▼淡島神社(加太)-紀文稲荷社・雛倉など▼ - 2018.08.26 Sun






本殿の左手、招き猫や福助の多く並ぶ参道の奥にあるのは「雛倉」で、
この紀州徳川家10代藩主治宝建立の白い社には、
かつては徳川家より奉納された雛人形が入っていましたが、
現在は他に移され古い雛人形のみが納められています。






二階建ての様にになっている上階の社が「大国主社」で、
淡島神社の御祭神である少彦命名とともに国つくりを行った大己貴命がお祀りされています。
その大国主社の下にあるのが「塩壷」というもので、
この水を歯につけると歯痛が消えたという言い伝えがあり、
身体の痛い部分にこの水をつけると治るとされ、通称「お歯黒石」とも呼ばれています。






紀文稲荷社は紀国屋文左衛門が奉納したお稲荷さんで、
淡島神社の近くで生まれ巨万の富を築いた紀国屋文左衛門が、
江戸に移り住む前にここに奉納したと伝えられています。






ここには御祭神の少彦命名の使い神である蛙がお祀りされており、
社殿内には多くの蛙の像が置かれており、
本殿で祈願したことを伝えて下さいと使い神に託す社となっています。
階段を下りたところ、本殿の裏手にあるのは「末社」で、
格子に多くの絵馬が掛けられたこの社には淡島神と八百万の神がお祀りされており、
淡島神は婦人病にかかったため淡島に流されたという伝承から、
安産・子請授・婦人病等、女性の願いが叶うといわれ、
祈願のため自身の履いていた下着を奉納するという風習があります。

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▼淡島神社(加太)-本殿▼ - 2018.08.21 Tue






全国に約1000社余りある淡島神社(淡嶋神社)・粟島神社・淡路神社の総本社で、
式内社「加太神社」の比定社の一つであり、
和歌山県内でも屈指の古い歴史を誇る神社です。






創建は神功皇后が三韓出兵の帰途瀬戸の海上での突然の嵐に遭遇し、
沈みそうになる船中で神功皇后が祈りを捧げたところ、
「船の苫を海に投げ、その流れのままに船を進めるように」とお告げがあり、
その通りに船を進めると、ひとつの島にたどり着く事が出来ました。
その島が友ヶ島であり無事入港できたことを感謝し、
持ち帰った三韓渡来の宝物と少彦名命と大己貴命を、
友ヶ島のうちの神島(淡島)に祀られたことが始まりと伝えられています。
その後、神功皇后の孫である仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来た際に、
島では不自由であろうと考え社を対岸の加太、現在の場所に移されました。










社殿や境内に並べられた約2万体ともいわれる無数の人形は圧巻で、
雛人形や市松人形に七福神や熊や狸の置物など様々な種類の人形が、
それぞれの種類に分かれて並べられ賑やかな雰囲気となっています。
江戸時代に淡島願人と呼ばれる人々が淡島明神の人形を祀った厨子を背負い、
淡島明神の神徳を説いて廻り淡島信仰を全国に広めたことから、
後に人形供養の神社としても有名になったのだと考えられます。
また針供養の神社としても有名で境内には針塚が建てられており、
近年では縫い物をする機会が少なくなっていることから奉納される針の数も減りましたが、
毎年2月ごろに全国から集められた針を供養するお祭りが行なわれます。

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