▼氷上姉子神社-元宮▼ - 2017.12.08 Fri






氷上姉子神社の鳥居と道路を挟んだ向かい側に元宮の鳥居があり、
そこから火上山を登って行きますと頂上に元宮が鎮座しています。
鳥居から元宮のある場所までは約五分ほどで到着します。






この元宮のある場所は建稲種公・宮簀媛の館跡で、
氷上姉子神社が創始された当初はここに社があり、
持統天皇4年に現在の場所へと遷座されるまでは、
氷上姉子神社の鎮座地でありました。
社の隣にある石碑には熱田神宮大宮司を務めた角田忠行氏の字で、
「倭武天皇皇妃 尾張国造之祖 宮簀媛命宅趾」と書かれています。






ここでのお賽銭の入れ方はちょっと変わっていまして、
社前に備え付けられた竹の棒の先にお賽銭を乗せ、
賽銭箱にそっと入れるようになっていて面白いです。
ちなみに棒には「お賽銭は投げないでください お賽銭入れの筒です by喜寿老人」と書かれています。

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▼寝覚の里▼ - 2017.12.04 Mon


日本武尊と宮簀媛命の故事にまつわる場所として、
明治43年に熱田神宮の角田忠行宮司が建てた碑で、
名古屋市緑区大高町の住宅街の中にあり、
氷上姉子神社からは西側、名和古墳群との中間辺りにあります。
当時の石碑などは現在の場所よりやや東の田の中の塚の中にありましたが、
伊勢湾台風で散逸してしまったため昭和五十五年に現在の地に再建されたものです。




この「寝覚の里」のある場所は昔は海の波が打ち寄せる浦であり、
日本武尊と宮箕媛命が火上の地で出会い夫婦の契りを結び、
短い新婚時代を過ごした館があったとされる場所で、
あゆち潟の寄せては返す波音で寝覚められたという伝承の地です。
ちなみに「寝覚の里」の推定地はいくつかあり、
1.知多郡名和村 2.片町東御殿の地 3.浜の鳥居の東、
4.熱田宿より鳴海宿までの浦 5.松風の里の別称、
など多くありますが由来など不明なことが多く確かな場所はわかっていません。
昔は波打ち際であったこの場所も、
現在は埋め立てなどにより海岸から約4kmほど離れた場所になっています。

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▼氷上姉子神社-名和古墳群▼ - 2017.11.28 Tue






東海市名和町三ツ屋にある古墳で、
氷上姉子神社のある火上山の西端辺りに位置し、
標高約10mの丘陵上に現存している3基の円墳(1・2・3号墳)で構成され、
三ツ屋古墳群とも呼ばれている古墳時代末期(6世紀)の墳墓です。
山林の中に1号墳と2号墳があり、
畑の中に3号墳があります。


「愛知県史跡名所 天然記念物調査報告第二巻」によりますと、
1号墳は明治29年に地主が植えられていた松を売却しようと、
墳墓であることを知らず掘ったところ副葬品を発見して話題となり、
当時は参拝者で混雑するほどであったそうです。
また、氷上姉子神社の関係地であるため尾張氏の祖乎止与命や、
建稲種命または宮簀媛の墓ではないかと議論されましたが、
古墳の規模や形状・出土品などから断定には至っていません。
また、昭和28年には、上野中学校が発掘調査をしています。
その結果、直径20mの円墳で、内部に平石を7から8段積み上げた横穴式石室が確認され、
石室からは坏、壺、器台などの須恵器と呼ばれる陶器や鉄鏃が出土しました。

最上部は玉垣で囲まれ門扉前に石碑があり垣内に古墳があります。

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▼氷上姉子神社-玉根社と大高齋田▼ - 2017.11.25 Sat






御祭神は少彦名命
火上山の麓、氷上姉子神社へ続く参道の途中に鎮座し、
医薬・酒造りの神様としてこの地で篤く信仰されています。
創建などは明らかではありませんが、
ここは氷上姉子神社を取り巻く古墳群の一角であり、
この鎮座地も古墳の一部であると考えられています。





かつては巨木老樹の生茂る広い社叢のある神社だったようですが、
国道23号線や高速道路の区画整理などにより一部開発され、
昔の面影は無くなってしまったそうです。

玉根社の右隣には「大高斎田」があります。


「大高齋田」は熱田新宮の御神田であり、
昭和7年に設定され、翌8年から御田植え祭りが始められ、
収穫米は熱田神宮の本宮、各社の年間の祭典用神饌として供えられるそうです。
毎年6月第4日曜日には古式豊かに御田植祭が行われ、
揃いの衣装で田植歌に合わせて田舞を奉納しお田植えをします。

ここから見える前方の小高い丘には氷上姉子神社の元宮があります。

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▼氷上姉子神社-本殿▼ - 2017.11.20 Mon






「氷上山(火上山・ひかみやま)」と称される丘陵上に鎮座し、
熱田神宮の創祀以前に草薙剣が奉斎された地と伝えられており、
熱田神宮の境外摂社であり延喜式には「火上姉子神社」記される神社です。
名古屋市緑区大高町の氏神様として親しまれており、
地元では「お氷上さん」と呼ばれ信仰されています。






宮簀媛命は尾張氏、尾張国造の祖と伝えられており、
『古事記』では「美夜受比売」、『日本書紀』では「宮簀媛」と表記され、
いずれの文献でも日本武尊(第12代景行天皇皇子)の妃になり、
日本武尊が伊吹山へと向かう前に草薙剣を預けた人物として記されています。
創建は仲哀天皇4年、
日本武尊亡き後、この地で祭っていた草薙剣を遷して創祀したのが熱田神宮の始まりで、
宮簀媛命の館跡(現在の氷上姉子神社元宮)に宮簀媛命の神霊を祀ったのが氷上姉子神社の創祀です。
その後、持統天皇4年(690年)に東方の現社地に遷座しました。
この地は往古は火上の里とよばれていましたが、
永徳3年(1382)に社殿が火災にあったため火の字を避けて「氷上」と改め、
火高は「大高」に改めたといわれています。
また『尾張国熱田太神宮縁記』(熱田宮縁記)においては、
日本武尊が宮簀媛命を想って詠んだとされる、
「阿由知何多 比加彌阿禰古波 和例許牟止 止許佐留良牟也 阿波禮阿禰古乎」
(愛知潟 氷上姉子は 吾来むと 床避るらむや あはれ姉子を)
という歌が残されています。






現在の本殿は明治26年に熱田神宮別宮の八剣宮社殿を移築したもので、
かつての熱田神宮は戦火で焼失してしまった為、
現存する数少ない「尾張造(おわりづくり)」という神社建築様式の社殿となっています。
尾張造は本殿(後)、祭文殿(中)、拝殿(前)を回廊で繋いだ左右対称という、
尾張地方独特の建築様式です。





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