▼相賀神社▼ - 2018.02.11 Sun






熊野古道・馬越峠の最寄り駅JR相賀駅より徒歩2分、
国道42号線の旧海山町の相賀交差点の東角に鎮座しています。
神社裏の山を削り国道42号線が通っている為道路からは分かりづらくなっています。






明治時代に相賀地区の数多くの神社を合祀しているため、
他に田別命、素盞男命、武甕槌命、大山祇命、倉稲魂命、罔象女命、
市杵嶋姫命、迦遇突智命、表筒男命、中筒男命、底筒男命と、
多くの御祭神がお祀りされています。
当社の創始については不詳でありますが「紀伊続風土記」によりますと、
ここ相賀は紀北にあって最も早く集落を形成した地域と伝えられていることから、
当時より村の鎮守として変わらずこの地に鎮座していたと考えられます。






本殿左右には環境省巨樹データベースにも登録されている杉の巨木、
寛冶8年(1094)の「庄治氏旧紀」に「二天八王子前に石灯籠一基あり」と、
そう記された石灯篭が拝殿右手より回り込んだ場所にあります。
この石灯篭は相賀神社で最も古い建造物となっています。

江戸時代には、これから熊野古道の馬越峠へと向かう多くの巡礼者がお参りして行ったことでしょう。

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● COMMENT ●
まさに八百万の神々!
Re: まさに八百万の神々!
> ぬくぬく先生さん
明治末期に行なわれた神社合祀では三重県が最も合祀政策が甚だしく、
県下の約9割の神社が廃され合祀されましたから、
三重県の神社ではこのように多くの神様がお祀りされた神社が数多くある感じです。
ちょっと窮屈そうですが多くの神様が集まって賑やかにしているのも日本の神様っぽくていいですね(o´ω`o)
この竹薮の御神木はすごい迫力でした(`・ω・´)
明治末期に行なわれた神社合祀では三重県が最も合祀政策が甚だしく、
県下の約9割の神社が廃され合祀されましたから、
三重県の神社ではこのように多くの神様がお祀りされた神社が数多くある感じです。
ちょっと窮屈そうですが多くの神様が集まって賑やかにしているのも日本の神様っぽくていいですね(o´ω`o)
この竹薮の御神木はすごい迫力でした(`・ω・´)
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なるのですけど、それこそが日本の八百万の神々が昔も今も崇められている伝統を象徴しているという事なのだと
思いますし、唯一の神が他の神を決して排他しないという日本の素晴らしき多様性と寛容性を
示唆しているのかもしれないですね。
そして竹林の中のこの楠の巨樹の圧倒的な存在感は見事ですね~!