宮島巡り 『宮尾城址(要害山)』 - 2019.06.25 Tue

さて、宮島と言いますと厳島神社が一番有名で思い浮かびますが、
戦国時代に起こった「厳島合戦」という毛利家が中国地方統一への第一歩となった場所でもあります。

その合戦に関する史跡の中でも毛利軍が厳島に築いたとされる「宮尾城」の址が、
フェリー乗り場から厳島神社へと向かう道の途中、
表参道商店街の通りに入る手前に、
要害山として城址へと続く石段があります。
写真右手が厳島神社の表参道で多くの人が通って行きますが、
皆さんここは通り過ぎて行きます(*´Д`)(笑





かつて宮尾城(みやおじょう)があった要害山は厳島北西に位置し、
標高は約30メートルでこの丘を中心に連郭式平山城が築かれていたそうです。
戦国時代に安芸を本拠に勢力を伸ばしていた毛利氏と、
周防・長門を領有していた大内氏を謀反により滅亡させた家臣・陶晴賢が対立し、
大内氏と盟友関係にあった毛利氏は陶晴賢軍に対し挙兵しますが、
戦力的に劣勢だった為、奇襲の一計を案じ、ここに城を築きました。
そうしてこの城に陶軍の大軍を誘き寄せ、
毛利軍は1555年9月の暴風雨と夜陰に乗じて厳島神社背後にある包ヶ浦に上陸し、
山を越え、塔の岡にあった陶軍の本陣を急襲し勝利します。
これが「厳島合戦」と呼ばれる戦いです٩( 'ω' )و

宮尾城跡から見た周防・長門方面
(-_☆)海上の様子がよく見えますね~♪

要害山山頂にある東屋です。
このあたりがお城の本丸かな?

山頂から見た塔の岡、陶晴賢軍の本陣が置かれていた方面です。
右端のほうに見える五重塔のある辺りだと思います。
ということは毛利軍はその後ろの山を越えて奇襲したということですね~(*゚∀゚)=3
他にもここからは宮島の町並みや大鳥居、千畳閣、なども眺めることができます。

本丸跡の東屋から一段下がった場所は二の丸跡で、
現在は今伊勢神社が鎮座しています。





今伊勢神社の御祭神は、
天照皇大神・八幡大神・春日大神・素戔嗚命
猿田彦命・興津彦命・興津姫命
昔はいいから石段を降りたところにある存光寺で、
例祭が行われる11月1日に湯立神楽が舞われていたそうですが、
現在は祭典のみ行われているとのことです。

今伊勢神社前の石段は結構急で手摺などがありませんので、
降りるときは注意が必要です。

石段下から見るとこんな感じ~
言い伝えでは宮尾城は急造された城のような印象を受けますが、
土台や石垣がしっかりとしている感じから、
一から築城したわけではなく以前からあった砦などを改築した城だったとも考えられています。

石段を下まで降りてもう一度振り返ると、
鳥居のところに鹿さんが見送りに出てきてくれていましたヽ(´□`。)ノ(笑

石段を降りて通りに出ますと存光寺があります。
という感じの 『宮尾城址(要害山)』でした~(o´ω`o)
今回偶々通り過ぎただけですのでさらっと御紹介になりましたが、
要害山には他にも仁王門址とか城跡を示す遺構があるそうです。
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