◎あちこち神社◎
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2017-11

▼伊豆山神社-源頼朝と北条政子の腰掛石と摂末社▼ - 2017.10.20 Fri

伊豆山神社02-01

伊豆山神社02-02伊豆山神社02-03伊豆山神社02-04伊豆山神社02-05


ナナモリ(普b-01)s宿の平駐車場から本殿までの階段にある摂末社のご紹介です。

鳥居前から本殿までの180段の階段の中ほどにあるのは、
末社・祖霊社で伊豆山神社(伊豆大権現)に仕えた氏人の祖霊をお祀りしています。



そこから登っていきますと次にあるのは末社・役の小角社(足立権現社)です。
御祭神は役小角で文武天皇三年、伊豆大島に流刑にされた折、
昼は皇命を慎み、夜は飛行の術を駆使し伊豆大権現に飛び来て修行重ねたと伝えられています。

また運命開拓の神様ともいわれ古くから足の病に悩む人や、
足腰の弱い人がご祈願したならば神護を受けて強足となるという信仰があります。


伊豆山神社02-06

伊豆山神社02-07伊豆山神社02-08伊豆山神社02-09伊豆山神社02-11



ナナモリ(楽)s本殿前の鳥居左手にあるのは結明神社(むすびみょうじんしゃ)です。
御祭神は結明神(日精・月精)
走湯山縁起によりますと景行天皇の31年、日金山の大杉の中より男女二人の赤ん坊が生まれ、
初島の初木神社の御祭神である初木姫が二子を引き取り育てましたが、
時を経ずしてたちまち成長し、一女を日精、一男を月精と号しました。
後に二人は夫婦となり、日金山に仕えて「伊豆権現氏人之祖」となったと伝えられています。


日精・月精その終没を不知(富士山)から神上がったと記され、
後の人たちより結明神として仰がれ祀られました。

男女の縁結びを叶えてくれる神様で古くは「一名恋祭り」という神事があり、
各地から集まった若い男女の参列を得て行われていたそうです。


伊豆山神社02-10

ナナモリ(楽3)s本殿の右手奥にある白山神社遥拝所です。

ここより山道を20分ほど歩きますと白山神社があり、
そこからさらに35分ほど登っていきますと元宮・本宮社があります。



白山神社の御祭神は菊理媛命

「伊豆山記」、「走湯山記によりますと、
天平元年夏、東国に疫病が流行した際、北条の祭主が伊豆権現に祈願したところ、
「悪行のなす所、救いの術なし、これ白山の神威を頼むべし」との神託があり、
猛暑の頃であったにもかかわらず、一夜のうちに石蔵谷(白山神社鎮座地)に雪が降り積もり、
幾日経っても消えず、病人がこの雪をなめたところ、
病苦がたちどころに平癒したことから白山神社が創立されたと伝えられています。


白山神社・本宮社へ続く山道は最初このようにコンクリートで舗装されていますが、
残りはほぼ未舗装の山道ですので雨の日や日暮れ間近に登るのは控えられた方が良いかと思います。


伊豆山神社02-12

ここから本宮まで二丁、かつて修験道の行場だった山道です。


伊豆山神社02-13

伊豆山神社02-14源頼朝北条政子が腰掛けたと伝えられる「腰掛石」です。

伊豆の蛭ヶ小島へ配流されていた源頼朝が、
当時、北条政子と共に当社に深い信仰を寄せ、
後に平家を打倒し鎌倉幕府を樹立して征夷大将軍となります。

そのことから鎌倉将軍の参詣で二所詣の聖地となった当社は、
戦国時代には後北条氏、江戸時代には徳川将軍から格別の尊崇を集め、
武家が誓いを立てるときの起請文には誓詞証明の社として、当社の名が必ず連ねられています。


伊豆山神社02-15

伊豆山神社02-16伊豆山神社02-17




ナナモリ(笑)s摂社・雷電社(若宮)と光石です。

御祭神は伊豆大神荒魂・雷電童子(瓊瓊杵尊)
創立年代は不詳ですが、吾妻鏡に「光の宮」と別名があり、
鎌倉幕府三代将軍源実朝が再興し、その後暦応4年に足利氏が、
慶長17年に徳川二代将軍秀忠が改築、現社殿は昭和10年に内務省によって改築されました。


