▼調神社▼ - 2011.12.26 Mon





崇神天皇の勅命により伊勢神宮の斎主である倭姫命が参向し、この地を選び神宮に献じる調物(みつぎもの)を納める倉を当地に建て、武蔵野の初穂米や調収納所としてここを定めたと伝えられています。
調宮(つきみや)とは調の宮(みつぎのみや)の事であり、諸国に屯倉が置かれた時、その跡に祀った社のことを一般に調宮と呼んだものと思われます。





調神社は室町時代以来、月待信仰との関係をもっており「調の宮(つきのみや」)が「月宮」つまり月宮殿に擬せられたためだと思われます。
月待信仰は室町時代から板石塔婆によって知られますが、浦和市内にはそれが特に多く見られます。
また社殿にも兎の彫刻が各所におさめられ、本来なら狛犬を置くべき神社の入口に月宮殿の使姫である兎像が一対置かれています。





これは古代に調物の倉庫であったとき、調物搬入の妨げになるので鳥居を取払ったためといわれています。
この正倉に集められた足立郡の「調」は東山道を通じて朝廷に送られていましたが、宝亀2年に武蔵国が東海道に編入されると正倉の役目は終わります。





一 鳥居がないこと
二 境内に松がないこと
三 御手洗瀬の「ひさご池」に魚を放つと必らず片目になる
四 使姫の兎
五 日蓮上人駒繋ぎのケヤキ
六 蝿がいないこと
七 蚊がいないこと
この七つが古くから七不思議として伝えられています。





にほんブログ村
スポンサーサイト