▼伊勢神宮-子安神社・大山衹神社▼ - 2020.08.19 Wed




所轄社の子安神社と大山衹神社へ向かいます。
御鎮座地は宇治橋を渡って来た所からそのまま直進し、
衛士見張所を過ぎたところに両社並んで鎮座しています。





延喜式神名帳や延暦儀式帳に記載がないことから、
古代には存在しなかったと考えられています。
明治5年に教部省は両古書に記載のない神社を一律に神宮所管から外されたため、
子安神社も大山祇神社も神宮所管から離れていましたが、
宮司庁からの要請と大山祇神社の氏子の復帰を願いにより、
大山祇神社と子安神社は明治33年に内宮に編入されました。




御祭神は木花開耶姫神(このはなさくやひめのかみ)
元々は宇治館町の産土神であったとされ、
安産を願い神前に小さな鳥居が奉納する慣わしとなっています。
ちなみに、この小さな鳥居は宇治浦田一丁目にある「俵田屋」で販売されています。






御祭神は大山祇神(おおやまつみのかみ)
旧称では「山神社」と呼ばれ、
かつては神宮式年遷宮の最初の祭儀である「山口祭」は、
この神社で催行されていたといわれています。
伊勢神宮では通常、摂社・末社・所管社には賽銭箱は置かれていませんが、
こちらの大山祇神社と子安神社には置かれています。

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▼伊勢神宮ー忌火屋殿・御酒殿・由貴御倉▼ - 2020.08.12 Wed


「忌火」とは清浄な火を意味し、
毎日ここで神様にお供えする神饌を作っており、
そのことから「神様の台所」とも呼ばれています。
ときおり建物の屋根から煙が出ていることがありますが、
それは中で神饌が調理され祭りの準備が進められている時です。

神宮のお供え物は原則自給自足で敷地内で作られているため、
神さまのお食事を用意する神職は、
日常生活の身の穢れを落とすため神宮の中に前晩から泊まり込み穢れを落とします。


忌火屋殿の前にある建物は五丈殿というもので、
内宮の正宮と別宮以外神社の祭祀はここで行い、
神宮の式年遷宮の祭事の時には、
「饗膳(きょうぜん)」と呼ばれる酒や肴でお祝いをする儀式が執り行われます。





御酒殿(みさかどの)と由貴御倉(ゆきのみくら)です。
奥の大きい建物が御酒殿で、
小さな方が由貴御倉です。
御酒殿は内宮所管社で、
かつては御酒殿で神酒を醸造していましたが、
現在は三節祭と呼ばれる6月と12月の月次祭および10月の神嘗祭の際に、
一時的に神前に供える酒を納めるために利用されています。
由貴御倉も内宮所管社で、
「由貴」とは「清浄で穢れのない」ということを意味し、
かつては由貴大御饌(ゆきのおおみけ)に供する御料の御贄を奉納する倉であったそうです。

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▼伊勢神宮・荒祭宮と神鶏▼ - 2020.08.06 Thu


荒祭宮は御稲御倉・外幣殿を過ぎ、
正宮の北方にある石段を下りますと、
正面のやや小高い丘に鎮座しています。


社殿の規模も正宮に次ぐ大きさとなっています。
創建当初は神垣・忌火殿・御倉等も揃っていたそうですが、
室町時代には困窮し、いつしかそれらは失われました。
その後、現在の完全な形になったのは1909年(明治42年)のことです。
荒祭宮の前の石段中程には杉の木が聳えていますが、
これは石段が江戸時代に作られる前からあったもので、
1909年(明治42年)に位置を若干かえますが、
この時に「杉をそのまま残す」という決定がされたそうです。


御祭神は天照大神の荒魂(荒御玉)で、
内宮正宮参拝後に参拝するのが正しいとされています。
荒祭宮では他の別宮に先駆けて皇大神宮に準じた祭事が行われ、
神饌の種類や数量も正宮の祭事とほぼ同等で、
祈年祭、月次祭、神嘗祭、新嘗祭の諸祭には皇室からの幣帛(へいはく)があり、
皇室の勅使は正宮に続き、内宮別宮のうち荒祭宮のみに参行されます。

