▼熱田神宮-別宮八剣宮・太郎庵椿▼ - 2016.11.07 Mon


一の鳥居である正門(南門)の西側に鎮座し、
古来より摂社筆頭とされる神社で本宮と同じ建築様式の社殿をもち、
年中祭儀も同様に本宮に準じて執り行われます。
元明天皇の和銅元年(708)9月に勅命により西夷降伏の祈願の神剣をつくり、
境内に社を建てて、これをお納め祀ったことが創始となっています。






戦国時代から江戸時代にかけ特に武士の篤い信仰の対象となり、
織田信長、徳川家康、徳川綱吉らが社殿の修造や建て替えをしたと伝えられています。
有名な逸話の一つとしまして織田信長が「長篠の合戦」に赴く際に、
この熱田社へ立ち寄り、戦勝祈願を兼ねて熱田の名工でもある「岡部又右衛門を総監督に任じ、
熱田神宮の社殿全般の改修・造営を行ったという話があります
また慶長4年に徳川家康が拝殿・回廊・築地の修造を、
貞享3年には綱吉が本殿の造替を行った等の記録が残っています。


近年になり伊勢神宮と同じ社格へと格上げされたことから、
1963年(昭和38年)に境内の社殿ほぼすべての社殿が「神明造り」の社殿へと造り替えられています。
現在は熱田神宮関係の神社では高座結御子神社と氷上姉子神社に、
尾張造の建築様式を見ることができます。






樹齢300年を越える淡紅の花をつけるやぶ椿の一種で、
江戸中期、古渡に住む高田太郎庵(藪下屋太郎兵衛)()という茶人が、
この椿を愛好したことでこの名があります。
日本全国でもこの熱田神宮の当地にだけにしか自生しない特殊なやぶ椿の変種で、
10月から4月にかけての長い間、桜色をした淡い色の花を咲かせます。


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