◎あちこち神社◎
topimage

2017-06

▼七里の渡し・熱田▼ - 2016.11.28 Mon

七里の渡し01

七里の渡し02熱田神宮から南へ徒歩で15分ほど行った所にあります、
七里の渡し渡船場跡・宮の渡し公園』です。

この公園は堀川と新堀川の合流点にあり、
東海道・宮の宿から桑名へ渡る「七里の渡し」の渡船場跡を整備し作られました。


ここにはかつて江戸時代に東海道41番目の宿「宮(熱田)」があり、
約 7里(約27.5Km)先の桑名へと渡るための宮側の渡し場あった場所で、
七里の渡し」と称された東海道で唯一の海上路がありました。

渡海者が多い時には桑名や佐屋、そのほか近隣の村などからも船を借りたそうです。



七里の渡し03

七里の渡し04七里の渡し05七里の渡し06七里の渡し07


ナナモリ(楽2)sここにある「熱田湊常夜灯」は父の遺命を受けた犬山城主・成瀬正房が、
寛永二年、熱田須賀浦太子堂(聖徳寺)の隣地に建立し、
後に風害で破損したため承応三年に現在の位置に移されたものが、
寛政三年に付近の民家の出火で消失し、同年、成瀬正典によって再建されます、
そして長い年月により荒廃していたものを昭和三十年に復元したものです。


また「七里の渡し」からの船の移動ではしばしば海難事故にあう事もあったようで、
この海路を避ける行程として佐屋街道の宮宿から万場宿、佐屋を通り、
佐屋から桑名へ船で渡るという迂回路もありました。


現在、ここから見える海側の景色はビルや住宅街などとなっていますが、
かつてはこの「七里の渡し」の目の前すべて、堀川のむこう側は伊勢湾を望む海でした。



七里の渡し09

七里の渡し10七里の渡し08

公園内で一際大きいこの建造物は「時の鐘」というもので、
延宝四年に尾張藩主、徳川光友の命によって、宮の渡しから北に約500m離れた蔵福寺に建立し、
長い間、熱田の住民や東海道の旅人に時刻を知らせる役目を務めました。
江戸時代のものは戦災により焼失してしまいますが、
当時も使用されていた鐘だけは今も蔵福寺に保管されています。

昭和五十八年に、宮の渡し公園内に復元がされた現在も鐘は付けられ、
住民の方々に時刻を知らせる役目を務めているそうです。



七里の渡し12

七里の渡し11公園内にある歌川広重の『東海道五十三次・宮』の壁画です。

江戸時代の「七里の渡し」の様子が描かれ、
桑名から来る船の様子や熱田鳥居と書かれた赤い鳥居、
手前の孤島のような所には「寝覚の里」と名所が紹介されています



この宮宿には船番所も設けられ行き交う船の管理をしていたようで、
天保年間に利用された渡し船は75艘、小渡し船42艘で、
40~50人乗りの乗合船から3~5人乗りの小船まであったそうです。


現在は戦災や伊勢湾台風などで宿は廃れ、
その面影を残すのは脇本陣格の旅籠だったといわれる丹羽家住宅など、
二軒ほどの建物にその面影を残すだけとなっています。



七里の渡し13




○いつもポチッと投票ありがとうございます(o´ω`o)励みになります♪○

blogram投票ボタンにほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ





スポンサーサイト

東海地方最大の前方後円墳 『断夫山古墳』 - 2016.11.20 Sun

断夫山古墳01


ナナモリ(普b-01)s熱田神宮公園内にある古墳断夫山古墳(だんぷさんこふん)」です。

熱田神宮から北西へ約500m行った所にある熱田神宮公園、
そこに野球場などと一緒に公園内にある古墳で、
東海地方では最大の前方後円墳で国の史跡にも指定されています。



断夫山古墳02

古くから熱田大宮司家が宮簀媛命墓として奉仕してきた古墳で、
明治9年(1876)に熱田神宮所属地化し昭和62年(1987)に国の史跡に指定されています。

この古墳は熱田台地南西縁の標高約10メートルの地に位置する大型前方後円墳で、
かつて、海岸線が熱田台地西側近くまで伸びていた頃には伊勢湾を広く望んだ立地でした。

江戸末期から明治初期に刊行された『尾張名所図会』には「鷲峯山」として紹介され、
かつて断夫山は常日頃の立ち入りは禁止されていましたが、
3月3日のみ立ち入りが許され墳頂から熱田の浜を見渡せた様子が描かれています。

