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2021-04

舞鶴鎮守府めぐり・舞鶴引揚記念館 - 2021.02.09 Tue

舞鶴引揚記念館01

舞鶴引揚記念館02舞鶴引揚記念館03舞鶴引揚記念館04舞鶴引揚記念館05

舞鶴にある『舞鶴引揚記念館』へも行ってきました。

戦中は旧海軍の軍事的拠点として使用されていた舞鶴港ですが、
戦後は大陸に進駐していた軍人軍属や一般人の日本本土への引揚、
および日本に在留していた中国・朝鮮人の送還のための指定港のひとつとなっていました。

また日ソ中立条約を一方的に破棄し侵攻したソ連軍の捕虜となり、
シベリアに抑留されていた旧軍人の引揚者のほとんどが舞鶴港を入港先・帰還港としたため、
日本各地から夫や親族の帰還を待ち望む多くの人々が舞鶴港へと出迎えに訪れたそうです。



舞鶴引揚記念館06

舞鶴引揚記念館は引き揚げやシベリア抑留の記憶を後世に継承し、
平和の尊さを広く発信する施設としまして引揚に関わる一連の資料を展示する日本唯一の施設として、
全国と舞鶴の体験者や関係者のご支援ご協力により昭和63年4月に開館し、
平成27年10月10日には収蔵資料のうち570点がユネスコ世界記憶遺産に登録されました。

館内にはシベリアの抑留地で使用したコートなどの防寒着をはじめ、
「引揚證明書」やそのほか全国より寄贈された文書類の約1万6千点貴重な資料のうち、
常設展示にて1000点を超える展示がされています。


舞鶴引揚記念館07

館内の一画にはシベリア抑留で抑留者が住まわされていた部屋が再現されており、
現地での過酷な生活の様子を体感できる抑留生活体験室がありました。

舞鶴引揚記念館08

舞鶴引揚記念館09舞鶴引揚記念館10

シベリア抑留では抑留者には十分な食料が与えられず、
スプーンなどの食器も自分たちで作らなければならなかったそうです。

わずかな食糧を仲間と分け合いましたが日に日に痩せ細り栄養失調に陥り、
日常的な飢えと寒さにより、1年目の冬を越せずに亡くなる抑留者も多くいました。



舞鶴引揚記念館12

舞鶴引揚記念館13舞鶴引揚記念館14舞鶴引揚記念館11舞鶴引揚記念館15

舞鶴は昭和20年(1945)10月7日、引き揚げ第一船「雲仙丸」が入港してから、
13年間にわたり66万人の引揚者を迎え入れ、
引揚者が戦後の新たな第1歩を踏みしめられた「戦後復興のふるさと舞鶴」とも言える地となりました。

そして10月7日は「舞鶴引き揚げの日」となっております。

壁一面に展示されている船の模型は、
当時引き揚げ船として運行されていた船たちです。


舞鶴引揚記念館16

第二次世界大戦敗戦時点で海外に在住する日本人は軍人・民間人合わせて660万人以上に上り、
1946年末までに500万人もの日本人が引揚げてきましたが、
残留日本人の詳細な数や実態については現在も不明とのことです。


舞鶴引揚記念館17

引揚者のなかには戦後、著名な作家や画家・漫画家となった方たちも多くおられます。

こちらは「ちばてつや」さんの書かれた「赤い夕陽のなかをひたすら歩く」という作品で、
満州鉄道沿いに引き揚げ船のくる港まで歩く人々が描かれています。


舞鶴引揚記念館18

こちらは「赤塚不二夫」さんの描かれた「初めて見る日本は箱には見たいにきれいだった」という、
幼少期の頃の記憶から描かれた作品となっています。


舞鶴引揚記念館19

舞鶴湾の奥北東部の平湾に架けられたこの白い橋は「舞鶴クレインブリッジ」という斜張橋で、
引き揚げの拠点となった平湾に架けられ2羽の鶴をイメージして設計されたものです。

舞鶴引揚記念館は市街地よりすこし離れた場所にあるため訪れやすいとは言えない施設ですが、
大変感慨深く勉強になる有意義な記念館だと感じました。

機会がありましたら是非訪れてみてくださいませ。
記念館駐車場から見える舞鶴湾も美しいですよ(´ω`*)


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● COMMENT ●

重たい歴史の事実ですね・・

戦後の戦地からの引揚者と言うと、水木しげる先生のような南太平洋の島々からの過酷な船橋と引き揚げ
という印象もありますけど、実際は満洲での民間人の引き上げや
記事でも取り上げられていた旧ソ連のシベリア抑留者からの数の方が圧倒的に多かったと思われますし、
それだけに歴史の表舞台にはでてこないけどその裏では悲惨な引き上げの実態や
寒さや飢えに苦しむシベリア抑留生活という重たい事実があると思いますし、今日の平和というものは
そうした過去の歴史の上に成り立っているということを改めて痛感させられた記事だと感じたものです。

舞鶴にはもしかしたら隠れた歴史の秘話やエピソードが潜んでいるのかもしれないです。

Re: 重たい歴史の事実ですね・・

ぬくぬく先生さん

水木しげる先生は、あの有名な駆逐艦・雪風で内地へ引き揚げ帰ってきたことでも有名ですね(´ω`*)

水木先生のように南方から帰還された方もねとてつもないご苦労と大変さの末のご帰国でしたが、
満州から帰ってこられた民間人の方々も、筆舌に尽くしがたい艱難辛苦の末にやっとだったと聞きます。

中でもシベリアに抑留され祖国より遠い地に連れて行かれた方々のご苦労は、
うかがい知ることもできないほど途轍もないものだと思います。

舞鶴は最後まで引き揚げの港として機能していましたので、
こういったエピソードはちょっと調べてみた感じでも沢山ありました。

このような歴史から訪れた平和な時代、長く続くいてほしいものです。

こんばんわ!
舞鶴でこのような所があるのを知りませんでした。戦後も長い間多くの日本人がシベリアに抑留されてそのほとんどの方々が非人道的な扱いを受けてなくなったことをかなり後になって知りショックを受けました。
本当に思い歴史ですね。でも忘れてはならない事実です。いつか機会が合ったら訪れたいです。ありがとうございます!




Re: タイトルなし

ネコシバ さん

こんばんは~(*´▽`*)

この記念館は舞鶴市街よりかなり離れたところにありますから、
立地的に交通の面でも分かり辛いような場所でした。
バスも東舞鶴駅からは一日四便ほどしか出ていないようでしたので…

シベリア抑留者の遺骨は現在でも収集事業が継続されているほど、
遠く行方の分からないものが多いほどですから、
当時の過酷さが感じられますね。

ちなみにこの記念館は旧鎮守府巡りスタンプラリーのスタンプ設置場所五ヵ所のうちのひとつです୧(๑•̀ㅁ•́๑)૭✧


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