▼阿射加神社(大阿坂)▼ - 2012.01.17 Tue





小阿坂町の阿射加神社と同名で『延喜式神名帳』にある「阿射加神社三座」のひとつです。
式内社の阿射加神社は当初阿坂山上に鎮座していおり、阿坂山上から山麓への遷座を小阿坂とするか大阿坂とするかによって説が分かれ、また両社は3座の中の2座で別に1座があるとする説もあります。





当初、御祭神である伊豆速布留神(つはやふるのかみ)は荒神であり、倭姫命の「五十鈴川上之宮」(現内宮)への巡行を阻みます。
そこでかつて阿坂国を平定した天日別命(あめのひわけのみこと)の子孫であり外宮祀官度会氏の祖である大若子命(おおわくごのみこと)が荒神を和ませ祀るとともに神社を山頂に建立しました。





その後、織田信長が阿坂山山頂の阿坂城を守っていた北畠家の重臣・大宮入道含忍斎を攻略する際に、阿射加神社も兵火を罹り社殿と古記録の全てを焼失したそうです。
北畠氏滅亡の後に再建されたとはいえ管理する者もいなかったが、元禄3年に奥村要人という社人が現れたと伝えられています。





両方の阿射加神社はともに阿坂山の東麓の傾斜面に鎮座し、伊勢湾に向い広がる平野を見渡すことができる眺望たいへん良い場所にあります。





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