▼狹田國生神社▼ - 2012.03.02 Fri





田丸駅より、昔に伊勢を目指す旅人があるいた旧街道を進むと、町並みの右手に狹田國生神社の森が見えてきます。
入り口は通りから角を曲がった横道にあります。
「狭田」とは川の支流に挟まれた細長い田のことをいうそうです。





速河比女命(はやかわひめのみこと)山末御魂(やまずえのみたま)
御祭神の速河比古命・速河比女命の二柱は川の神で、「速河」というのは、狹田國生神社の近くを流れる外城田川の古名です。
山末御魂はこの土地の守り神になります。





倭姫命が天照大御神を奉じて伊蘇の宮より小河を遡られた時、速河彦命が参り、ここを「畔廣の狹田の國」と申して佐々上神田を奉り、その地に速河狹田社を定めたのが当社の起源になります。
地元では「はいこさん」と呼び、1月17日には地区の代表達が参拝する習わしが今も続いています。




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▼奈良波良神社旧地(現・上宮古神社)▼ - 2011.09.08 Thu
奈良波良神社への道 - 2011.09.02 Fri
▼奈良波良神社▼ - 2011.09.01 Thu





この神社は普通に行くと全く気付かないような、目立たない小道を入った先に鎮座しており地図が無いとまず迷います。





『皇大神宮儀式帳』によれば、 大水上命の子であると伝えられています。
奈良波良神社は倭姫命が定めた神社で、御祭神は楢の木の原野であったこの辺りの産土神といわれており、この地域の田野潅漑の御田の守護神です。





中世期には営繕もままならず廃絶して所在不明となっていましたが、寛文三年に現在地に再興されました。





ここより東南にある広泰寺に接する南方の丘陵上に小祠が残っており、石積の素朴な壇上に安置された小さな社を旧地とする説があります。
また東の方向には十数基の古墳群が存在しております。




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▼鴨下神社▼ - 2011.05.30 Mon





南の大日山の山腹にある内宮摂社・鴨神社に対し、山裾に鎮座するため鴨下という社名がつけられたといわれています。





御祭神は大水上神の子で、 勝田の田野の水利潅漑を司さどる守護の神です。
「石己呂和居命」は鴨神社と同祭神でもり、他の二柱は「鴨」にそれぞれ両性の普通名詞を付した神名です。





山上は今の玉城町山神、狩田は今の同町勝田です。
その距離は約4km神宮摂社の前社でこのように遠隔に祭られ、 また本社と別の社号をつけられた例はありません。
鴨下神社は摂社の鴨神社と区別するためにつけられた社号で、 鴨神社の前社ではないという説もあります。




鴨下神社の周囲は果樹園や畑の長閑な風景が広がっています。