◎あちこち神社◎
FC2ブログ
topimage

2020-07

*山の辺の道を歩く08-三輪山を歩いて大神神社へ* - 2020.04.18 Sat

山之辺の道08-01

山の辺の道を歩く・第八回

ここからはいよいよ大神神社のある三輪山の山道に入っていき、
ゴールの大神神社を目指します٩( 'ω' )و


山之辺の道08-03

大和高田桜井線(50号)より山の辺の道の表示に従い三輪山に入り、
すこし登りの山道を歩いていきますと明るく開けた場所に到着します。


山之辺の道08-04

ここは桧原神社という大神神社の摂社で、
皇居で祀られていた天照大御神をここ桧原の地(倭笠縫邑)に遷し、
お祀りしたのが伊勢の神宮(内宮)の創始となる、
皇女・豊鍬入姫と倭姫命(垂仁天皇皇女)の巡行始まりであります。

詳しくはこちらの桧原神社の記事にて→ 

山之辺の道08-05

大神神社まであと1.5キロ、もうすぐです(꒪˙꒳˙꒪ )♪


山之辺の道08-06

山之辺の道08-07山之辺の道08-08山之辺の道08-09山之辺の道08-10



神社の前は石が敷き詰められた平坦な道になっていましたので、
ここから石畳の歩きやすい道が続くのかな~?っと思っていましたら、
そうでもなかったです(ノ∀`)普通に山道でした(笑


山之辺の道08-11

結構アップダウンのある山道を歩いていきますと、
お寺の境内の雰囲気のある場所に到着します。

長いハイキングの道終盤ということもありますが、
たぶんこの区間が山の辺の道で一番道の険しいところのような気がしました(;゚∀゚)=3フゥ

山之辺の道08-12

ここは「三輪山 奥の院 玄賓庵密寺」という真言宗醍醐寺派のお寺で、
有名な世阿弥の作と伝える謡曲「三輪」の題材となった場所です。

謡曲「三輪」は三輪山の麓に隠棲したという玄賓と三輪明神の物語を題材にしたもので、
三輪山の庵にて隠棲する玄賓のもとへ樒(しきみ)を持ち閼伽の水を汲んで毎日女性が訪ねることにはじまり、
やがてだんだんと、不思議な世界へ足を踏み入れていき三輪明神と相対するという、
この三輪の地にふさわしい神秘性と詩情に満ちた物語となっています。



山之辺の道08-13

山之辺の道08-14山之辺の道08-15山之辺の道08-16


かつては三輪山の檜原谷に山寺としてあったそうですが、
明治の神仏分離により現在地に移されたそうです。

謡曲『三輪』にも
「秋寒き窓の内、秋寒き窓の内、軒の松風うち時雨れ、木の葉かき敷く庭の面、門は葎や閉ぢつらん。
下樋の水音も、苔に聞こえて静かなる、この山住みぞ淋しき」
と描かれているように現在の明るい里近くではなく、
隠遁した庵に相応しい山奥であったようです。


山之辺の道08-17

玄賓庵から先に進み、
狭井川という小川を越えますと大神神社の境内へと入り、
摂社・狭井神社の鳥居が見えて来ます。


狭井神社についてはこちらの記事にて→ 

山之辺の道08-18

狭井神社よりさらに先へ、
本殿へと向かって参道を歩いていきます。

ここまで来るともう知っているいつもの風景という感じです( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )


山之辺の道08-19

大神神社の拝殿の屋根が見えて来ました(꒪˙꒳˙꒪ )!!!


山之辺の道08-20

この階段を登ると大神神社拝殿です。


山之辺の道08-21

そしてっ!! ゴールの大神神社に到着っ!!