政治を司り導く神として、源頼朝を始め歴代の将軍家の崇敬が厚く、
室町時代には全国に多数の社領を有しておりました。

「光石」は、
「走湯山縁起」と「吾妻鏡」の大磯高麗山(高来神社)より、
道祖神(猿田彦大神、天宇受売命)とともに来た神様の降り立つ光の石です。
さわったり座ったりして楽しくお参りすると良いそうです。


伊豆山神社02-18





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▼伊豆山神社-本殿▼ - 2017.10.15 Sun

伊豆山神社01-01

伊豆山神社01-02伊豆山神社01-03伊豆山神社01-04伊豆山神社01-05


ナナモリ(楽2手2)s静岡県熱海市伊豆山上野地にある伊豆山神社(いずさんじんじゃ)です。

温泉地であるJR熱海駅より東北へ約1.5km、
日金山や岩戸山に連なる伊豆の御山の海抜170mほどの地点に鎮座する、
全国各地にある伊豆山神社や伊豆神社(いずじんじゃ)、
走湯神社(そうとうじんじゃ、はしりゆじんじゃ)などの起源となった総本社格の神社です。


古くは伊豆御宮、伊豆大権現、走湯大権現、伊豆御宮とも走湯社とも称し、
創建の年代は不詳ですが社伝によりますと孝昭天皇の時代の頃と伝えられ、
当初は日金山の山上にあったそうで、その後について諸説ありますが、
本宮山を経て承和3年(836年)に甲斐国の僧・賢安により現在地へ遷座したと考えられています。


伊豆山神社01-06伊豆山神社01-07伊豆山神社01-09伊豆山神社01-08

伊豆山神社01-16

伊豆山神社01-10伊豆山神社01-11伊豆山神社01-12伊豆山神社01-13


ナナモリ(普b-01)s御祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、拷幡千千姫尊、瓊瓊杵尊

本殿は熱海市街地や相模灘を一望できる海抜170mほどの地点に鎮座し、
ここよりさらに山を登った海抜380mほどの山中には本宮があり、
また本殿より階段を下った海抜50mの地点には下宮の跡地、
さらに伊豆浜に下りますと日本三大古泉のひとつ「走り湯」があります。

四国松山道後温泉・神戸六甲山有馬温泉と共に日本三大古泉のひとつである「走り湯」は、
699年(文武3年)頃、修験道の始祖とされる役小角が伊豆大島へ配流された折に、
伊豆山海岸から五色の湯煙があがっているのを見つけ湯滝を浴び修行したのが始まりで、
役行者が修行したことが切欠となり伊豆山に修験者たちが集まるようになったそうです。

一説によりますと伊豆の国名は「湯出づる」という言葉に由来するといわれています。

伊豆山神社01-14伊豆山神社01-18伊豆山神社01-19
伊豆山神社01-15


ナナモリ(楽2)s伊豆山の山岳信仰は当初、日金山を中心に修験者が集まっていましたが、
後に山を下り里に近い今の伊豆山神社がある場所が中心となり、
伊豆山を天に昇る龍に例え、富士山から入った龍が日金山から岩戸山までを胴体、
伊豆山権現の場所は目、現在の浜町内にある花水を鼻、走り湯が口で呼吸をしており、
富士山まで繋がっているという信仰が生まれました。


また「走湯山縁起」(鎌倉時代に成立)には、
「伊豆山の地下に赤白二龍交和して臥す。その尾を箱根の湖水(芦ノ湖)に漬け、
その頭は日金嶺(伊豆山ょの地底に在り、温泉の湧く所はこの龍の両目二耳並びに鼻穴口中なり」と記載があり、
赤龍と白龍の二龍が精気を吐き赤白海水に交わり二色浦(熱海の錦ヶ浦)の由来となっています。

この赤白二龍(せきびゃくにりゅう)は伊豆山神社のシンボルでもあり、
社殿の手前にある手水舎などに二龍をかたどった装飾がみられます。


伊豆山神社01-21




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▼秋葉山本宮秋葉神社(上社)・東の神門・西ノ閽の神門▼ - 2017.09.04 Mon

