▼熱田神宮-日割御子神社▼ - 2016.11.11 Fri


延喜式神名帳にある名神大のひとつである古社で、
江戸時代は「日破宮」「日破明神」とも称されていました。
こちらの神社へは一度正門(南門)を出まして東、
鳥居に入る前の小道を通った先に鎮座しています。






江戸時代以前にはもとの八剣宮のあった御所町に属し、
そこはすこし高台となった洲崎の名残があった場所で、
太古の時代には海に突き出た熱田丘陵の先端に位置していました。
そのため海に臨む「干崎(ひさき)」が社名の語源となっているようです。


現在は熱田神宮の本社境内の南東隅にひっそりとある当社ですが、
江戸時代初期の慶長年間には、
掘尾吉春(松江城初代城主)が当社の造営を行ったとの記憶があります。

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