▼大國魂神社-神戸稲荷神社・馬場大門欅並木▼ - 2017.03.08 Wed







御祭神は宇迦之御魂神
大國魂神社の大鳥居の右手すぐ横に鎮座し、
旧町内神戸(ごうど)の方々により勧請され崇敬されているため、
「ごうどいなりじんじゃ」と呼ばれています。



この馬場大門欅並木(ばばだいもんけやきなみき)は国名勝天然記念物指定されており、
義・義家の父子が奥州征伐の途中当社に戦勝を祈願し、
凱旋時に欅の苗木1000本を奉樹したのが府中の欅並木の発端と伝えられています。
現在は最初に奉樹された当時の欅はまったく残っていませんが、
徳川家康が江戸入城(天正18年1590)した後、江戸の開幕を祝して慶長年間に欅並木に補植し、
また関ヶ原・大阪両陣の奉賽のため両側に馬場を寄進した当時のものが、
拝殿より欅並木に向かい旧甲州街道手前右側こ樹齢約600年の欅並木最古の欅としてあります。

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▼大國魂神社-宮乃咩神社▼ - 2017.02.26 Sun






一の鳥居から随神門へと続く参道の途中に鎮座し、
その創建は古く本社と同時代といわれています。
宮乃咩神社の例祭「青袖祭・杉舞祭」が有名で、
この祭は文治2年に源頼朝より武蔵国中の神職に対し、
天下泰平の祈願を行うべきとの指示があり、
国中の神職が毎年参会して12日の夜より13日の朝まで終夜舞楽を奏したことにはじまります。
宮乃咩神社において舞人が青袖の舞衣を着用して神楽舞を舞い、
その後、御拝殿にて笛太鼓に合わせて舞うので「青袖祭」と言い、
13日の朝に至り、拝殿に於いて杉の小枝を手草として舞うので「杉舞祭」と呼ばれています。
現在は祭典及び神前舞のみとなっています。





源頼朝の妻、北条政子の安産を祈願した神社としても有名で、
安産の神様として崇敬され7月12日には安産特別祈願祭を行っています。
また安産祈願にお産が水が抜けるように軽くなることを願って、
絵馬のほかに底に穴の開いた「柄杓」を奉納する珍しい風習があります。



毎年8月1日には八朔相撲祭があり、
この祭りは天正18年の8月1日の徳川家康の江戸入城を賀し、
この日を記念して天下泰平・五穀豊穣を祈る奉納相撲として始まったもので、
領民の体育奨励の目的を以て幕府より水引幕を献納せられたという由緒ある祭です。
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▼大國魂神社-随神門・亀石・鶴石・鼓楼▼ - 2017.02.22 Wed


大國魂神社には真新しい立派な随神門があり、
その周囲にいくつか面白い見所があります。


鼓楼はかつては時刻や緊急事態を知らせるための太鼓を置いた建物で、
寺の鐘楼に対して、神社では太鼓を置くから鼓楼と呼称されます。
こちらの大國魂神社の最初の鼓楼は慶長年間の造営の際に、
徳川家康が江戸開幕を祝って六所宮の本殿を造営、
それに伴うものとして鼓楼と三重の塔を建立されたものでしたが、
正保3年(1646)の火災で焼失し、
それから約200年後の嘉永7年(1854)に現在のものが再建されました。


こちらは鼓楼のすぐ横にある「亀石」です。


こちらはその亀石と対面するようにある「鶴石」です。
どちらの石もとくに亀や鶴の形に見える風でなく、
その由緒などは不明ですが、
願い事を祈りながら撫でるとご利益があるといわれています。





この随神門は平成23年に大國魂神社御鎮座壱千九百年事業として改築されたもので、
門は高さ8.5m幅25m、門扉は高さ4.5m幅4.7m。扉一枚は畳5畳分程、
正面には随神像、後面には恵比寿大國が納められております。
この随神像は大國魂神社氏子青年崇敬会が独自に浄財を集め、
享保20年(1736)に是政出身の代官川崎定孝により奉納された「随神像」に倣い
製作には古くから伝わる顔料、材料を使用し、
江戸時代に作られたであろう行程で東京藝術大学にて製作されました。
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▼大國魂神社-水神社・さざれ石▼ - 2017.02.18 Sat





御祭神は水波能売命、加茂別雷命、玉依姫命、加茂別建角身命
拝殿の左手、松尾神社隣の庭園のような場所に鎮座しています。
創立年代不詳ですが石の社殿は嘉永2年(1849)のもので、
かつては御供所(休憩所)の東側に鎮座し本殿と同じく北を向いていました。
現在の場所へは昭和58年に移設し、
その際に当社境外末社の滝神社より御霊分けをされ、
大國魂神社奉賛会記念事業の一つとして作られた深井戸を利用して、
地下水を祠の台座の竜頭口より流しだしています。
この御神水は地下からの井戸水ですのでそのままは飲めませんが、
御水取りの神事に利用され水を汲む参拝者で賑わうそうです。






この庭園の中を流れる小川の水は水神社の御神水と同じく地下から湧き出しており、
心身のけがれや災いなどを移して祓い川流す行事「人形流し」に使われています。



さざれ石は大國魂神社の案内板によりますと、
長年を経て小粒石が巌に団結し苔むす様は一家、町、国と集結し、
幾千代まで栄え行く人間の協調発展の精神に比喩され、
算賀を祝し長寿を祈る嘉句として国歌や古今和歌集に詠まれていると書かれていました。
こちらのさざれ石は重量4850kgにもなるそうです。


水神社のところにある人形流しは常時設置され、
ご希望の方はいつでも行えるようになっていますが、
この「大祓神事の人型流し」は大國魂神社の神事として、
6月と12月の晦日(月末)にこの人形を祈祷し多摩川に流すという神事です。
ご希望の方はこの人形に氏名と年齢を書き息を吹きかけ全身を撫で、
社務所または御札場へと初穂料を添えてお持ちいただきお願いするようになっています。

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▼大國魂神社-軍艦多摩戦没者慰霊碑と日露戦役記念碑▼ - 2017.02.10 Fri






第二次世界大戦時に沈没した軽巡洋艦「多摩」の戦没者を祀った慰霊碑で、
艦内神社として大國魂神社をお祀りしていた御縁で、
多摩沈没70年を機に平成26年10月25日に建立されました。
大正時代の八八艦隊構想により建造された5500トン型軽巡洋艦の内の一つで、
三菱造船長崎造船所にて1920(大正9)年2月10日進水し、
球磨型2番艦の当艦の艦名は多摩川にちなんで名付けられ、
就役してすぐシベリア出兵などに従事しました。


フィリピンエンガノ岬沖に於いて敵機動部隊と交戦の後、沈没しました。
約450人とされる乗組員全員が戦死し、
乗組員名簿が見つからなかったため戦没者は約30人しか判明しておらず、
この慰霊碑建立の際に設立された「軍艦多摩顕彰会」では、
今後も一人でも多くのご遺族を捜していくそうです。
石碑には大正13年に海軍少佐・松川彦太郎さんが献歌された、
「玉の緒の
あらんかぎりは
大神の
御恵うけて
國や守らん」
という歌が刻まれています。


明治40年3月に建立され、
石碑表には、元師・伯爵野津道貫の書により「日露戦役記念」と、
裏面には米庵流の書家本田退庵の書による出征軍人の名が刻まれています。
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