▼多岐原神社▼ - 2012.04.12 Thu





三瀬の集落の中にあり、神社を示す看板は小さな木の案内板があるだけなので、少々見つけにくいかもしれません。
案内板より左手方向、宮川の川岸に降りていくと多岐原神社は見えてきます。





倭姫命が御杖代として天照大御神を奉戴して宮川下流の磯宮を発ち、御鎮座の地を求めて行く途中で、砂をも流す急流の瀬を渡りあぐねていたところに出迎えお渡し申し上げたのが真奈胡神です。
その場所に倭姫命が真奈胡神を祀る社を定めます。
それが多岐原神社の始まりと伝えられています。





また地元では祭神から「まなこさん」と呼び、篤く信仰されています。
木々の中にひっそりと鎮座し宮川のせせらぎの音が心地よい神社です。






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▼長由介神社・川島神社▼ - 2012.02.06 Mon





また瀧原宮所管社・川島神社も御同座されています。
瀧原宮では瀧原宮・瀧原竝宮・若宮神社そして長由介神社・川島神社の順に参拝するのが作法となっております。





瀧原宮の御饌の神といわれ、長由介が長生き(ながいき)に通ずるとして、江戸時代には長生きの神であるとの民間信仰がありました。
川島神社の御祭神は川島神とされていますが、詳細は不明となっています。





現在も熊野街道は国道42号線となって当宮の前を通り、南紀への旅を快適にしております。
また、この42号線沿いには熊野古道も多く残されています。





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▼瀧原竝宮・若宮神社▼ - 2012.02.03 Fri





瀧原宮の左に鎮座されているのが瀧原竝宮。
瀧原宮の向かって右、一段高い南奥に鎮座されているのが若宮神社になります。





同じ敷地内に二宮並んで天照大御神御魂をお祀りし奉斎されている理由は諸説ありますが、皇大神宮の荒祭宮の関係と同様と考えられます。





若宮神は瀧原の地に縁のある水の神といわれています。
若宮神社の創立は定かではありませんが、鎌倉時代には社殿が存在していたそうです。
社殿の左にある細長い建物は御船倉といい、倭姫命が巡幸の際に使われた御船が納められています。



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▼瀧原宮▼ - 2012.01.31 Tue





宮川支流大内山川が流れる度会郡大紀町(旧大宮町)滝原にあります。
略字を用いて「滝原宮」と表記されることがあり、地元ではかつての地名である「野後(のじり)さん」とも呼ばれています。





倭姫命が、御杖代として天照大御神を奉戴して鎮座地を求めて宮川下流の磯宮をお発ちになったとき、その上流に「大河の瀧原の国」という美しい土地があったので、この地に草木を刈り払って新宮を建てられたのが瀧原宮の起源です。
瀧原宮の宮域は約44haと広大であり、山を背後に南面し、前方には川が東から西へ流れる地勢から内宮の原型になったとする説もあります。
その後、天照大御神のご神意によって、再び伊勢の方へ向われたので、瀧原での御滞留の期間はさほど長くなかったようです。





伐採時に太郎杉は中央部が腐って空洞になっていましたが、地上約3mの部分を輪切りにした標本が神宮徴古館農業館に展示されています。





ここ瀧原宮では不思議と捻じれた模様の杉の巨木が多く見られます。





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