断夫山古墳06

断夫山古墳03断夫山古墳04断夫山古墳08断夫山古墳05



  
ナナモリ(楽2手2)s断夫山古墳は前方部が発達した古墳時代後期の特徴を示し、
3段築成の墳丘をもち古墳南東隅がやや削られていますが、
全長約150m・高さは一番高い所で約16mもある大きな前方後円墳となっており、
尾張地方で最大規模の古墳であることから、
古代豪族の尾張氏の首長墓になると考えられています。


しかし被葬者は明らかでなく熱田神宮では古くから「陀武夫御墓」と称し、
日本武尊妃の宮簀媛命(みやずひめのみこと)の墓とし熱田神宮神域として保護され、
現在も毎年5月8日に白鳥古墳と断夫山古墳において御陵墓祭を行なっています。


ただし、史書上での日本武尊伝説の想定年代は4世紀頃となり、
断夫山古墳の築造時期とは大きく隔たりがあります。


断夫山古墳09

古墳の周濠から前方後円墳の形がよく判ります。

前方後円墳なので手前の円形部分が後ろで、
奥の方墳部分が前方になります。

古墳の規模は、築造当時6世紀前半の大阪府高槻市の大王墓の今城塚古墳(190m)には及ばないものの、
福岡県の八女市岩戸山古墳(135m)を上回り、全国で屈指の規模となっています。

また、この円墳と方墳の繋がるくびれの部分からは多量の須恵器が出土しましたが、
その多くが行方不明となっており現在確認できるものの大半は全形の不明な小片で、
行方不明となった須恵器のうちには貴重な子持高坏(こもちたかつき)もあったといわれています。

断夫山古墳10


おまけの古墳の猫ちゃんです(*゚∀゚)=3すごく警戒されてます(笑





○いつもポチッと投票ありがとうございます(o´ω`o)励みになります♪○

blogram投票ボタンにほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ






熱田神宮で『宮きしめん』 - 2016.11.15 Tue

宮きしめん01

昨今、流行りという「名古屋めし」というのをなにかいただこうかと思いまして、
熱田神宮内にある清め茶屋・宮きしめん神宮店へ行ってきましたヾ(@^▽^@)ノ

以前、マンゴーかき氷で御紹介した清め茶屋の隣に、
宮きしめん神宮店の大きなテントがあります。

というわけで名古屋めし第一弾は「きしめん」です(`・ω・´)

宮きしめん02

最初、熱田神宮に着いた時が丁度お昼の時間でしたので、
きしめんをいただこうと思い来てみましたら…
このように満員(;´Д`)あらぁ

そこで先に熱田神宮内でいろいろ散策やお参りをし、
二時前ぐらいに来ましたら一気にお席も空いていまして、
好きな席を選び放題の座り放題でした(笑

宮きしめん03

そんなかんじでー『宮きしめん』の登場でっす♪

こちらの「きしめん」は「赤つゆ・白つゆ」という二種類が選べまして、
「赤つゆ」は、鰹だしにお醤油で味付けをしたきしめんの定番の味、
対して「白つゆ」は白醤油で味付けしました、あっさり上品な味のおつゆです。

とりあえず今回は基本的な「赤つゆ」のきしめんにしてみました(人*´∀`*)
具は椎茸、ほうれん草、お揚げ、かまぼこ、鰹節と言う感じで、
ネギはお好みで自分で入れる方式でした。

「宮」の字のかまぼこ(*´Д`)かわいい♪

宮きしめん04

麺はきしめん特有の幅広く平たい形、
群馬県の「ひもかわうどん」よりはまだうどんの形状に近いです(笑

きしめんは江戸時代の『東海道名所記』や『好色一代男』には三河国・芋川の名物だとされ、
一説では「ひもかわうどん」は「芋川(いもかわ)うどん」が訛って江戸に伝わったものとも言われています。


麺はもちもちでやわらかく、
鰹だしと醤油のおつゆとよく合っていました(*´艸`*)美味しい♪

「赤つゆ」はわたしにはちょっと味か辛く感じましたので、
次の機会は「白つゆ」のほうを試してみたいと思います(-_☆)


宮きしめん05

そんなかんじで熱田神宮の「宮きしめん」でした(o´ω`o)
熱田神宮内の茶屋で神宮の深い森の景色に囲まれ、
そこでいただくきしめんはとても美味しかったです☆





○いつもポチッと投票ありがとうございます(o´ω`o)励みになります♪○

blogram投票ボタンにほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ




▼熱田神宮-日割御子神社▼  - 2016.11.11 Fri

熱田神宮・日割御子神社04

ナナモリ(普b)s熱田神宮摂社・日割御子神社(ひさきみこじんじゃ)です。

延喜式神名帳にある名神大のひとつである古社で、
江戸時代は「日破宮」「日破明神」とも称されていました。



こちらの神社へは一度正門(南門)を出まして東、
鳥居に入る前の小道を通った先に鎮座しています。

熱田神宮・日割御子神社02

熱田神宮・日割御子神社01熱田神宮・日割御子神社03熱田神宮・日割御子神社07熱田神宮・日割御子神社05


ナナモリ(普b-01)s御祭神は天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)

