▼箱根神社▼ - 2011.11.18 Fri





古代よりの山岳信仰の霊地であった駒ケ岳の南麓に鎮座し、孝昭天皇の時代に聖占仙人が駒ヶ岳を神体山として神仙宮を開いたのが始まりとなります。
かつては箱根権現、三所大権現とも称しておりました。





古来より関東総鎮守箱根大権現と尊崇されてきた名社であり、「吾妻鏡」によると石橋山の戦いで敗れた源頼朝を当社の権現別当が助けたとの記事があり、以降、関東の武家の崇敬を受けるようになります。
豊臣秀吉の小田原攻めの際に焼失しましたが、徳川家康により社領200石と社地不入の朱印状を寄せられ、社殿を再建しました。





『その昔、万字ケ池(芦ノ湖)に九頭の悪龍が住み人々を苦しめていました。
人々は、若い娘を人身御供として捧げて悪龍を鎮めていましたが、天平宝字元年に万巻上人は人々を救うため、湖中に石壇を築いて調伏の祈祷を行い悪龍を調伏します。
以後、悪龍は形を改め、寳珠并に錫杖を捧げて帰依し龍神となりました。』
その後、万巻上人が現在地に里宮を創建して僧・俗・女の三体の神を箱根三所権現として祀ったと伝えています。
この里宮が現在の箱根神社の原型となります。





その後、長らく別当寺の金剛王院東福寺が箱根権現の中核でありましたが、明治の神仏分離の際に別当は還俗して神職となり、箱根神社と改称されました。
箱根神社で行われる二月の節分祭では、追儺式で追われた鬼が芦ノ湖を水上スキーで逃げ廻る姿が風物詩となっています。





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