◎あちこち神社◎
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2017-08

▼葛城一言主神社-蜘蛛塚・土蜘蛛塚と摂末社▼ - 2016.04.19 Tue

葛城一言主神社02-01

葛城の地には「土蜘蛛」の伝説があり、
高天彦神社には『蜘蛛窟』、ここ葛城一言主神社には『蜘蛛塚』があります。

土蜘蛛(都知久母・つちぐも)は、上古に天皇に恭順しなかった有力な土豪たちで、
その名は陸奥、越後、常陸、摂津、豊後、肥前など日本各地の風土記に記録され、
そのことから単一の勢力の名では無いと考えられますが、
土蜘蛛側の残した記録が無いため、そのほとんどが謎に包まれています。

また、ここ奈良県の大和葛城山にいたという土蜘蛛とくによく知られ、
日本書記によりますと神武天皇の皇軍が葛の蔓で網を作り、
それを覆いかぶせて土蜘蛛を捕らえて殺したという伝承から、
このあたりを「葛城」と呼ぶようになったと地名の由来について記されています。


そしてこの「蜘蛛塚」と「土蜘蛛塚」は、
彼らの怨念が復活しないように頭、胴、足と別々に埋めた跡といわれています。


葛城一言主神社02-02

ナナモリ(普b)sこちらは拝殿右手脇、大銀杏の近くにある『土蜘蛛塚』です。

能楽作品のひとつに謡曲『土蜘蛛』というのがあり、
内容は室町時代の末期に制作されたと言われている鬼退治もので、
明治時代に金剛唯一が考案した蜘蛛の糸を投げつける演出が有名です。


源頼光の説話の中に、
僧侶に化身した土蜘蛛が重い病に苦しむ源頼光に糸を投げかけ巻き殺そうとしますが、
源頼光は枕元にあった名刀膝丸を抜いて切り付け、
逃げ出した土蜘蛛を四天王達は追いその住処をつきとめて退治し、
そこに「頼光朝臣塚」の碑が作られ、謡曲「土蜘蛛」はこの説話をもとにつくられました。

後世、その塚の辺りから発掘された筒石を庭に置くと、
家運は傾き、病人が続出することから土蜘蛛の祟りかと畏れ、
その石を安置して土蜘蛛灯篭として供養すると騒ぎが収まったと伝えられています。


葛城一言主神社02-03

拝殿の前にある御神木の『乳銀杏』です。


葛城一言主神社02-04

ナナモリ(喜2)s
この『乳銀杏』は樹齢1200年と推定される老木で、
幹から出ている根、「気根」の突起物が乳のような形になっていることからそう呼ばれ、
健康な子どもを授かり、母乳が良く出るようになると、
子を想う親の願いが込められ信仰を集めています。



葛城一言主神社02-09

葛城一言主神社02-07葛城一言主神社02-08葛城一言主神社02-10葛城一言主神社02-11



ナナモリ(普b-01)s葛城一言主神社の境内摂末社です。

左から、
一言稲荷神社・市杵島神社・天満神社・住吉神社・八幡神社・神功皇后社
この順番並びでお祀りされています。




葛城一言主神社02-12葛城一言主神社02-13葛城一言主神社02-14葛城一言主神社02-15


葛城一言主神社02-17

葛城一言主神社02-16境内へ登る階段の左手脇にある『葛城の亀石』です。

1m程の花崗岩の巨石で明日香村の亀石と良く似た形をしており、
昔、修験道の開祖、役小角が災いをもたらす黒蛇を、
封じるために乗せた石がこの亀石だと伝えられています。


ちなみに役小角(役行者)はここ大和国葛城上郡茅原の出身で、
葛城山と隣の金剛山から修験道が始まったともいわれています。


葛城一言主神社02-18

葛城一言主神社の本殿前から、
少し先の山の裾野には日本武尊白鳥陵があり、
ずっと先の山の麓がキトラ古墳のある明日香村です。





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▼葛城一言主神社-本殿▼ - 2016.04.15 Fri

葛城一言主神社01-01


葛城一言主神社01-02葛城一言主神社01-04葛城一言主神社01-05葛城一言主神社01-03



ナナモリ(楽)s奈良県御所市森脇にある葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)です。

葛城山の東麓に東面して鎮座し、
「いちごんさん」や「いちこんじさん」とも呼ばれる、
全国各地の一言主大神を祭神とする神社の総本社です。




創建は不詳ですが社伝によりますとその歴史は神話の時代まで遡り、
現鎮座地は一言主神が顕現した地といわれています。


葛城一言主神社01-06

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ナナモリ(普b)s御祭神は葛城之一言主大神(かつらぎのひとことぬしのおおかみ)と、
幼武尊(わかたけるのみこと)の2柱。

葛城之一言主大神は『古事記』等では「一言主」、『日本書紀』では「一事主」と書かれる、
凶事も吉事も一言で言い放つ託宣の神とされ、
現在でも一言で願いを叶えてくれる神として信仰されています。


もう1柱の御祭神である幼武尊は第21代・雄略天皇のことで、
明治の『神社明細帳』では主祭神を事代主命・幼武尊の2柱としていますが、
すこし古い『大和志料』では一言主神に雄略天皇の配祀とし、
もっとも古い『延喜式神名帳』では1座となっていることから、
元来は葛城之一言主大神1柱を祀った神社だったと考えられます。

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ナナモリ(普)s
一言主神につきましては、
『日本書紀』『古事記』における雄略天皇との対面説話が知られており、
両書によりますと雄略天皇の一行が葛城山中で狩猟をしていた際、
天皇一行と同じ姿の集団に会い、その相手が一言主神(一事主神)と名乗ったと言われています。


この伝説は古事記と日本書紀では内容に違いがあり、
古事記では一言主神が「悪いことも一言、善いことも一言で言い放つ神。葛城の一言主の大神である」と名乗ると、
天皇は恐れおののき、供の者の衣服まで差し出したとなっています。

ところが日本書紀では雄略天皇と一言主神はその場で意気投合し、
大いに狩りを楽しんだと天皇と神とが対等の立場で書かれています。

さらに『続日本紀』になりますと雄略天皇は無礼があったとして一言主神を土佐へ流刑に処し、
『土佐風土記』では、その後許されて葛城の高宮付近に祀られたと記されており、
時代によってその立場が様変わりしていく神です。



葛城一言主神社01-24

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ナナモリ(楽2)sこの鎮座地である高宮丘は第二代・綏靖天皇の宮址のあったところで、
本社から少し北の丘辺に宮址の碑が立っています。

また古代に大臣を歴任した巨勢・平群・蘇我の祖にあたる葛城氏の本宗の邸宅もこの地にあり、
仁徳天皇の后で履中・反正・允恭三代の天皇の母后となられた磐の媛の育った地でもあります。


ほかにも境内には神武天皇の土蜘蛛征伐伝承に基づく、
古代の国栖の民である葛城の土蜘蛛の蜘蛛塚が伝わっています。




葛城一言主神社01-25




葛城一言主神社01-26




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