◎あちこち神社◎
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2017-06

▼葛城一言主神社-蜘蛛塚・土蜘蛛塚と摂末社▼ - 2016.04.19 Tue

葛城一言主神社02-01

葛城の地には「土蜘蛛」の伝説があり、
高天彦神社には『蜘蛛窟』、ここ葛城一言主神社には『蜘蛛塚』があります。

土蜘蛛(都知久母・つちぐも)は、上古に天皇に恭順しなかった有力な土豪たちで、
その名は陸奥、越後、常陸、摂津、豊後、肥前など日本各地の風土記に記録され、
そのことから単一の勢力の名では無いと考えられますが、
土蜘蛛側の残した記録が無いため、そのほとんどが謎に包まれています。

また、ここ奈良県の大和葛城山にいたという土蜘蛛とくによく知られ、
日本書記によりますと神武天皇の皇軍が葛の蔓で網を作り、
それを覆いかぶせて土蜘蛛を捕らえて殺したという伝承から、
このあたりを「葛城」と呼ぶようになったと地名の由来について記されています。


そしてこの「蜘蛛塚」と「土蜘蛛塚」は、
彼らの怨念が復活しないように頭、胴、足と別々に埋めた跡といわれています。


葛城一言主神社02-02

ナナモリ(普b)sこちらは拝殿右手脇、大銀杏の近くにある『土蜘蛛塚』です。

能楽作品のひとつに謡曲『土蜘蛛』というのがあり、
内容は室町時代の末期に制作されたと言われている鬼退治もので、
明治時代に金剛唯一が考案した蜘蛛の糸を投げつける演出が有名です。


源頼光の説話の中に、
僧侶に化身した土蜘蛛が重い病に苦しむ源頼光に糸を投げかけ巻き殺そうとしますが、
源頼光は枕元にあった名刀膝丸を抜いて切り付け、
逃げ出した土蜘蛛を四天王達は追いその住処をつきとめて退治し、
そこに「頼光朝臣塚」の碑が作られ、謡曲「土蜘蛛」はこの説話をもとにつくられました。

後世、その塚の辺りから発掘された筒石を庭に置くと、
家運は傾き、病人が続出することから土蜘蛛の祟りかと畏れ、
その石を安置して土蜘蛛灯篭として供養すると騒ぎが収まったと伝えられています。


葛城一言主神社02-03

拝殿の前にある御神木の『乳銀杏』です。


葛城一言主神社02-04

ナナモリ(喜2)s
この『乳銀杏』は樹齢1200年と推定される老木で、
幹から出ている根、「気根」の突起物が乳のような形になっていることからそう呼ばれ、
健康な子どもを授かり、母乳が良く出るようになると、
子を想う親の願いが込められ信仰を集めています。



葛城一言主神社02-09

葛城一言主神社02-07葛城一言主神社02-08葛城一言主神社02-10葛城一言主神社02-11



ナナモリ(普b-01)s葛城一言主神社の境内摂末社です。

左から、
一言稲荷神社・市杵島神社・天満神社・住吉神社・八幡神社・神功皇后社
この順番並びでお祀りされています。




葛城一言主神社02-12葛城一言主神社02-13葛城一言主神社02-14葛城一言主神社02-15


葛城一言主神社02-17

葛城一言主神社02-16境内へ登る階段の左手脇にある『葛城の亀石』です。

1m程の花崗岩の巨石で明日香村の亀石と良く似た形をしており、
昔、修験道の開祖、役小角が災いをもたらす黒蛇を、
封じるために乗せた石がこの亀石だと伝えられています。


ちなみに役小角(役行者)はここ大和国葛城上郡茅原の出身で、
葛城山と隣の金剛山から修験道が始まったともいわれています。


葛城一言主神社02-18

葛城一言主神社の本殿前から、
少し先の山の裾野には日本武尊白鳥陵があり、
ずっと先の山の麓がキトラ古墳のある明日香村です。





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● COMMENT ●

悪事も一言、善事も一言

こんばんは。
能の土蜘蛛は、むかし薪能で拝見した事があり、蜘蛛の糸の演出に息をのんだ記憶があります。
葛城の地は、遺跡の調査も盛んですし、神話の世界をながめながら、
足元にのこされた歴史の断片を確認するのが好きです。

「伝説」は今に伝えられ「ゲーム」で使用されることも・・・

興味深い言い伝えですよね。
なんか「土蜘蛛」という名前に妙に惹かれるものがあります。
歴史の上では「豪族」という事なのでしょうけど、
「土蜘蛛」というと、日本の妖怪伝説として「病を操り、人間に感染症などの病気を掛ける能力を持つ妖怪」
というのもあるようですね。
この滅ぼされた豪族は、朝廷にとってはまさに「妖怪」みたいな存在なのかもしれないですよね。
最近、こちらのブログでやたらと「東方Project」というゲームジャンルを取り扱う事があるのですけど、
この中には、こうした土蜘蛛をモチーフにした黒谷ヤマメという妖怪とか
日本の伝説・民話を背景にした妖怪・亡霊等が色々と出てきて
なんか昔の伝説が今によみがえったような感じもあり、
中々興味深いものがあったりもします。

Re: 悪事も一言、善事も一言

> 雨男博士 さん

こんばんは☆

幽玄の世界を表す能は、
人工的な光より薪の炎による生きた照明の方が良いですね♪
揺らめく炎に照らし出される面はいつもより表現豊かな感じられますわ。

この葛城一帯は古い伝承の面影を残す興味深い場所で、
もっといろいろと見て見たいと思いまして、
また行ってみようかと密かに考えています(-_☆)

Re: 「伝説」は今に伝えられ「ゲーム」で使用されることも・・・

> ぬくぬく先生 さん

かつては神であったものが時代が移るにつれ、
鬼や天狗、妖怪へと変遷していく過程は興味深く面白いものです♪

妖怪の方の土蜘蛛の病を操り感染症などの病気に罹患させる能力というのは、
源頼光の伝説がモチーフになっているかんじですね(´ー`)

ゲームや小説に登場する妖怪もその成り立ちや経歴を調べてみますと、
また違った角度からの楽しみがあって面白そうです(o´ω`o)

こんにちわ、純野と申します。
“土蜘蛛”という言葉を見て
久しぶりに日本書紀の「神日本磐余彦天皇(神武)」
の項を読み返してみました。

・層富県(そはのあがた)の波多の山崎に新城戸畔(にいきとべ)がいた
・和珥(わに)の坂下に居勢祝(こせのはふり)がいた
・臍見(ほそみ)の長柄の山崎に猪祝(いのはふり)がいた
→この三か所の土蜘蛛は庭(朝廷)に来るのを承知しなかったので
 天皇が一軍を派遣して皆殺しにした。
・高尾張邑(たかおわりむら)に土蜘蛛がいた
→皇軍は葛(かずら)を結んだ網をかぶせて襲い殺した。
 そこでその邑の名を改めて“葛城”といった。

という部分がありました。
「他所からきて現地住民を制圧することは
理屈が合えば許される」という正当化が
必要だったのだろうと思います。

Re: タイトルなし

> 純野一益 さん

こんにちはー

日本書紀は古事記が書かれた目的とは違い、
大和政権の正統性を国外向けに書かれたという側面がありますから、
そのような記述になるのは当時として必要なことだったのでしょうね。

現代の倫理観や死生観では当時のことを推し量るのはなかなか難しいものですが、
そこがまた歴史の興味深く面白いところでもありますね(o´ω`o)


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