▼富士山本宮浅間大社-桜の馬場・鉾立石▼ - 2018.01.28 Sun

富士山本宮浅間大社の一の鳥居から本殿までの参道の見所のご紹介です。





拝殿・舞殿・本殿とともに徳川家康によって造営され、
半2階入母屋造で正面と左右に扉がつく立派なものとなっています。
また掲げられている「冨士山本宮」の扁額は1819年(文政2年)の、
聖護院入道盈仁親王の筆によるものとのことです。
その楼門の前にある石は「鉾立石」というもので、
浅間大社から山宮浅間神社へと神様が行き来する神事の際に、
鉾を立て神様が鉾を依り代にして神社を行き来るための石です。
かつてはその道沿いに沢山の鉾立石がありましたが、
明治時代に神事が廃止されてからはほとんどが取り除かれ、
神社の境内に残されているのみとなっています。


楼門前で東西にのびる砂場は「桜の馬場」です。
ここでは五月の春季大祭にて「流鏑馬(やぶさめ)祭」が催され、
鎌倉武士に扮した射手が疾走する馬から矢を射るという、
神事流鏑馬式の勇壮な妙技が繰り広げられます。

社伝によりますとこの流鏑馬祭りの始まりは鎌倉時代の頃、
源頼朝が富士の巻狩りを行った際に浅間大社に流鏑馬を奉納し、
武運長久・天下太平を祈願したのが始まりとされており、
この参道にはも流鏑馬をする源頼朝の銅像が置かれています。





参道に架かる輪橋は大正天皇の御即位記念として石造りになった橋で、
橋の架かる鏡池はその形から「眼鏡池」とも呼ばれています。

これにて五回に亘った富士山本宮浅間大社の境内御案内シリーズは終了です。

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▼富士山本宮浅間大社-天神社-稲荷神社・厳島神社▼ - 2018.01.24 Wed






御祭神は菅原道真
水屋神社の北側、本宮境内後方の神立山への入り口に鎮座し、
維新後の一時期は「天満社」とも称していたそうです。


湧玉池の北に位置する天神社の右手には、
2008年の発掘調査により確認された、
社殿配置図(1670年)にある護摩堂の建物跡や石畳など、
神仏習合時代の遺構などが確認できます。


御祭神は宇迦之御魂神・大宮能賣神・猿田毘古神
明治初期、社僧大蓮寺境内から遷され、
御手洗川(神田川)の西岸に鎮座しいます。

湧玉池から流れる御手洗川(神田川)に架かる橋を渡り中州へ


御祭神は市杵嶋姫神
湧玉池に浮かぶ島に鎮座し、
江戸期までは辨天社とも称されていました。

厳島神社の東側にも富士山から流れ出た溶岩が固まった地層がよく判る場所があります。

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▼富士山本宮浅間大社-水屋神社・湧玉池▼ - 2018.01.19 Fri

浅間大社本殿の右手の東脇門を出たところにある「湧玉池」へと向かいます。






御祭神は御井神、鳴雷神
富士山からの御霊水を守護する神社で、
水屋神社では平成の名水百選にも選ばれている富士山御霊水を、
汲み持ち帰ることができるようになっています。
但し、御霊水はそのまま飲むことができない為、
必ず煮沸させて飲むよう、お気を付けください。
また参道の上は藤棚となっており、
藤の季節には見事に連なる藤の花が見所となっております。





湧玉池の水源の岩の上に水屋神社は鎮座しています。


湧玉池を構成している水は、
すべて富士山の雪解け水が冷えて固まった溶岩の間を通り湧き出した伏流水からなるもので、
富士山登山者はこの霊水に禊ぎをして登山するという古くからの習わしがあり、
特別天然記念物にも指定されております。
湧玉池の水は1年間ほとんど増減なく毎日約30万tも湧き出ており、
水温は1年を通して13℃前後で一定しています。

伏流水が湧き出すこのゴツゴツとした岩が地質の分かれ目となっており、
緑化している崖側は溶岩が固まって出来た地層です。


流れ出て冷えて固まった溶岩の先端が「末端崖(まったんがい)」を形成し、
その地層の中を富士山から約15年の年月をかけ水が湧き出ています。
この溶岩が流れ出た富士山の噴火口からはここまでは約20kmで、
ある意味ここが富士山の裾の先端と言えるかもしれません。

透明度の高い池の中には梅花藻も見えます。

「つかうべきかずにをとらん浅間なる御手洗川のそこにわく玉」 (平兼盛)
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▼富士山本宮浅間大社-三之宮浅間神社・七之宮浅間神社▼ - 2018.01.15 Mon


江戸時代には境内・境外に摂社19社、末社15社と多くの摂末社を抱えていた浅間大社でしたが、
安政大地震により大破し内陣に合祀されたり明治以降の統廃合により、
現在は境内に摂社2社・末社4社を抱える神社となっています。
境外にあった摂末社などは実情独立した別個の神社となって現在も周辺に鎮座しています。

