▼八坂神社-本殿▼ - 2021.04.13 Tue


二十二社(下八社)の一社で、
全国にある八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする関連神社の総本社とされ、
祇園祭(祇園会)の発祥の神社として知られています。
古くからある神社ですが延喜式神名帳には記されていないのは、
創建から神仏習合の色合いが濃く、
興福寺、次いで延暦寺の支配を受けていたことから、
神社ではなく寺しての認識が強かったためと考えられています。
桜の名所として有名な円山公園が隣接していることもあり、
地元の氏神としての信仰を集めるとともに観光地としても多くの人が訪れます。






創祀については諸説あり、斉明2年(656)に高麗より来朝した使節の調進副使・伊利之使主が、
新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まる説や、
貞観18年(876)南都の僧・円如が建立、堂に薬師千手等の像を奉安し、
天神(祇園神)が東山の麓、祇園林に垂跡したことに始まるともいわれています。
しかし、伊利之使主創建説は現存する歴史資料からは根拠に乏しく、
当時の中国・朝鮮にて牛頭天王が信仰されていた形跡が不明なため、
現在では根拠の薄い説となっています。










869年(貞観11年)の御霊会にて当時の全国の国の数を表す66本の矛を卜部日良麿が立て、
その矛に諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓うという儀式が、
現在の祇園祭の起源とされています。
2019年(令和元年)には祭の1150周年を祝うほど長い歴史を持つ祭りとなっています。
祇園祭という名称は八坂神社が神仏習合の時代に、
比叡山に属して祇園社と呼ばれていたことに由来しますが、
明治維新による神仏分離令により神社名が八坂神社となった際に、
祭礼名も仏教色を排除するため「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」から「祇園祭」に変更されました。


祇園祭にて山車、囃子といった山鉾巡行に関する要素が、
当時の都であった京都において町衆・町人階層が執り行う最も華やかな祭礼行事であるところから、
その影響が全国各地の牛頭天王やスサノオを祀る各地の社寺に祭礼として伝播し、
日本中に広く祇園祭が夏祭りとして各地で執り行われるようになりました。

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