▼粟皇子神社▼ - 2011.05.05 Thu





また神宮125社中、もっとも海に近い神社でもあります。
無人駅より徒歩にて山を越え、湿地帯を踏破し、堤防に登り、海岸線を歩き続けると神社へと至ります。





天照大御神と素戔嗚尊との誓約によって生まれた女神であり、
また別名・淡海子神と呼ばれ海岸鎮護の神とされています。
倭姫命の皇大神を奉載して御遷幸の時、淡海子神が御贄を奉った功により、この社を定めたと伝えられています。





当初は池ノ浦の中にある中之島にあったといわれています。
元禄5年の再興の際、この中之島では神社は建てられないということで、 中之島が間近に見える鳥取の浜辺へ社地六間四方を定めました。
しかし正徳2年に宮地が波打際まで八間=14.55 mぐらいしかなかったため
高潮の被害を受け、現在の宮地に移転しました。
『儀式帳』の示す四至は「東西北大海、南山」となっており現在地と合致しません。




現在の社地は、白砂青松の海岸から飛島が望まれる美しい景観です。
また当初の社地である中之島は、この海岸より干潮時に顔を出す岩礁として見ることができます。