▼矢作神社(矢矧神社)-矢竹藪と「うなり石」▼ - 2016.04.07 Thu


矢作神社(矢矧神社)には倭建命が矢作川の中州にあった良質な矢竹で矢を大量に作り、
この地で東夷と対戦しそれを突破したという地名と社号の由来にもなった伝承があります。
その社号の由来となった矢竹の「矢竹藪」が拝殿西南隅にあります。

他にも永保3年(1083)源義家が陸奥守として奥州へ征伐に行く途中、
この里に至り、倭建命の故事にならって参拝されたと伝えられています。


この石は建武2年(1335)新田義貞が足利尊氏との矢作川合戦で、
祖先の例により当社にて戦勝祈願したところ社畔の石が鳴動し、
これは神のご加護があると信じて大いに戦い遂に勝ちを収めたという伝承があります
また昭和20年の三河地震の前にも三日間ほど低いうなり音があったそうです。


この倭建命の陶像は皇紀2600年(昭和15年)を記念して建立されてもので、
台を含めて高さは3m52cmもあり全体を2~3分割して焼かれたとのことです。
足元には矢竹も植えられています。






矢作神社は南北朝時代の建徳・文中のころに兵火により焼失したと伝えられ、
天文には岡崎城主の松平広忠が祠を現在の矢作町字祇園に再建しましたが、
天正年間の(1573-92)に矢作川が堤防決壊により悉く流され、
その後、この地にあった宝珠稲荷の境内に再建され現在に至っております。
また矢作神社の御祭神である素戔嗚尊と同一神と考えられることもある牛頭天王を、
中古に祭神といっていたこともあり明治維新後は旧名にもどされましたが、
現在でも地元では「天王さん」と呼ばれることもあるそうです。





神社の隣には矢矧川があって矢作橋が架けられており、
その橋を渡りますとすぐ岡崎城があります。

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Re: タイトルなし
> 橘右近大夫 さん
こんばんは~
いえいえお気になさらずに(o´ω`o)
そういったお話を聞かせていただける方が、
知らないことを教えていただけることもありますし嬉しいです♪
矢矧神社は倭健命の伝承などから興味があった神社でしたが、
その他にもいろんな伝承があり面白い場所でした(人*´∀`*)
いつもは新幹線などから、ちらっと見えるだけの矢矧川も、
今回ゆっくり見れましたので良かったです☆
こんばんは~
いえいえお気になさらずに(o´ω`o)
そういったお話を聞かせていただける方が、
知らないことを教えていただけることもありますし嬉しいです♪
矢矧神社は倭健命の伝承などから興味があった神社でしたが、
その他にもいろんな伝承があり面白い場所でした(人*´∀`*)
いつもは新幹線などから、ちらっと見えるだけの矢矧川も、
今回ゆっくり見れましたので良かったです☆
うなり石
倭建命の陶像ですけど、随分と大きそうですね。
多分ですけど「紀元節」の記念として建立されたものなのかもしれないですけど、
いかにも「見守ってくれている」みたいな雰囲気が素敵ですね。
それと・・・
「うなり石」の伝説ですけど、
こうした戦勝祈願とか災害の際の予兆の告知とか、
やはり「ご先祖様が見守ってくれている」みたいな雰囲気がやはり素敵ですね。
ここ埼玉でも似たようなお話があり、
神社境内に祀られていた普通の石が、大地震の前に「ガタガタと震えていた」みたいな伝説があるのも
ありますが、やはり全国には似たような伝説も色々とありそうですね。
多分ですけど「紀元節」の記念として建立されたものなのかもしれないですけど、
いかにも「見守ってくれている」みたいな雰囲気が素敵ですね。
それと・・・
「うなり石」の伝説ですけど、
こうした戦勝祈願とか災害の際の予兆の告知とか、
やはり「ご先祖様が見守ってくれている」みたいな雰囲気がやはり素敵ですね。
ここ埼玉でも似たようなお話があり、
神社境内に祀られていた普通の石が、大地震の前に「ガタガタと震えていた」みたいな伝説があるのも
ありますが、やはり全国には似たような伝説も色々とありそうですね。
Re: うなり石
> ぬくぬく先生 さん
はいっ境内でも一番存在感のある像でした(*´Д`)
この陶器像は皇紀2600年を記念して建立されたもので、
少し高い場所から境内を見守るように配置されていましたよ☆
たしか鹿島か香取の神宮さんに、
地震のなまずを封じ込めたという要石がありましたね~
日本は地震国ですから各地に古くからこう言った伝承が伝えられているのでしょうね。
はいっ境内でも一番存在感のある像でした(*´Д`)
この陶器像は皇紀2600年を記念して建立されたもので、
少し高い場所から境内を見守るように配置されていましたよ☆
たしか鹿島か香取の神宮さんに、
地震のなまずを封じ込めたという要石がありましたね~
日本は地震国ですから各地に古くからこう言った伝承が伝えられているのでしょうね。
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前回は、フライングのやうになつてしまひまして、すみません。
なるほど、矢を矧ぐから「矢矧」と言ふ事なんですね。
倭健命の故事に倣ひ、八幡太郎が戦勝祈願し、その吉事に倣ひ新田義貞がお参りしたんですね。興味深いですね。
詳しく説明を書いて頂き、また、寫眞も見せて頂き、ありがたうございました。増々お参りしたくなりました。