▼熱田神宮-本宮▼ - 2016.07.24 Sun






宮中の四方拝で遥拝される神社うちの一社で、
現在は街中にある神社という感じてはありますが創始の頃は周囲が海であり、
そこに突出した岬、熱田台地の南端に鎮座する神社でした。
熱田神宮の熱田の地は古来より「雲見山・蓬莱島」という名で知られ、
これは古の熱田の社が海に突き出る岬に老松古杉が生い茂り、
それが伝説の蓬莱島の巨大な亀の甲羅上にあると例えられた姿に見え、
そのことから熱田の杜が蓬莱島と称されるれるようになったといわれています。






日本武尊は東国平定の帰路において尾張へ滞在した際に、
日本武尊の蝦夷征伐に副将として従軍した建稲種命の妹で、
尾張国造・乎止与命の娘でもある宮簀媛命と結婚し、
草薙剣を妃の手元へ留め置きます。
その後、草薙剣を留め置いたまま日本武尊が伊勢国能褒野で亡くなりますと、
宮簀媛命は熱田に社地を定め、草薙剣を奉斎鎮守したのが始まりとされています。






熱田大神は明治以降の熱田神宮や明治政府の見解では、
三種の神器の1つ草薙剣を神体とし、
御霊代としてよらせられる天照大御神とされています。
一説では熱田大神は創建の経緯などから日本武尊や、
草薙剣の神霊のことであるという説もあります。
また相殿神としまして草薙剣と縁の深い、
天照大神・素盞嗚尊・日本武尊、
宮簀媛命(みやすひめのみこと)・建稲種命(たけいなだねのみこと)、
の五柱がお祀りされ、「五神(ごしん)さま」と呼ばれています。






明治26年から伊勢神宮と同じ神明造に改められました。
その「尾張造」の様式は現在唯一、
境外摂社の氷上姉子神社に残されています。
熱田神宮は第二次世界大戦時に戦災をうけ当時の施設はほとんど消失しますが、
崇敬者の熱意や地域の方々のご尽力により昭和30年に御遷座が行われ、
社殿は伊勢神宮の式年遷宮の際の古用材を譲り受け1955年(昭和30年)10月に再建され、
現在では昔日の姿をしのぐ神器・草薙剣の奉斎の社にふさわしい偉容が甦りました。






御神体である草薙剣を守るため飛騨一宮・水無神社へと一時的な遷座が計画されますが、
同年8月15日の終戦により一時中止となります。
しかし、次は上陸したアメリカ軍に御神体が奪われるおそれがあるとして、
結局は8月21日に解散間際の陸軍の協力を得て計画通り御神体を水無神社に遷されました。
その後、同年9月19日には熱田神宮へと戻されることになるのですが、
そのときにはすでに陸軍は解散していたため、
神職が御神体を鉄道で運び移動したのだそうです。

熱田神宮の境内・境外には、
本宮の外、一別宮、十二摂社、三十一末社が祀られておりますので、
順に御紹介していきたいと思います。
○いつもポチッと投票ありがとうございます(o´ω`o)励みになります♪○



スポンサーサイト