*京都御所散歩-朔平門・猿ヶ辻・建春門* - 2016.04.29 Fri

京都御所散歩の続きです(o´ω`o)ノ
建礼門のちょうど反対側、御所の北側まできました~

京都御所北正面の朔平門(さくへいもん)です。
平安宮内裏外郭の北正面にあり、内郭の玄輝門と相対する門で、
南面との構造を比較して、この門の東に門が存在しないことが疑問視されており、
裏松光世は『大内裏図考証』で「華芳房を設置する際に門が廃されたのではないか」と述べられています。
この門では幕末の文久3年5月20日(1863年7月5日)に起こった「朔平門外の変」が有名です。

「朔平門外の変」は、
朔平門より西に行った所にある御所の鬼門の「猿ヶ辻」で起こった暗殺事件で、
破約攘夷派の代表的存在であった姉小路公知がここで暗殺され、
そのことにより姉小路という旗手を失ったはずの破約攘夷派勢力がむしろ増長し、
それに危機感を覚えた孝明天皇の周囲から破約攘夷派を排除する計画が立てられ、
京都守護職を務める会津藩を巻き込んで八月十八日の政変につながっていくことになった事件です。

「猿が辻」は京都御所の東北角、鬼門にあたる場所にあり、
築地塀の角を欠いて京都の鬼門守護の日吉大社の神使の猿が祀られています。
言伝えでは、この猿が夜な夜なぬけだしては通行人にいたずらするため、
金網で封じ込めたのだそうです(*´Д`)

御所の東面でっすヽ(´ー`)ノ
こちら側は車道から離れているため静かです♪

平安宮内裏外郭の東正面にあり、内郭の宣陽門と相対する「建春門(けんしゅんもん)」です。
昔はこの門のすぐ外に外記庁の建物があったことから「外記門」の異名を持ち、
江戸期までは勅使の出入りに使われていましたが明治以後は皇太子や皇后の出入りに使われるようになり、
現在は外国の元首が出入りする際にも使われています。

御所の東側、建春門と道を挟んだ前にある「学習院跡」です。
この辺りはもともと宮家や公家の住まいがあった場所で、
1847年(弘化4年)ここにあった空き地の一部に学問所を建て、
40歳以下の公卿や御所に勤めている役人及びその子弟を集めて学問を教える事にし、
主に国学や歴史を教えていたその場所は「学習院」と呼ばれるようになりました。
各藩から学習院に派遣される要員は学習院掛あるいは学習院出仕と呼ばれるようになり、
主な志士だけでも、桂小五郎、久坂玄瑞、高杉晋作、平野国臣などが居り、
彼らによって朝廷は尊王攘夷へと傾いて行くこととなりました。

その学習院跡の隣には「マツの木に生えたサクラ」という不思議な木があります(o´ω`o)
ここにはもともと古いクロマツがありましたが平成8年に倒れ、
そのクロマツの空洞に生えた山桜が松が倒木してもその空洞に守られて根や枝を伸ばし、
写真のように立派な桜木になっています。
桜の時期になりますと綺麗な桜が咲きまして、
今年も桜の花をいっぱい咲かしていたようです(人*´∀`*)

京都御所周辺を歩いて一周して正面まで戻ってきましたーεε (っ*´▽`)っ
御所をぐるっと一周して約1400mほど、
京都御苑を一周しますと4000mぐらいです。

そんなかんじで京都御所一周散歩でした~♪
観光客が少ない午前中に行きますとのんびり出来て良い感じですよ~(´ー`)
ちなみに京都御所の参観は予約不要の春秋の特別公開と事前の予約が必要な一般公開があり、
一般公開は休日や年末年始、行事のある日を除く月曜から金曜日までで、
3月・4月・5月・10月・11月は土曜日も参観申し込みが可能です。
特別公開時には一般公開のときには入れない紫宸殿の前庭に入ることができますので(-_☆)狙い目です。

京都御所の猫発見(☆∀☆)なんとなく凛々しいかも(笑
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