▼由良神社-宝珠院如意寺▼ - 2019.01.22 Tue

由良といえば森鴎外の「山椒太夫」の舞台として全国的に知られ、
由良・石浦近辺は伝承に因む地が多く残っており、
ここ由良神社にも山椒太夫の伝説に縁のあるお寺が隣接しています。






真言宗東寺派 由良山 宝珠院・如意寺の境内に出ます。
如意寺はもとは由良神社(旧 熊野三所権現)の別当寺で、
地蔵堂には京都府指定文化財でもある地蔵菩薩坐像が安置されており、
この像は鎌倉時代の仏師・快慶の若い頃の作とのことです。
また、この地蔵菩薩坐像は「身代り地蔵」とも呼ばれ、
山椒太夫の物語の中で太夫に捕らわれていた安寿と厨子王の姉弟が、
そのもとから逃げようとして見つかり罰として焼印を当てられますが、
一夜明けると姉弟の傷は癒え、この像に焼け跡があったという伝説があります。
森鴎外の小説の中ではこのことは夢の中の出来事となっていますが、
この像には実際に右肩に焼き印を押されたような跡があるそうです。






山椒太夫のもとから逃れ、父の冤罪を晴らし、
旧領とここ丹後の国司となった厨子王丸は、
恨らみ重なる山椒太夫を引捕え青竹の鋸で首引きの極刑に処します。
その太夫臨終の折、当寺住職の諭しに依り浄菩提心を発し、
「我れ今より後緒人の奇禍に遭う者あるを見ればそれを救うの誓願を立てん。
生来所造の諸悪の罪障この発願に依りて消滅せしめ給え」と唱えて息絶えたといいます。
後世に人々が太夫及びその一族の霊を憐れんで供養のために首塚として建てたのがこの宝篋印塔で、
南北朝時代乃至室町時代頃に作られ約六百年を経過しています。

由良神社から来たため裏から入ってきた形になりましたが、
こちらがお寺の正門です。
門の先に見える山が由良山です。

こちらのお寺のほかにもこの由良の地には山椒大夫に纏わる伝説の地が数多く点在し、
「首挽松の碑」や安寿が潮を汲んだ「汐汲浜」などがあり、
それらの山椒大夫の物語の伝説の地を巡ってみるのも良いかもしれません。

この道の奥へ行きますと由良神社の境内に出ます。

鳥居の先にうっすらと見えるのが日本海です。
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▼由良神社▼ - 2019.01.17 Thu






京都府の北部を流れる由良川の河口近くに鎮座し、
近くには丹後街道が通り西に行くと天橋立に、
東に向かうと舞鶴へと続きます。
また神社の目の前には日本海が広がり、
夏には海水客で賑わう丹後由良海水浴場があります。






明治になるまで熊野十二社大権現、あるいは熊野三所権現と称し、
かつては西御社と東御社が並立し西を上社として熊野三所を、
東を下社として九所を祀っていたそうです。
明治20年に京都の花の御所に鎮座していた花御所八幡を合祀し由良神社と改称されました。
ちなみに百人一首に修められた曾根好泉の和歌、
「由良の門を 渡る舟人 梶を絶へ
行方も知らぬ 恋の道かな」
に出てくる「由良の門」はこの地のことで、
「門(と)」は海峡や水流の寄せ引く口の意味し、
河口で川と海が出会う潮の流れが激しい場所のことです。








由良ヶ岳は舞鶴市と宮津市に跨(またが)る標高640mの山で、
裾野を広げた山容から丹後富士とも呼ばれ、
江戸時代には虚空蔵ヶ岳とも呼ばれた修験道の聖山であり、
丹後天橋立大江山国定公園にも含まれて居ます。
また由良神社は旧日本海軍の軽巡洋艦「由良」の艦内神社の勧請元にもなっています。

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