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2017-09

日本遺産の斎宮へ行ってきました~「隆子女王の墓と栗須美神社跡」 - 2016.02.25 Thu

隆子女王の墓01

斎宮の史跡から少し離れた場所にある「隆子女王の墓」です。

斎宮史跡からは約3キロほど大淀海岸へ向かう道の途中にあり、
周囲が住宅街や田園となっている為すこし判り難い場所になっています。

斎宮歴史博物館からは県道707号線を神麻続機殿神社方面へ向かい、
栗須美神社跡のある十字路を右手に曲がりますとここに着きます。

国道23号線からは明和町行部2の信号機を伊勢に向かって右折し、
車で3分程走りますと隆子女王の墓の標識がありますので、そこを右に入ります。

隆子女王の墓02

隆子女王の墓03隆子女王の墓04隆子女王の墓05隆子女王の墓09




隆子女王の墓は地元の方の古い墓地区画の隣にあり、
長い間「姫塚」と呼ばれていた古墳群の中の一つを、
明治16年の調査によって隆子女王の陵墓と認定し、
現在は宮内庁によって管理されている陵墓です。


隆子女王の墓06

隆子女王の墓08隆子女王は971年にこの地に参られた第43代の斎王で、
第60代天皇・醍醐天皇の孫女にあたります。

円融天皇の代の斎宮として安和2年(969)に卜定(ぼくじょう)され、
翌年971年に伊勢へ赴き斎宮の任に就いましたが974年に病に罹り、
わずか3年の在位で病死し、この地に葬られました。


この時の流行の病とは「疱瘡」のことで、その猛威は89日間におよび、
多くの死者が出たことが歴史書にも記されています。
そして斎王斎宮で亡くなるのは、この時が初めてのことでした。


現在の隆子女王の墓は静かな場所にあって管理の行き届いた綺麗な陵墓で、
斎王の面影を偲ばせるような清楚な雰囲気があります。


隆子女王の墓10

隆子女王の墓へ向かう途中にある「栗須美神社跡」です。

9世紀中期の弘仁年間(820)頃に、
嵯峨天皇が大己貴命を祀り鎮守の神社とするようにと斎王に命じ、
鎮守の神社として祀られるようになったという伝説が創始にあり、
鎮守台とも呼ばれていました。

現在は石碑と小さな社があるのみとなっています。


ちなみにこの写真ですと左へ行くと斎宮歴史博物館で右に行きますと神麻続機殿神社、
手前が隆子女王の墓への道となっています。




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