東海地方最大の前方後円墳 『断夫山古墳』 - 2016.11.20 Sun


熱田神宮から北西へ約500m行った所にある熱田神宮公園、
そこに野球場などと一緒に公園内にある古墳で、
東海地方では最大の前方後円墳で国の史跡にも指定されています。

古くから熱田大宮司家が宮簀媛命墓として奉仕してきた古墳で、
明治9年(1876)に熱田神宮所属地化し昭和62年(1987)に国の史跡に指定されています。
この古墳は熱田台地南西縁の標高約10メートルの地に位置する大型前方後円墳で、
かつて、海岸線が熱田台地西側近くまで伸びていた頃には伊勢湾を広く望んだ立地でした。
江戸末期から明治初期に刊行された『尾張名所図会』には「鷲峯山」として紹介され、
かつて断夫山は常日頃の立ち入りは禁止されていましたが、
3月3日のみ立ち入りが許され墳頂から熱田の浜を見渡せた様子が描かれています。






3段築成の墳丘をもち古墳南東隅がやや削られていますが、
全長約150m・高さは一番高い所で約16mもある大きな前方後円墳となっており、
尾張地方で最大規模の古墳であることから、
古代豪族の尾張氏の首長墓になると考えられています。
しかし被葬者は明らかでなく熱田神宮では古くから「陀武夫御墓」と称し、
日本武尊妃の宮簀媛命(みやずひめのみこと)の墓とし熱田神宮神域として保護され、
現在も毎年5月8日に白鳥古墳と断夫山古墳において御陵墓祭を行なっています。
ただし、史書上での日本武尊伝説の想定年代は4世紀頃となり、
断夫山古墳の築造時期とは大きく隔たりがあります。

古墳の周濠から前方後円墳の形がよく判ります。
前方後円墳なので手前の円形部分が後ろで、
奥の方墳部分が前方になります。
古墳の規模は、築造当時6世紀前半の大阪府高槻市の大王墓の今城塚古墳(190m)には及ばないものの、
福岡県の八女市岩戸山古墳(135m)を上回り、全国で屈指の規模となっています。
また、この円墳と方墳の繋がるくびれの部分からは多量の須恵器が出土しましたが、
その多くが行方不明となっており現在確認できるものの大半は全形の不明な小片で、
行方不明となった須恵器のうちには貴重な子持高坏(こもちたかつき)もあったといわれています。

おまけの古墳の猫ちゃんです(*゚∀゚)=3すごく警戒されてます(笑
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