江戸時代以前にはもとの八剣宮のあった御所町に属し、
そこはすこし高台となった洲崎の名残があった場所で、
太古の時代にはに突き出た熱田丘陵の先端に位置していました。


そのために臨む「干崎(ひさき)」が社名の語源となっているようです。


熱田神宮・日割御子神社08


ナナモリ(楽)s
現在は熱田神宮の本社境内の南東隅にひっそりとある当社ですが、
江戸時代初期の慶長年間には、
掘尾吉春(松江城初代城主)が当社の造営を行ったとの記憶があります。



熱田神宮・日割御子神社01




○いつもポチッと投票ありがとうございます(o´ω`o)励みになります♪○

blogram投票ボタンにほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ





▼熱田神宮-別宮八剣宮・太郎庵椿▼  - 2016.11.07 Mon

別宮八剣宮・太郎庵椿01

ナナモリ(楽2)s熱田神宮の別宮・八剣宮(はっけんぐう)です。

一の鳥居である正門(南門)の西側に鎮座し、
古来より摂社筆頭とされる神社で本宮と同じ建築様式の社殿をもち、
年中祭儀も同様に本宮に準じて執り行われます。


元明天皇の和銅元年(708)9月に勅命により西夷降伏の祈願の神剣をつくり、
境内に社を建てて、これをお納め祀ったことが創始となっています。

別宮八剣宮・太郎庵椿02

別宮八剣宮・太郎庵椿03別宮八剣宮・太郎庵椿04別宮八剣宮・太郎庵椿06別宮八剣宮・太郎庵椿07




ナナモリ(喜)s御祭神は本殿と同じく熱田大神


戦国時代から江戸時代にかけ特に武士の篤い信仰の対象となり、
織田信長徳川家康、徳川綱吉らが社殿の修造や建て替えをしたと伝えられています。


有名な逸話の一つとしまして織田信長が「長篠の合戦」に赴く際に、
この熱田社へ立ち寄り、戦勝祈願を兼ねて熱田の名工でもある「岡部又右衛門を総監督に任じ、
熱田神宮の社殿全般の改修・造営を行ったという話があります

また慶長4年に徳川家康が拝殿・回廊・築地の修造を、
貞享3年には綱吉が本殿の造替を行った等の記録が残っています。

別宮八剣宮・太郎庵椿05


ナナモリ(普b-01)sかつては尾張造という特殊な社殿でしたが、
近年になり伊勢神宮と同じ社格へと格上げされたことから、
1963年(昭和38年)に境内の社殿ほぼすべての社殿が「神明造り」の社殿へと造り替えられています。

現在は熱田神宮関係の神社では高座結御子神社氷上姉子神社に、
尾張造の建築様式を見ることができます。


別宮八剣宮・太郎庵椿08






別宮八剣宮・太郎庵椿10


別宮八剣宮・太郎庵椿09別宮八剣宮・太郎庵椿11別宮八剣宮・太郎庵椿12



ナナモリ(楽2手2)s別宮八剣宮の前にある「太郎庵椿(たろうあんつばき)」です。

樹齢300年を越える淡紅の花をつけるやぶ椿の一種で、
江戸中期、古渡に住む高田太郎庵(藪下屋太郎兵衛)()という茶人が、
この椿を愛好したことでこの名があります。


日本全国でもこの熱田神宮の当地にだけにしか自生しない特殊なやぶ椿の変種で、
10月から4月にかけての長い間、桜色をした淡い色の花を咲かせます。


別宮八剣宮・太郎庵椿13






別宮八剣宮・太郎庵椿14








○いつもポチッと投票ありがとうございます(o´ω`o)励みになります♪○

blogram投票ボタンにほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ






NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

プロフィール

七森

Author:七森
あちこち出かけた先で撮影した
神社の写真です。

あと日常の写真も少々~♪

なぜかちょっぴりお菓子のレシピも(*´Д`)

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

神社・お寺巡り ブログランキングへ blogram投票ボタン

カウンター

カテゴリー

☆PR☆

ソーシャルミュージックサイト OKMusic 音楽に参加しよう! ワクワクを世界に届けよう♪ サイフもココロもハッピーに!ちょびリッチ

○義援金・募金のお願い○

募金のご協力お願いします。

クリックで救える命がある。

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

(・∀・)人(・∀・)

この人とブロともになる

ブロとも募集中でっす♪

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

スポンサードリンク

RSSリンクの表示