秋葉神社・東門西門01

上社から下社へ続く表参道を少し下った場所にあるのは「東の神門」です。



秋葉神社・東門西門02

秋葉神社・東門西門04秋葉神社・東門西門05秋葉神社・東門西門06秋葉神社・東門西門09



ナナモリ(楽2)sこの東の神門は境内でもっとも古い建造物になります。

昭和18年の大火からの類焼より免れた、
江戸時代の面影を偲ばせる唯一の髄神門で、
当時の朱塗りの鮮烈さや彫刻の精巧さが秋葉山として栄えた頃を思わせます。


入母屋造りで間口五間四尺(約10メートル)・奥行き三間に尺(約6メートル)の門で、
文化9年(1812年)諏訪三郎の作と伝える華やかな彫刻があり、
天保2年(1831年)信州上諏訪の立川流の名工である二代目和四朗冨昌、和蔵父子と、
その弟の次右衛門富保・喜三良父子の手に依って再建されたとの棟札が保存されています。



秋葉神社・東門西門07秋葉神社・東門西門08秋葉神社・東門西門10秋葉神社・東門西門03



この門の周囲には石垣などの古い遺構も残されています。



秋葉神社・東門西門11

上社と第一駐車場を繋ぐ参道にあるのは「西ノ閽の神門」です。



秋葉神社・東門西門12

秋葉神社・東門西門15秋葉神社・東門西門16秋葉神社・東門西門17秋葉神社・東門西門18



ナナモリ(笑)sこの西ノ閽(こん)の神門は平成17年に竣工した境内の中でも新しい建造物です。

御鎮座1,300年記念事業の一環で秋葉杉を主体に地元天竜杉だけを用い、
平成14年より工事を着手し足掛け4年の歳月をかけ完成した神門で、
高さ13メートルの細緻な彫刻の施された門となっています。



神門四隅には南部白雲作の青龍・玄武・朱雀・白虎の四神の彫刻は特に見応えがあります。

秋葉神社・東門西門19秋葉神社・東門西門13秋葉神社・東門西門14







秋葉神社・東門西門20



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▼秋葉山本宮秋葉神社(上社)-神恵岩・天狗の皿投げ▼ - 2017.08.25 Fri

秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社01

秋葉神社上社の本殿周辺の見所のご紹介です。

秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社03

ナナモリ(驚)s金の鳥居と本殿への階段の間にある存在感のある大岩は「神恵岩」です。

実は、この岩は秋葉山系より産出された大きな火打石で、
手前に設置してある火打ち金でこの岩を叩き、
厄除け、清め、防火などの願掛けをします。


また、毎年12月15日から16日にかけて執り行われる「秋葉の火まつり(防火祭)」では、
多くの人々が訪れ防火を祈り、また諸厄諸病の難を逃れようと祈りを捧げます。


秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社04

秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社02秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社08秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社09秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社10


ナナモリ(普b)s神恵岩の後ろに並んである社は末社の内宮社・外宮社・祓戸社です。

このなかでも内宮社については1800年頃に編纂された地誌、
掛川藩領内の地理や歴史、経済などを網羅した掛川志稿に、
「天照太神」を祀る」と記載があり古くから祀られていたことがわかります。


また、三つの社の前にある「丁」と「酉」の砂文字は清めの砂で書かれています。

秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社05秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社06秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社07秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社11



秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社13

秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社14秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社15秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社16秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社17秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社18




ナナモリ(普)s本殿右手、舞殿の後ろには七つの末社が並んでいます。


右手から山神社・白山社・風神社・小國社、
山姥社・水神社・天神社と並んでお祀りされています。


山姥社は秋葉神社の名所旧跡の一つ「機織井(はたおりのい)」に由来のある社で、
如何なる時にも枯れないと伝えられるこの井戸の傍で、
山内に住み神へ奉納する衣を織った山姥が御祭神として祀られています。


秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社12




秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社19

秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社20秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社21秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社22