無事に何事もなく到着できたことと、
石上神宮からここまで完歩できたことへの感謝のお参りしました(人*´∀`*)

大神神社につきましてはこちらにて→ 

山之辺の道08-22

昼頃より歩き始めましたがもう夕暮れ間近になり、
ちょっと暗くなってきていましたので最後の区間はちょっと早歩きしてました(笑

というわけで山の辺の道を歩き抜きましたー(o´ω`o)ノ
全行程約14km、時間にして4時間弱のハイキングでした。

山の辺の道」は集落と集落を繋ぐ古道である為、
現在も生活道路として使われるとても歩きやすい道で、
それでいて道々には歴史のある史跡や古墳も多くあり、
とても楽しんで歩ける道でした♪


それではこれにて「山の辺の道を歩く」シリーズ終了でありますヽ(´□`。)ノ・ありがとうございましたー☆



山之辺の道08-23




○いつもポチッと投票ありがとうございます(o´ω`o)励みになります♪○

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ







スポンサーサイト



*山の辺の道を歩く07-祟神天皇陵から三輪山裾まで* - 2020.03.26 Thu

山之辺の道07-02

それでは前回の行燈山古墳・崇神天皇陵からのスタートでっすっ!!

あっ、山の辺の道を歩く・第七回です(o´ω`o)ノ


山之辺の道07-01

山之辺の道06-22山之辺の道06-23

前回は祟神天皇陵をご紹介いたしましたが、
その古墳の裏側、山の辺の道を挟んだ反対側にもう一つ古墳があります。

こちらは柳本古墳群の一つである『櫛山古墳』という古墳で、
古墳時代前期後半の4世紀頃に造られた全長152mの大型古墳です。

特筆すべきはその形で、
「双方中円墳」というとても珍しい形の古墳となっています。


山之辺の道07-03

山之辺の道07-04山之辺の道07-05

櫛山古墳近くにある歌碑を発見しつつ先に進んでいきます三(ง ˙˘˙ )ว

ちなみにこの歌碑は、
「玉かぎる 夕さり来れば 猟人の 弓月が嶽に 霞たなびく 作者不詳」
と刻まれています。

山之辺の道07-06

しばらく進んでいきますと案内板と歌碑のある休憩所に到着します。

ここの歌碑は地元桜井氏出身の俳人・武田無涯子の歌が刻まれており、
「二古陵に一人の衛士やほととぎす」
という俳句が刻まれています。

山之辺の道07-07

そしてここからは奈良時代の条里制に基づいて位置されてきた大和の集落の、
青垣山に囲まれた大和の整然とした美しい佇まいの風景を眺めることが出来ます( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )


条里制というのは古代から中世にかけて行われた土地区画制度。1町(約109m)の四角を基本単位で、
各区画単位を「1条1里」、「3条3里」となどとし地番管理をしたもので、
古代ではおよそ1里に50戸を集落の単位としていました。


山之辺の道07-08山之辺の道07-09山之辺の道07-10山之辺の道07-11


それでは~更に先へ~
いろいろな無人販売店を眺めつつ歩いていきます₍₍ (ง ˘ω˘ )ว ⁾⁾


山之辺の道07-12

山之辺の道07-13山之辺の道07-14

そうしてやがて見えてくる平野部にある小さな山のようなものが、
『渋谷向山古墳(景行天皇陵)』です。

古墳時代前期に作られたもので、
墳丘は全長約300メートル、後円部径約168メートル、前方部幅約170メートルという、
墳時代前期に築造されたものとしては国内最大の古墳です。

景行天皇は倭建命の父として知られ、
この古墳のことは古事記には「御陵は山辺の道の上にあり」、
日本書紀では「大和の国の山辺の道の上の陵に葬りまつる」と記されています。



山之辺の道07-15

渋谷向山古墳より先に進んでいきますと道が交差している場所に出ます。

ここはちょっと判り難いですが山の辺の道は左手の細い道を歩いていきます。


山之辺の道07-16

この道です(*´д`*)


山之辺の道07-17

やがて相撲発祥の地とされる相撲神社へと続く道に合流します。

見た覚えがある道だな~っと思いましたら以前、
相撲神社へと向かう途中で通った道でした(꒪˙꒳˙꒪ )!!!

