▼熱田神宮-二十五丁橋と佐久間燈籠▼ - 2016.09.20 Tue





板石が25枚並んでいるところから二十五丁橋と呼ばれており、
尾張名所図会(おわりめいしょずえ)や名古屋甚句(なごやじんく)で名高く、
名古屋では最古の石橋といわれております。
江戸時代末から明治にかけてこの地方の民謡の曲名・名古屋甚句の中には、
西行法師がこの橋に腰掛け「これほど涼しいこの宮を誰が熱田と名をつけた」と、
ユーモラスに唄われています。


寛永7年(1630)5月、尾張御器所の城主である佐久間盛次の四男大善亮勝が、
海難に出会った際に熱田神宮に祈り、加護によって事なきを得たことを感謝し、
熱田神宮にこの燈籠を寄進したと言われています。
高さは約8メートル、形も六角形で雄大な相をもち、
上野東照宮にあるお化け灯籠、京都南禅寺の大灯篭とこの佐久間燈籠で、
江戸時代から日本三大燈籠の一つとして知られています。

おまけ


この土偶の主な出土場所と縁のなさそうな熱田神宮になぜに…?と思っていましたら、
これは昭和五十七年に名古屋眼鏡商業協同組合と眼鏡碑顕彰会が、
眼鏡を付けた土偶として奉納したと言う事だそうです。
遮光器土偶のこの遮光器のような部分を眼鏡としても良いのかなと疑問も残りますけれど(笑

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