▼竹神社旧地と小倉神社・祓戸跡▼ - 2016.03.10 Thu

竹神社の旧地は現在の鎮座地より1kmほど離れた場所の、
斎宮歴史博物館の広場の南の森の中にあります。
写真の塚山古墳群の一号墳の奥にある森がそうです。

森の前まで来ますと竹神社跡の表示が森の入口にあり、
そこから見える場所に旧地を示す石碑が見えます。

ここが式内郷社竹神社の旧地です。
かつての竹神社は「桧木宮」とも呼ばれる竹川の産土神で、
江戸時代には「八王子社」と俗称される社がここにあり、
明治四十四年四月全村二十三社とともに現在の竹神社に合祀されました。
『式内社調査報告』によりますと、
竹神社は上記の旧社地から明治四十一年に字東裏へ遷座し、
さらに明治四十四年に現社地へ遷ったとあり、
字東裏は、現在の斎宮小学校西裏の辺りになります。
ちなみに斎宮小学校には非公開ですが斎宮の四脚門跡があります。


竹神社趾の石碑の隣の森の中にある小さな石碑は小倉神社跡を示すもので、
この小倉神社は明治に竹神社へと合祀された神社の一つです。
他にも明治に合祀された神社としましては、
式内社・火地神社の論社である岩内の火地神社(岩内の光安寺に小祠がある)や、
上村の八柱神社(式内社・天香山神社の論社)など23社を合祀しました。


この道の先には祓川があり、
斎王が斎宮に入られるにあたり祓川(竹川)で禊が行われたり、
5月と11月の竹川祓という禊が行われるため、
ここに祓殿が特設されていたそうです。
ここから約200mほど行きますと祓川があります。

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▼竹神社▼ - 2016.03.07 Mon


斎宮駅より東へ300mほどの十字路の角地、
伊勢神宮へと続く旧参宮街道(428号線)に面して鎮座しています。
この街道には江戸時代から残る民家などもあり、
かつての伊勢街道の町並みの雰囲気が残っています。






竹神社の始まりは垂仁天皇の御代に竹連(タケノムラジ)の祖・宇迦之日子の子の吉日子が、
天照大御神御巡幸の倭姫命に供奉して此の地に留まり、
孝徳天皇の御代に至って、竹郡創建の際に、その末裔が当社を創祀したのが創始となっています。
現在の竹神社は明治44年に旧斎宮村にあった25社を合祀して野々宮神社の社地に移転したもので、
旧地はここより1kmほど離れた斎宮歴史博物館の南の竹川の古里の森の中にあります。






謡曲「絵馬」は節分の夜に翁と姥が二つの絵馬をかけ並べ国土安穏を祈るというもので、
「伊勢参宮名所図会」にある毎年大晦日に伊勢の斎宮で絵馬をかける行事、
「斎宮の世だめし」がその元となっています。
もと参宮街道のこの辻は「斎宮絵馬辻」といわれ絵馬川という小川に絵馬橋が架かり、
絵馬の行事が行われていた絵馬堂がありましたが、
絵馬堂は明治の終りごろ廃され終戦直後に腐朽のため堂が焼却されてしまいます。
しかし謡曲「絵馬」にちなむ絵馬は佐々木氏が譲りうけ、
大正のはじめ竹神社に寄贈したものが現在、竹神社の神宝として本殿に保管されています。

この地は戦国時代の頃に「斎宮城」という城があったとされる場所でもあり、
斎宮城の土塁の遺構や、その石垣の跡と言われるものも残っています。






辻の角に立つ大きな石灯籠は嘉永7年の遷宮に際し氏子が記念に造ったもので、
自然石灯籠は池村氏神の其の一つ饗庭の森八王子の宮の常夜灯、
礎石は丹生上田野の営明寺の礎石が使われており、
自然石燈籠としては三重県下でも稀に見る大燈籠なのだそうです。


ちなみに神社裏からは線路を挟んで復元された斎宮の建物群「さいくう平安の杜」が見えます。
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