山之辺の道07-19

山之辺の道07-22山之辺の道07-21

そしてここっ!!!
この風景が凄いんです(*゚∀゚)=3

遠くに金剛山・葛城山を望み、
手前にぽつぽつと三つほどある小さな山は、
香具山・畝傍山・耳成山という万葉集にうたわれた有名な奈良三山なのです☆

あと道すがら柿本人麻呂歌碑が二つありました~
縦長の歌碑には「ぬばたまの 夜さり来れば 巻向の 川音高しも 嵐かも疾き 実篤」と刻まれ、
もう一つのほうには「巻向の 山辺響みて 行く水の 水沫のごとし 世の人われは」と刻まれています。

山之辺の道07-23

やがて山の辺の道は山側へ登っていく感じの道となり…


山之辺の道07-24

山の辺の道大神神社のある三輪山へと入っていく道になります。


というわけで次回はいよいよゴールの大神神社到着で最終回となります٩( 'ω' )و



○いつもポチッと投票ありがとうございます(o´ω`o)励みになります♪○

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ





*山の辺の道を歩く06-大和神社御旅所から崇神天皇陵まで* - 2020.03.20 Fri

山之辺の道06-01

山之辺の道を歩く・弟6回っ٩( 'ω' )و

大和神社御旅所のある中山廃寺より出発ですっ!!


山之辺の道06-02

そして畑の中の畦道に唐突に現れる、
ウッドデッキのカッコイイ感じの休憩所です(笑


山之辺の道06-03

ウッドデッキの休憩所の前には柿本人麻呂歌碑もありました(o´ω`o)

ここのは
「衾道乎 引手 乃山尓妹乎置而  山徑徃者 生跡毛無 孝書」
と刻まれており読み方は、
「衾道を 引手の山に 妹を置きて 山路を行けば 生けりともなし」
と読み、ここでの「妹」とは妻という意味になります。

歌の意味は柿本人麻呂が妻を亡くし、今、引手の山に葬ってきた岐路にて、
引手の山を振り返りながら生きた心地もしない侘しさを感じるといった歌になります。

そしてこの「引手の山」というのはこの場所から山側を見るとある竜王山のことです。

山之辺の道06-06

山之辺の道06-04山之辺の道06-05山之辺の道06-07山之辺の道06-09


柿本人麻呂の歌碑より先に進み柳本地区という集落の中を歩いていきます₍₍ (ง ˘ω˘ )ว ⁾⁾


山之辺の道06-10

やがて門前町のような雰囲気の道になりますと~


山之辺の道06-11


大和神社の神宮寺として創建された古刹『長岳寺』です( ⑉¯ ꇴ ¯⑉ )


山之辺の道06-12

『長岳寺』は天長元年(824)淳和天皇の勅願により弘法大師が大和神社の神宮寺として創建したといわれ、
最盛時には塔中四十八ヶ坊、衆徒三百余名を数えた大きなお寺だったそうです。

創建から千年以上を経た現在でも重要文化財としては仏像5体、建造物4棟があり、
中でも日本最古とされる鐘楼門が有名です。

山之辺の道06-13

山之辺の道06-14山之辺の道06-15山之辺の道06-16山之辺の道06-18



長岳寺より少し進んだ先には「天理市トレイルセンター」という、
山の辺の道沿いにある情報提供・休憩機能を備えた施設があります(꒪˙꒳˙꒪ )♪

今回は寄っていませんが、
ここにはシャワー設備や、ロードバイクを停めるためのバイクラック、
美しい眺望が楽しめる開放的なデッキ、地元の食材を使った食事の出来るレストランがあります。


山之辺の道06-17


トレイルセンターより先に進むますと右手にこんもりとした山のようなものが見えて来ます。

そろそろ毎度のパターンでお気付きかもしれませんが~(笑

山之辺の道06-19

その山のようなものは「崇神天皇陵(行燈山古墳)」という古墳です(*´д`*)


山之辺の道06-24

崇神天皇陵は龍王山麓から西へ伸びる丘陵を利用して造られており、
周囲には濠が巡っています。
全長は約242m、後円部径約158m、口縁部の高さ約31m、
前方部の幅約100m、前方部の高さ約13.6m、
周濠を含めた全長は約360mという巨大な前方後円墳です。

大和朝廷の創始者とされる第10代天皇・崇神天皇の陵墓、
「山辺道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのうえのみささぎ)」として陵墓に指定され、
天皇陵として宮内庁が管理され中へ入ることはできませんが正面には拝所があります。