ナナモリ(普b-01)s手水者手前に設置してあるのは「天狗の皿投げ」という願掛け用のかわらけです。

言い伝えでは昔、秋葉山に住む天狗が皿を投げて願力を競っていたと云われており、
その様子は「東海道名所之内 秋葉山」(河鍋暁斉 画)において江戸時代の秋葉山の光景と、
秋葉大権現に仕える天狗が宴会を繰り広げるユーモラスな姿が描かれています。


現在では「天狗の皿投げみくじ」となっており、
お皿三枚とおみくじ一枚を取り、
手水舎奥の崖から願いの書いたかわらけを、
目標の輪に目掛けて投げて願掛けできるようになっています。


秋葉神社・かわらけ投げ-摂末社23











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▼秋葉山本宮秋葉神社(上社)・本殿▼ - 2017.08.20 Sun

秋葉神社・上社本殿01

秋葉神社・上社本殿02秋葉神社・上社本殿04秋葉神社・上社本殿03秋葉神社・上社本殿05



ナナモリ(楽2手2)s静岡県浜松市天竜区春野町領家の秋葉山の山頂付近にある秋葉神社上社です。

日本全国に存在する秋葉神社や秋葉大権現、
秋葉寺のその事実上の信仰の起源となった神社であり、
越後栃尾秋葉山の秋葉三尺坊大権現と並び今の根本と言われています。


秋葉山は上古より神体山・霊山として仰がれ、
創建時期には諸説あり定かではないですが社殿が初めて建立されたのは、
元明天皇より「あなたふと 秋葉の山にまし坐せる この日の本の 火防ぎの神」と御製を賜り、
和銅2年(709年)に社殿が建立されたと伝えられています。

創建の異説としましては「行基が秋に開山したことによる」、「焼畑に由来する」、
「蝦蟇の背に秋葉の文字が浮かび上がった」など幾つかの説があります。


秋葉神社・上社本殿06秋葉神社・上社本殿07秋葉神社・上社本殿08秋葉神社・上社本殿09



秋葉神社・上社本殿14


秋葉神社・上社本殿10秋葉神社・上社本殿11秋葉神社・上社本殿12秋葉神社・上社本殿13


ナナモリ(普b-01)s御祭神は火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)

秋葉山に鎮まる神で「秋葉大神」(あきはのおおかみ)「秋葉権現」とも称され、
江戸時代までは秋葉権現を祀る秋葉権現社と、
観世音菩薩を本尊とする秋葉寺が同じ境内にある神仏習合の山でした。


境内にある珍しい黄金の鳥居は「幸福の鳥居」と呼ばれるもので、
かつて江戸時代から昭和の初め頃まであった井伊家寄進の金銅鳥居に因み、
平成5年(1993年)皇太子殿下御成婚記念として新たに建立されてものです。


秋葉神社・上社本殿15秋葉神社・上社本殿16秋葉神社・上社本殿17秋葉神社・上社本殿18




秋葉神社・上社本殿19

秋葉神社・上社本殿21秋葉神社・上社本殿22秋葉神社・上社本殿23秋葉神社・上社本殿24



ナナモリ(楽3)s現在の社殿は1986年(昭和61年)に建立されたものです。

かつてこの山頂には本社と観音堂を中心に本坊・多宝塔など多くの建物が建ち並び、
江戸時代には「火防(ひぶせ)の神」として日本全国より信仰を集めるようになり、
大火に見舞われた江戸には数多くの秋葉講が結成され、
大勢の参詣者が秋葉大権現を目指す賑わいはお伊勢参りにも匹敵するものであったそうで、
全国から秋葉大権現に通じる道は秋葉路や秋葉街道と呼ばれる道が通じていました。

しかし、1943年(昭和18年)に山麓から発生した山火事の類焼により本殿東側の山門を除く建物全てを焼失し、
戦中戦後は再建も容易ではなく山麓の気田川の畔に現在の下社を造営し、
長い間その祭祀を継続することになります。

その後、多くの方の御尽力や地元の方の努力により、
1986年(昭和61年)に現在の山上の社殿が再建され、
この山頂へ通じる林道の整備も成ったため秋葉山本宮秋葉神社として再興を果たしました。

秋葉神社・上社本殿25




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