀国加賀郡の小社「三輪神社」に比定される式内社論社で、
金沢市最古の神社であるともいわれています。
兼六園の真弓坂の方向、広坂に面し、
金沢21世紀美術館と道を挟んだ向かい側に鎮座しています。









他に大山咋大神、菊理媛大神、天照皇大神、天兒屋根大神、
市杵島姫大神、誉田別大神がお祀りされています。
古墳時代(547)に越前国加賀郡の三輪の氏人が三輪神社として創始し、
その後、養老年中(717)には金沢の地名発祥伝説の芋掘籐五郎の妻(松浦氏)が、
大和国の長谷観音を勧請し太古よりこの地の総社として崇敬されてきました。






旧藩時代には石浦山王社、地主権現と呼ばれ、別当所を長谷山慈光院と号しますが、
明治維新の神仏分離令により明治元年(1868年)に氏子地の石浦の郷名をとって石浦神社と改称し、
旧社地である下本多町から広坂通りの現住所に移転しました。
神仏習合時代の観音像・仏具一式は近隣の社寺に預けられました。






石川県には「逆さ獅子」や「逆立ち狛犬」と言われる狛犬が多くあり、
石川県全域で100社を超える神社に設置されているそうです。
中でもここ石浦神社の逆さ獅子は名工・福島伊之助が創作したもので、
最高傑作と呼ばれるほどの狛犬であるといわれています。


2代藩主利長は社殿を再建、5代藩主綱紀の時は妻女の出産に際し安産を祈願し、
それ以来、金沢最古のお宮参りの神社として、
地元の方以外からも厚く信仰されています。
可愛いデザインの種類が豊富な子授けや安産のお守りが有名で、
最近は北陸新幹線W7系をモチーフにした旅守が授かることができます。

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