ちなみにこちら側は古墳の裏側ですのでなにもありません(ノ∀`)(笑

山之辺の道06-21


そんなかんじで古墳の大きさに感嘆しつつ次回につづきますε=(ノ・∀・)ノ




○いつもポチッと投票ありがとうございます(o´ω`o)励みになります♪○

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ





*山の辺の道を歩く05-萱生環濠集落から大和神社御旅所まで* - 2020.03.14 Sat

山之辺の道05-01

それではー前回の西山塚古墳のある萱生環濠集落から続きの、
山の辺の道を歩く』その5でっす(o´ω`o)ノ



山之辺の道05-02

山之辺の道05-03山之辺の道05-04山之辺の道05-05

竹之内環濠集落のように多くの集落を囲む環濠ではありませんが、
この辺りは環濠集落の雰囲気が出ていますね~

濠があって石垣の上に塀の高い屋敷、
ちょっとした砦のようにもみえますね( ◜ᴗ◝) (◜ᴗ◝ )

山之辺の道05-06

そして、突然現れるミカンの無人販売店(笑

山之辺の道05-07

山之辺の道05-08山之辺の道05-09山之辺の道05-10

萱生の集落の中にある「五社神社」です。

かつてはこの地に広大な森があり、そこに鎮座していた神社だったそうですが、
明治時代に歯定神社に合祀され社地であった森は開墾され畑などになりました、
しかし、その後また昭和26年にこの地へと戻り五社神社として鎮座されたそうです。

全国に五社神社という名の神社はありますが御祭神はそれぞれその地によって変り、
現在この五社神社では武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比咩大神の四柱を御祀りしています。

かつてはこの地の産土神が祀られていたとも考えられています。

山之辺の道05-11

さすが奈良っ! マンホールの蓋が銅鏡です(笑

四神鏡っぽいかな?(*゚∀゚)=3

山之辺の道05-12

五社神社の前の道を進み柿の木畑が左手に見えてきますと、
道はやがて念仏寺の墓地へと入って来ますが、ちゃんと山の辺の道正規のルートです。


山之辺の道05-13


山之辺の道05-14山之辺の道05-15山之辺の道05-16

この墓地と重なるようにある小高い丘のような場所は「燈籠山古墳」です。

「燈籠山古墳」は全長110mの前方後円墳で、
大和古墳群を構成する大型古墳のひとつであり、
出土した埴輪の特徴から古墳時代前期、4世紀前半の古墳と考えられています。

現在は円墳の部分だけが残り、前方の方墳部は墓地になっています。

山之辺の道05-17

念仏寺を過ぎますと前方にこんもりとした森が見え、
道なりにその中へ進んでいきますと一部公園となっている広場に到着します。


山之辺の道05-18

ここは中山大塚古墳の一部で、
以前ご紹介した「大和神社の御旅所」です。

大和神社の御旅所についてはこちら→ 


山之辺の道05-20

大和神社の斜め前は中山町の公民館となっており、
そこはまた中山廃寺という寺院跡でもあります。

旧中山寺は大きな寺でしたが室町時代の地震で焼失し、
焼け残った本尊の阿弥陀如来立像は、
旧中山寺の一坊とであった伝えられる念仏寺に安置されました。

先ほどの燈籠山古墳に隣接する墓地のお寺がそうです。


山之辺の道05-19

ここで石上神宮から大神神社まで歩くという山の辺の道の行程を約半分ぐらい来たことになります♪

というわけで次回から後半戦てす(`・ω・´)b
ちょっと日が落ちてきたのでここからは早歩き気味になります(笑



○いつもポチッと投票ありがとうございます(o´ω`o)励みになります♪○

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ






*山の辺の道を歩く04-休憩所の猫から西山塚古墳まで* - 2020.03.09 Mon

山之辺の道04-01


はいっ『山の辺の道を歩く』の第4回目でっす(o´ω`o)ノ

いままでの記事の内容からだいぶ歩いてきたような印象ですが、
まだ石上神宮から2.7キロほどしか歩いてません(笑

山之辺の道04-04

山之辺の道04-03山之辺の道04-05

ここで山の辺の道ウォーキングルートに点在する休憩所についてのご紹介です(-_☆)