こちらは摂社・三之宮浅間神社です。
御祭神は浅間第三御子神
「駿河国神名帳」に列する正三位浅間第三御子明神と考えられ、
江戸期までは三之宮と称されていました。

三之宮浅間神社の左隣にある注連縄の張られた盛砂は「富士山浄砂(きよめずな)」です。
この砂は敷地の隅に撒いて清めたりする「お砂取り」に使われるもので、
富士山奥宮の清浄な土地の砂をお守りとしたり、家の敷地を清める為に撒いて使用します。
授与所に申し出れば一握りほどいただけるそうです。


御祭神は浅間第七御子神
「駿河国神名帳」に列する正三位浅間第七御子明神と考えられ、
江戸期までは七之宮と称されていたそうです。

「駿河国神名帳」には浅間御子明神の名で第一御子明神から第十八御子明神までの記載されていますが、
このうち第三御子神・第七御子神は本宮境内に摂社として祀られ、
第一御子神は若之宮浅間神社に第二御子神が二之宮浅間神社にと、
境外の神社にて祀られています。
また一説には第八御子神・第十八御子神は米之宮浅間神社に祀られているとされていますが、
その他の御子神の所在は明らかとなっていません。


本殿と社務所の中間辺りに置かれている二つの石は、
「火山弾」と「南極の石」という他の神社ではなかなか見かけないものです。

こちらは「南極の石」で、
南極奥地より氷河によって運ばれ、
地吹雪により風化し独特の風合を醸し出した石です。
第7次南極観測船(1965)の砕氷船「ふじ」の乗組員であった、
富士宮市出身の赤池 稔氏が奉納されました。

こちらは「火山弾」で重さは約100キロ。
この石は宝永大噴火の富士山噴火時に境内に飛んできたと言われる石で、
噴火の時に地中の岩漿(がんしょう)が火熱のため溶けて空中に吹き上げられ、
落下した際に酸化して冷却され固まったものでこのように整ったものは珍しいそうです。
ちなみにこの「宝永火口(ほうえいかこう)」を作った宝永大噴火では、
火山灰、火山礫、火山弾など飛び散った総量は9億トンともいわれ、
遠くは江戸の町にまで降ったと伝えられています。

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▼富士山本宮浅間大社-本殿▼ - 2018.01.10 Wed






駿河国一宮であり延喜式神名帳では名神大社「浅間神社」と記載され
全国に約1,300社ある浅間神社の総本社として富士信仰の中心地として知られ、
富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つとして、
世界文化遺産に登録されている神社です。
古来は「富士ノ宮」「富士本宮」「富士浅間宮」なども社号として用いられ、
また「ふじの宮」という呼称もあり富士宮市の市名の由来となっています。
「浅間」の語源については諸説ありますが古称である「あさま」が、
阿蘇山・浅間山・朝日岳等に見られるように「火山」を表す呼称と考えられています。
現在の「せんげん」という読み方は中世以降から用いられた呼称です。










富士山本宮浅間大社は広大な境内を有していることでも有名で、
本宮社地だけで約17,000m2になるほか、
富士山の8合目以上の約385万m2も社地として所有しており、
頂上付近には奥宮が鎮座しています。
また本宮の社殿は慶長9年(1604年)に徳川家康の造営によるもので、
宝永地震(宝永4年(1707年))や安政東海地震(嘉永7年(1854年))などで崩壊した建物もあり、
現在は本殿・拝殿・楼門だけが現存しています。
本殿は「浅間造」と称される特徴的な造りで、
桁行5間・梁間4間・寄棟造の社殿の上に三間社流造の社殿が乗り、
二重の楼閣造となる珍しい形式となっており、
国の重要文化財に指定されています。






創始は「富士本宮浅間社記」によりますと、
孝霊天皇の御代に富士山が大噴火をしたため周辺住民は離散し、
長く荒れ果てた状態が続いたのを垂仁天皇が憂い垂仁3年(前27)に、
富士山麓の山足の地にて浅間大神を祀り山霊を鎮めたのが起源とされています。
そして景行天皇の時代には日本武尊が駿河国で賊徒の計にかかり野火の難に遭った際に、
浅間大神に祈念して難を逃れたので賊徒を平定した後に山宮(山宮浅間神社)に磐境を設け浅間大神を祀り、
のちの大同元年(806年)に平城天皇の命により、
坂上田村麻呂が現在の大宮の地に社殿を造営したと伝えられています。
富士山の神霊を木花之佐久夜毘売命に当てる起源は明らかではありませんが、
「木花」は桜の古名であるとされることから桜の関係は深く、
続後撰和歌集における隆弁の歌の詞書に、
「四月廿日あまりの比、駿河の富士の社にこもりて侍りけるに、櫻花のさかりに見えければよみ侍りける」
とありように古来より境内に多くの桜の木があった様子が窺え、
現在も多くの桜の木が境内に立っています。




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