荒祭宮から表参道へと戻ります。


日本神話の天岩戸伝説において、
天岩戸の前で暁をつげる長鳴鳥を鳴かせ祝詞を唱え、
後に天宇受賣命が踊り、手力男神により天照大御神の手を取って外に引き出し、
世界は再び明るくなったという伝説から、
長鳴鳥考えられる鶏が伊勢神宮の境内にはたくさん放し飼いにされています。

また式年遷宮においては、
内宮遷御の儀―として神域の明りはすべてかき消された淨闇の中、
「カケコー、カケコー、カケコー」と、
天岩戸開きの故事にならう、所役による“鶏鳴三声(けいめいさんせい)”が神宮の森に響き渡り、
遷御の儀の中でも最も重要な儀式が始まります。

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▼伊勢神宮・御稲御蔵・下幣殿・踏まぬ石▼ - 2020.07.27 Mon


内宮御正宮の参拝後の帰り道の途中に、
「帰り道」と「荒祭宮」へと向かう道に分かれる場所があります。
今回は「荒祭宮」への道にある神社などのご紹介です。

荒祭宮への道に入りますとすぐ右手に大きな御神木の杉があり、
道の正面奥に外幣殿、中ほどの左手に御稲御倉があります。


左手にある御稲御倉(みしねのみくら、ごとうのみくら)は、
伊勢神宮・内宮の所管社30社のうち第6位の格で、
小さいながら御正宮などと同じく唯一神明造の神社となっています。


御稲御倉の守護神で、
神宮式年遷宮に伴って社殿が建て替えられる際には、
御稲御倉神は一時的に隣にある外幣殿に御遷座されます。
古代より倉としてあったと考えられ、
調御倉(つきのみくら)・御塩御倉・鋪設御倉・御稲御倉の4棟で1組とし、
古くには板垣外の西方に建っていましたが、
平安時代中頃より外幣殿と4棟1組は外玉垣の内側に移動されたそうです。
正宮の敷地内のため式年遷宮のたびに移動していましたが、
中世の末頃には4棟とも廃絶してしまいました。
その後、天正年間(1573年 - 1592年)に4棟の内で御稲御倉のみ神明造で復興され、
1889年(明治22年)に荒祭宮へ向かうこの道の途中に鎮座位置が固定されました。


古くには皇后・皇太子様の幣帛などが納められていましたが、
現在は式年遷宮で撤下された神宝などが納められています。
こちらも唯一神明造で作られているため、
弥生時代に起源をもつ建築様式を間近で見学できる場所となっています。

あまり知られてはおりませんが、
下弊殿から荒祭神に向かう参道の石段の途中に、
「踏まぬ石」という名所があります。


下から数えて14段目にこの「踏まぬ石」はあります。
別名「踏まずの石」とも呼ばれ、
その名のとおり石の割れ目が 「天」の字にも 「人」 の字にも見えるため、
踏んではいけないと伝えられています。
注意して石段を歩いていますと、
周囲の石段に使われている石とは明らかに違うのですぐに分かるとは思いますが、
この石段を歩く際には注意してみると良いかもしれません。

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▼伊勢神宮・瀧祭神▼ - 2020.07.16 Thu


伊勢神宮内宮の宮域内、五十鈴川の御手洗場より、
表参道に戻る途中の右手小道へと入っていきますと、
こちらの瀧祭神という神社はあります。

社殿を持たない所管社でありながら別宮と同等の祭祀が捧げられる特別な神社で、
内宮の宮域に鎮座する内宮の所管社30社のうち第1位の格がある神社です。
地域住民からは「おとりつぎさん」として親しまれ御正宮に詣でる前に滝祭神を参拝しますと、
天照大神に願い事を取り次いでくれると言われています。






五十鈴川の水源の神で、
[五十鈴川と島路川(しまじがわ)の合流点に鎮座し、
治水を願って祀られています。
板垣の内側には御神体の石が祀られただけの神社で、
社殿が無い理由も物忌の奉仕まで捧げられることも謎であり、
安永4年(1775年)の『大神宮儀式解』でも、
社殿の無い理由は「深き所以有る故」としか触れられていないそうです。

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