山の辺の道を歩いていますとこういう感じの東屋のような休憩所が集落外に設置されていまして、
集落から集落の間には必ずあるという感じでした。

周辺地図やベンチとテーブルも設置されていましてとても助かりますね♪


山之辺の道04-06

猫ちゃんが居るのでここで大休憩としますっ!!(`・ω・´)(笑

もう一匹黒いのがいましたが横の草のトンネルに入って逃げていきました。

山之辺の道04-02

山之辺の道04-07山之辺の道04-08山之辺の道04-09山之辺の道04-10

良い景色です。
奈良県のこういう感じの風景好きです(人*´∀`*)

ちなみに今回はそちらの方へは向かいませんでしたが、
この場所のすぐ近くには「竹之内環濠集落」という地域があります。

環濠集落というのは集落の周囲に濠をめぐらしたもので、
室町時代になると戦国期の動乱による影響を強く受け、
自衛手段として防御のため集落の周囲に濠をめぐらした集落が奈良では多く見かけられます。

一般的に環濠集落は低地部で発達した集落の形態であるが、
ここ「竹之内環濠集落」は標高百メートルの山麓に立地する珍しいものとなっています。

「竹之内環濠集落」は写真のビニールハウスのところから山に向かってすぐの所にあります。

山之辺の道04-12


山之辺の道04-11山之辺の道04-13山之辺の道04-14



長閑な山之辺の道を桜井市方面へ向かって、さらにてくてく歩いていきます(ง ˘ω˘ )ว

この辺りにもぽつぽつと無人販売のお店がありました。


山之辺の道04-15

またまた歌碑を発見っ!!

これは柿本人麻呂の歌碑で、
「あしひきの 山川の瀬の 響るなべに 弓月が嶽に 雲立ち渡る 柿本朝臣人麿」と、
万葉集の歌が刻まれています。


山之辺の道04-16

山之辺の道04-17山之辺の道04-18山之辺の道04-20山之辺の道04-19


その柿本人麻呂の歌碑より少し進んだところに、
一枚の石に刻まれた二対のお地蔵さんがあります。

このお地蔵さんは「舟渡地蔵」というお地蔵さんで、
天理の昔ばなしでは、むかし萱生と竹之内両村で池堀りをしていたところ、
この一枚の石に刻まれた二体のお地蔵さんが出てきました。
そこで、お寺へ移そうとしたら運ぶ人たちの足腰に痛みがおこり、
お地蔵さんのたたりかと思われましたが、
見晴らしの良いこの場所で丁重にお祀りし供養をすると痛みがすっかり治ったと伝えられています。

そのことから今も腰から下の病気にはご利益があるといわれ、
「腰痛治しの地蔵さん」とも呼ばれているそうです。



山之辺の道04-21

山之辺の道04-22舟渡地蔵から先に進みますと萱生環濠集落です。

道に沿って西山塚古墳の周濠が続き、
環濠集落の面影を残す風景となっています。



この小山のような西山塚古墳古墳時代後期前葉の前方後円墳で、
前期古墳が大半を占める大和古墳群の中で、
後期の大型前方後円墳はこの古墳だけとなっています。

大和古墳群の中では唯一、前方部を北側に向けているのが特徴で、
墳の周囲を溜池は周濠の痕跡と考えられ後円部南西側の溜池の外側には外堤が残っています。

発掘調査は行われていないため定かではありませんが、
西山塚古墳が手白香皇女の真陵ではないかとする考え方があります。



今回はこんなところで~次回に続きまっす(ノシ 'ω')ノシ




○いつもポチッと投票ありがとうございます(o´ω`o)励みになります♪○

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ




NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

プロフィール

七森

Author:七森
あちこち出かけた先で撮影した
神社の写真です。

あと日常の写真も少々~♪

なぜかちょっぴりお菓子のレシピも(*´Д`)

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

カウンター

カテゴリー

Script by Lc-Factory
(詳細:Lc-Factory/雑記)

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

(・∀・)人(・∀・)

この人とブロともになる

ブロとも募集中でっす♪

スポンサードリンク

RSSリンクの表示